ストレイバード はぐれ鳥の止まり木

社会のはぐれ鳥 ストレイバードのブログです。主に昭和レトロで微妙な本、珍本、奇本を中心に紹介しています。

セガの思い出は僕の青春とリンクしすぎていて苦しい〜CONTINUE Vol.66 セガ60周年特集

セガ特集タイトルイメージ

 

1989年。

 

メガドライブが発売された年。

 

それから31年後の2020年、夏。

 

高校生だったころ、友達はだれも持っていなかったメガドライブに夢中になっていたアラフィフとしては、本屋で視線の端に写り込んだGO SEGAという大きな文字に振り返らずにはいられなかった。

 

そして、買わずにはいられなかったんですよ!

 

だって、ぼくはスーパーファミコンより、プレイステーションより、メガドライブを、セガサターンを、ドリームキャストを、選んできた夢追い人のひとりだったのだから!

 

 

 

 

CONTINUE Vol.66

CONTINUE Vol.66 セガ60周年

第1刷発行:2020年8月1日

発行所:太田出版

 

 

ぼくにとってセガのゲーム機とは

リキラリアットイメージ

 

まあ、なんだかんだでスーファミとプレステ2は買ったんですけど、それぞれよく遊びましたよ。

 

スーファミは、ゲームの充実度がケタ違いだったし、友達ともよく遊びました。

 

プレステ2は、半分DVDプレーヤーとして映画を見るために使っていて、正直スーパーロボット大戦以外は何を遊んだのか記憶にないんですよね。

 

で、あらためて思い起こしてわかったことがひとつあります。

 

それは、ぼくにとってドリームキャストの終わりは、ゲームの終わりだった。

 

ゲーム機を買ってまで遊ぶほどのゲーム熱は、すっかり冷めてしまった。

 

その証拠に、スーファミ以降の任天堂ゲーム機はドラクエを遊ぶためにDSを買ったきりだし、プレステも3から買ってないんですよね。

 

実際に、社会人になってからの少なくとも30代はゲームはまったく遊んでいなかったんじゃないかな。

 

なんかさ、ドリームキャスト以降、セガのハードがなくなったっていうのは、ゲーム業界から、木戸修のようなシブい関節技を使うタイプもいれば、棚橋弘至のような試合後にエアギターを弾いちゃうような斬新でド派手な選手もいる新日本プロレスが消えてしまったような感覚に近い気がするんですよ。

 

そうなんだよ。

セガって意外と新日本プロレスなんだよ。

 

そりゃあ、現在の規模で見れば、新日本プロレス的なメジャー感のあるのはソニーだよ?

 

でもさ、根底に流れている魂的なもので新日と重なるのはセガだと思うんだよね。

 

全日本でもなければ大日本でもFMWでもないし、もちろんWWEでもないんだよ。

 

やっぱりさ、その業界の可能性を広げる役割や未来の方向性を見せる役割を担うヤツっているじゃない?

 

現在のプロレス界って、新日本がその役割を担っていると思うんだけど、家庭用ゲームの世界はハードを持っているメーカーの中でいうなら、それはやっぱりセガだったと思うんだよね。

 

もちろん、ソフトウェアメーカーならカプコンやナムコもその役割を担っているんだけど、家庭用ハードの設計時点からそれをやっちゃっていたのはセガと任天堂っていうイメージない?

 

で、任天堂は、かつての全日本プロレス的な王道を感じるんだよね。

 

対して、ソニーのプレステはWWE

ド派手な舞台を用意してから、他所の団体で成長したスターを引き抜いてトップを維持していくイメージ。

 

そういう風に見ると、セガはひとつの舞台から多くのスター選手を育てつつ、UWFやリングスのような尖った団体や、ゼロワンのような王道系の団体が派生して生まれたりもするカオスと若干の狂気をない交ぜにした新日本のような個性が感じられるとは思いませんか?

 

かつて、アントニオ猪木が異種格闘技戦でモハメド・アリと戦ったとき、まさか本当に実現するとは!って多くの人がびっくりしたはずでしょ。

 

さらには、その試合でアントニオ猪木が見せたアリ攻略のための寝転んだ状態で足を蹴る戦法は、当時あらゆるメディアからボロクソに叩かれたんだけど、現在の格闘家はアントニオ猪木のあの戦法を再評価し研究しているというじゃない?

 

それって、新日本プロレスという舞台、プラットフォームでアントニオ猪木が斬新なことにチャレンジしていったことが、現在のプロレス界や格闘技界に影響し続けているように、セガは家庭用とアーケード用で独自のハード、プラットフォームを作りながらリアルな体験ができるレースゲームを作ったり、カクカクのキャラだけどリアルに感じる3D格闘ゲームを先頭切って市場に出して、「すごくない?」って嬉々としている姿を見せ続けたことが、現在のゲーム業界に影響し続けているんですよね。たぶん。

 

だからさ、セガのゲーム機を持っているということは、ボンバイエ!なんだよ。

 

 

 

 

私を通り過ぎたゲーム機たち

路地裏のお店のイメージ

ぼくが持っていたセガの家庭用ゲーム機は、

メガドライブ、

セガサターン、

ドリームキャスト、

それとゲームギアです。

 

ちょうど中学から大学の学生時代のころの話で、いま思えば、とくに目標もなく、なかなか思うようにいかない色彩の薄い人生をゲームの世界が助けてくれた気がします。

 

現在のゲームは、Eスポーツなんていう名称で巨額の賞金がかかった大会が開かれるくらい、ゲームを極めることと人生の成功がリンクしてしまいましたが、ぼくが夢中になっていたころのゲームは遊んでも思い出以外なにも残らない人生の脇道のような存在だったのかもしれない。

 

でも、だからこそ価値があったんじゃないか、と思うんです。

 

そして、セガのゲームは脇道の中でもとびっきり刺激的で、多くの人がその脇道で謎のお店や見たことのない宝石かガラクタかわからないものを手にしてはニヤつくという、非生産的なことに喜びを感じていたんだと思うんですよね。

 

 

メガドライブの思い出

 

メガドライブは、どうして買ったんだったかなあ?

 

何かどうしても遊びたいゲームがあったのかな?

 

それとも、任天堂というメジャーに対する反抗心だったのかな?

 

う~ん、どうにも思い出せないけど、たぶん作品に対しての偏愛というか行き過ぎたこだわりがそこかしこから見えるサブカルチャー的な魅力を感じていたんじゃないかな。

 

そんなことを考えながら、当時のゲームが残っていないか探してみたら、何本か見つかりました!

 

まず、メガドライブを買った理由の1本じゃないかな?

と思ったのが、『サンダーフォース2』です。

 

 

サンダーフォース2

サンダーフォース2イメージ

 

当時、日曜日の朝だったかな?

 

テレビ愛知でパソコンの番組が放送されていたんですよ。

 

たぶん、パソコンサンデーっていう番組です。

 

パソコンサンデー - Wikipedia

 

いやはや、小倉智昭さんが司会だったとは。

そこまでは覚えていなかったなあ。

 

その番組で、たしか当時めちゃくちゃ高いパソコンで発売さえれたサンダーフォース2が紹介されていたんですよ。

 

そこで、横スクロールでまっすぐ進んでいたと思ったら、突然うしろにスクロールしだしたのをみて衝撃を受けましてね。

 

「なんか新しくてスゴイ!遊んでみたい!」

 

と思っていたら、メガドライブに移植されたんですよね。

 

当時は、グラフィックの美しさにも感動して、下手くそでぜんぜんクリアできなかったけど楽しめた思い出があります。

 

 

で、当時のパソコンサンデーの映像がないかと探してみたら、YouTubeにありました!

 


パソコンサンデー '89 新入学シーズン ゲーム最前線

 

まさにこの回だ。

この映像を残していた人、スゴイなあ。

 

 

 

メガパネル

メガドラメガパネルイメージ

 

でも、たぶん一番ハマったのはナムコのメガパネルです。

 

単純なパズルゲームだったのですが、パズル画面の隣にブロックが積み上げられていて、パズルのブロックを消したら隣の同じ場所のブロックに爆弾が落ちてブロックが消されていくようになっていて、すべてのブロックを破壊するとイラストが出てきてクリア、みたいなルールでした。

 

この手のゲームって、気づくと朝までやっちゃったりするんですよね。

 

 

メガドライブのソフトイメージ

そのほかの持っていたゲーム

 

メガドラソフトパッケージイメージ

 

三国志列伝

チナチマ系シミュレーションゲームじゃなかったかなあ?

あまり覚えていません。

 

 

フェリオス

シューティングかな?

まったく覚えていません・・・。

 

ファンタシースター2

これはもう、セガファンなら間違いなく名作というであろうRPGですね。

 

今回のCONTINUEでも取り上げられていますが、ストーリーがなんとも切ないというか、救いがない感じだったんですよね。

 

それは、ファミコンやスーファミで発売されていたRPGとはあえて真逆の世界観にしていたのかな?と思うくらい、暗い体験をするわけですよ。

 

あと、ゲームバランスもおかしくて難しかった気がします。

 

でも、世界観にハマるんですよね。

 

 

ちなみにファンタシースター3 時の継承者は、結婚イベントがある3世代の物語だったんですよね。

 

結婚する相手によって、髪の色などの外見だけでなく、自分の国も変わるんじゃなかったっけ?

 

これが当時は斬新だったんだけど、どうして斬新だったかというとドラゴンクエスト5 天空の花嫁よりも先に結婚が導入されていたんですよ。

 

まあ、ファンタシースターシリーズなので、ゲームバランスなどに難ありなのは承知の上で楽しんでいた記憶があります。

 

なんというか、世界観がいいから、「どうせ難しいんでしょう?」と思っても手を出しちゃうんですよ。

 

だって、ファミコンやスーファミではSF系の世界観のRPGってほとんどなくて、キャラクターデザインも2頭身がほとんどだったじゃないですか?

 

やっぱり、ファンタシースターのような世界観とデザインのゲームは魅力的だったんですよ。

 

 

スーパーサンダーブレード

ヘリコプターのシューティングですけど、これもyoutubeでプレイ映像を見て思い出しました!

 

ヘリの後ろからの視点で進んで行くんですけど、のちのパンツァードラグーンなどのシューティングの基になったようなゲームなのかも。

 

操縦するとヘリが左右上下にキビキビと動くというより、ブワ~ン、ブワ~ンと流されるように動くので、左右に動かすのが気持ちよくて無駄に動かしているうちに敵の弾を避けそこねて墜落させてしまうことが度々あったような。

 

これもよく遊んだなあ。

 

 

スーパーリーグ

スーパーリーグは、どうして買ったのかよく覚えていません。

 

ただ、当時のメガドライブには野球ゲームが他になかったのかな?

 

もしかしたら、ファミスタ感覚で買ったのかもしれないんだけど、考えてみたらぼくは野球ゲームにハマったことがないんですよ。

 

だから、どうして買ったのかよくわからないんですねえ。

 

 

信長の野望 覇王伝

信長の野望は、貼ったままの値段のシールを見ると、中古セールで買ったっぽいなあ。

 

とはいえ、ぼくはMSX2で信長の野望全国版を明け方まで遊んでいたくらい昔は信長の野望が好きだったので、久しぶりに遊びたくなって買ったんだろうねえ。

 

まあ、あえていうまでもなく、このゲームは面白いよね。

 

 

 

いま改めてメガドライブのタイトル一覧を見ると、

「なんで手を出しておかなかったんだ~。」

と悔やんでしまうものがけっこうありますよね。

 

キューティー鈴木のリングサイドエンジェルとか、いまでしょ!感すらありますよね。

 

え?ぜんぜんそんなことない?

 

当時は高校生だったから、やっぱりゲームを買うにもそうとう厳選して長く遊べそうなやつを買おうとしてましたからねえ。

 

いま話のネタになりそうなゲームは、高校生時代には手が出しづらかったんだよな・・・。

 

もしくは、ワゴンセールで1本980円くらいで買える作品に手を出しちゃってたのかな。

 

ロボコップ VS ターミネーターとか、気になりますねえ。

 

ていうか、ロボコップ、8900円もする!?

 

いや、当時の発売価格を見るとほとんどが9000円前後している。

 

スーパーストリートファイター2なんて10900円。

 

でも、そんな価格で買っていた記憶がないなあ・・・。

 

ソフトが発売と同時に、半額くらいに値引きされていたのかな?

 

価格から見ても、改めてメガドライブの世界はやっぱりカオスだったんですねえ。

 

 

ソフトウェア一覧(セガ発売) | メガドライブ | セガハード大百科 | セガ

 

 

 

ゲームギアの思い出

ゲームギアイメージ

 

ゲームギアは、当時、近所のゲーム屋さんでガラスケースに中古品があって、店長さんに値引き交渉をして買った記憶があります。

 

値段は覚えていないけど、中古じゃないと買えないというより、新品がもうお店に置いていないころだった気がします。

 

正直に言って、ゲームギアって知っている人すら少なかったですからねえ。

 

そのせいか、ゲーム屋の店長さんも「なかなか売れそうもないし、いいよ。」という感じで値引きしてくれたんじゃなかったかなあ。

 

それにしても、昔はファミコンブームのおかげでどの街にもかならずゲーム屋さんがありましたよね。

 

いまは、大型家電屋かアマゾンか、って感じになっちゃって、ちょっとさみしいですね。

 

好牌イメージ

 

写真に写っていますけど、当時持っていた1本は『対戦麻雀 好牌』です。

 

これはたぶん、ゲームギアを買ったお店に中古品で置いてあったんじゃないかなあ。

 

というのも、ゲームギアのソフトってなかなか売っていなかったんですよ。

 

当時、どうやってソフトを探していたのかなあ?

 

大須のパソコン街で探してたんだったかなあ。

 

現在はレトロゲーム専門店が増えて、むしろゲームギアのソフトが手に入りやすくなったのは不思議な感覚です。

 

ゲームギアのソフト一覧を見ても、思い出せないんですよね・・・。

 

なんとなく、『コラムス』と『エターナルレジェンド 永遠の伝説』は遊んだ気が、する・・・。

 

シャイニングフォース外伝は遊んだはずです。

 

たぶん、シャイニングフォース外伝を遊びたくてゲームギアを買った気がしますから。

 

そのほかはたぶん、持っていなかったと思います。

 

改めて言いますが、とにかくソフトが手に入りずらかったんですよ。

 

さらに、ゲームギアは欠点があったんですよね。

 

それは、電池がいっぱい必要で、単三電池6本使うわりには3時間くらいしか持たなかったので、高校生のお小遣いでは持ち歩けなかったんですよ。

 

だから、ゲームギアで遊ぶときは結局、アダプターを使ってコンセントのそばで遊ばなきゃいけなかったんですよね。

 

それなら、メガドライブで遊ぼうと思うじゃないですか?

 

だから、ゲームギアはニンテンドーDSよりは圧倒的に遊びましたけど、ゲームギアを持っていた、

 

いや、いまも持っているぞ!

 

ということだけ。

 

それだけで十分、セーガーー♪

 

そうだろう?

 

 

 

 

セガサターンの思い出

学生の頃見ていた夕日のイメージ
学生のころ、実際に窓から眺めていた夕日です。

 

セガサターンは、思い出が多すぎるよ。

 

とにかく名作がたくさんあった。

 

セガサターンの最高のRPGは、グランディアだったのではないかと今でも思っているんですよ。

 

グラフィックの動きも、途中で挟まれるアニメーションも、もちろんストーリーも、当時遊べたRPGの中でも秀逸だったんじゃないでしょうか?

 

というか、セガサターンでRPGって、他に印象に残っているものがないんだよな・・・。

 

いや、そんなことはないか。

 

ラングリッサーシリーズもけっこう遊んだ記憶があるなあ。

 

あと、真・女神転生デビルサマナー

 

女神転生シリーズの中でも珍しかったハードボイルドな大人の世界観に、どっぷりとハマりました。

 

これは、珍しく2~3回クリアした記憶があります。

 

ソウルハッカーズの方も面白かったなあ。

 

 

あと、良くも悪くもなかなかの問題作だった、バロック。

 

とにかく世界観がすごくいいんだけど、ストーリーは最初さっぱりわからなかったんじゃなかったかな。

 

BGMとかもほとんどなくて、暗がりの中でうごめく異形のモンスターにドキドキしながら進むんです。

 

でも、序盤で「なんだこれ。意味がわからんしつまらね~。」

 

と思ってやめてしまうと、このゲームの面白さに気づけないんですよね。

 

まあ不親切なゲームだった記憶があります。

 

とはいえ、

「こういうゲームが出るから、セガファンはやめられないよな~。」

とひとりでにやけていた学生時代でした。

 

www.sting.co.jp

 

 

 

ナイツ

アクションなら、ナイツは外せないね。

 

なんどやっても面白くて、やればやるほど上手に飛べるようになって、それでますますやめられなくなるゲームでした。

 

クリスマスナイツっていうのもあったよね?

 

クリスマスの数日だけ遊べたんだっけな?

 

クリスマスバージョンの映像がとにかくキレイで、時間を忘れてアホみたいに遊んでた。

クリスマスなのに、どうして時間を忘れて遊べたのかは、お察しください・・・。

 

 

Jリーグプロサッカークラブを作ろう

サカつくも、遊びまくりましたねえ。

 

ホームはいつも、沖縄に作ってました。

 

沖縄ミュートスっていうチーム名にしてたんだったかな。

 

自分が育てた選手が、試合中にピカー!っと光ったと思ったら、ドクン!ドクン!という音とともにスローモーションですごいシュートを放ったときは大興奮しました。

 

 

パンツァードラグーン

パンツァードラグーンを初めて遊んだときは、衝撃を受けましたね。

 

ドラゴンに乗って飛びながら敵を倒していくのですが、たしかドラゴンは成長していくんじゃなかったかな?

 

基本的には、3Dステージで迫り来る敵をロックオンしては一気に倒していく快感を味わうシューティングゲームなのですが、これまでのシューティングゲームが難しくて全然クリアできなかった人でも繰り返し遊んでいるうちに誰でもクリアできるようになっていくんですよね。

 

ゲームシステムは、のちにRezに引き継がれていくのですが、やり込めば誰でも上手になってクリアできるようになるというのがうれしかった。

 

セガのゲームは、この辺りから、

斬新なんだけど、プレーヤーに優しいゲーム。

というのが増えていったんじゃなかったかな。

 

 

リアルサウンド~風のリグレット~

リアルサウンドは、当時、ゲーム会の天才と言われた飯野賢治氏が開発したゲームなんですけど、かなり賛否が激しかったんじゃないかな。

 

というのも、このゲームは、

「視覚障害の人でも遊べるゲーム。」

というコンセプトで開発されたものだったんですよね。

 

たしか、当時のゲーム雑誌で飯野氏が語っているのをよんだ記憶があるのですが、そういうコンセプトのため画面は真っ暗で、ラジオドラマのようにセリフが進みつつ、要所で現れる選択肢によってシナリオが進んでいくゲームだったと思います。

 

 

 

ドリームキャストの思い出

dori-mukyasutonoime-zi

 

ドリキャスは、正直あまり覚えていないかも。

 

思い出は少ないんだけど、それでも遊びまくったゲームはあったはず。

 

ドリキャスでインパクトが強かったのは、やっぱりシーマンだと思います。

 

でも、ぼく的にインパクトが強かったのは、スペースチャンネル5でした。

 

あの世界観にはまったんですよね。

 

カッコいいし、おしゃれだし、でもB級感があるし、マイケル出るし。

 

何より、遊んで面白かったですよね。

 

ところで、いまも新作がでているの?

 

それより、もう20年以上経っているのね。

 

ぜんぜん古さを感じないのは、やっぱりすごいよね。

 

 


『スペースチャンネル5 VR あらかた★ダンシングショー』 PS VR用プロモーションビデオ第一弾

 

 

 

 

ファンタシースターオンライン

RPGではやっぱり、ファンタシースターオンラインは外せないですよね。

 

当時、このゲームを遊んだときは不思議な感覚だったんですよ。

 

だって、ファンタシースターが普通に面白く遊べるなんて思っても見なかったから。

 

あれ?これって問題発言だった?

 

だって、ファンタシースターは、

 

斬新な要素はたくさんあるけど不親切。

 

というのがある意味魅力のひとつだったから、何度も繰り返し楽しめるなんて予想外だったんですよ。

 

慣れてくると、走りながら敵をなで斬りしていく回考えられたんですよね。

 

そんなゲームになるなんて、ビックリでしたよ。

 

詳しいことはわからないですけど、たぶんナイツなどで培われた、繰り返し遊んでいると誰でも上達していく絶妙な操作設計と、もう一回遊びたくなる絶妙な快感設計が、ファンタシースターオンラインでついに高みに到達したのではないでしょうか?

 

知らんけど。

 

 

 

Rez

Rezは、簡単にいうとパンツアードラグーンのかっこいい版みたいなゲームでした。

 

ほとんど線だけで表現された3D空間を浮遊しながら進んでいくんですけど、敵をロックオンして倒すと音が出て、たくさんの敵をロックオンして倒せばメロディーになっていくんですよね。

 

当時のクラブカルチャーを意識したゲームで、上手に敵を倒すとテクノ的なカッコイイ曲に仕上がっていくようになっていました。

 

キャラクターも、だんだん形が変わっていって、最後は結跏趺坐、いわゆる座禅の姿勢で飛んでいた気がするんですけど、そんな世界観ぶっ飛んでますよね。

 

サイケトランスの世界観だったのかな?

 

これはかっこよすぎて、めちゃくちゃ遊びましたね。

 

このゲームも、いまだ色あせないすごいゲームだと思います。

 


Rez ( Dreamcast ) - HD

 

 

 

おかえりナムコ

そういえば、ついにナムコがソフトを出したんだっけ?

 

ソウルキャリバーって、ナムコだよね?

 

メガドライブではソフトを出していたのに、プレステではまったくソフトを出さなかったナムコがついに動いた!みたいな興奮があった気がします。

 

 

あとは、クレイジータクシーとか、サカつくとか、サクラ大戦シリーズとか、いろいろ遊んだはずなんだけど、シェンムーシリーズは社会人になって時間がなかったせいか遊んでいないんだよなあ。

 

記憶違いかもしれないけど、ドリームキャストの終盤は発売日未定のままで消えていったゲームも相次いでいた気がするんですよね。

 

いろいろと思い出してきましたが、セガのサイトのドリームキャストのソフト一覧を見てみると、最後のほうの発売ソフトってサクラ大戦関連が多くて、当時の苦しさを表しているようで切なくなりますね・・・。

 

ソフトウェア一覧(セガ発売) | ドリームキャスト | セガハード大百科 | セガ

 

 

 

 

これも入れて欲しかったなあ

セガはもうひとつ忘れてはいけないものがあります。

 

それは、DIGIOです。

 

DIGIO正面イメージ

 

これは、ぼくが初めて買ったディカメでした。

 

セガサターンと連携できる予定だったんですよね。

実際にはできていたかな?

 

プリクラで出力できたはずです。

 

DIGIOファインダー面イメージ

 

当時、iMacを持っていたので、それで管理していたんじゃないかなあ。

 

でも、残念ながら画像は残っていないんですよね。

 

DIGIO上からイメージ

 

セガ、3万円を切るデジタルカメラ「DIGIO」を発表

 

 

 

セガ特集以外で気になった記事

批判の雨のイメージ

 

コラム:ゲームの彼岸にて

56回 ゲーム批評の土台を支える精神

 

ネットの炎上問題に見るような、他人をこき下ろすようなことを批評と勘違いしている人が多すぎるんじゃないか?ということについて書かれているんですけど、ゲーム業界では作品をこき下ろす素人批評が日本市場を衰退させかねない大きな問題になっているんですって。

 

たとえば、アマゾンレビューやアップルのApp storeなどでゲームレビューを見ると、メタくそにこき下ろしているのを見たことがありませんか?

 

あれがゲームの売り上げを落とすことがあるのは、容易に想像できます。

 

だって、ぼくもあまりに評価が低いと、無料のアプリでさえダウンロードするのを躊躇することがありますからね。

 

そんなこき下ろし批評は、海外の面白いゲームが日本に移植されるのを遅らせるきっかけになることもあるんですって。

 

それに、想像するに、あまりこき下ろし批評がまかり通ると、かつてのファミコンやメガドライブで出ていたクソゲーと紙一重の尖ったゲームを世に出すことを躊躇させることになると思うんですよ。

 

ぼくもブログを書き続けてきて、また社会人として商品の評価や地域の問題について意見を求められることがありますけど、正直に言って悪い部分を指摘することほど簡単なことはないんですよ。

 

これって、日本人が子供のころから減点方式で評価されてきたせいで、物事のマイナス部分を見つける癖がついてしまっているのかもしれません。

 

そんな悪い部分を指摘するのに対して、良い部分を見つけて評価するというのは意外と高度な思考が必要です。

 

でも、良い部分を見つけて評価するクセがつけば、それほど難しいことではないんですけどね。

 

ただ、お笑い番組やサブカル系の雑誌などで毒舌に触れる機会が増えてから、ものごとに悪態を吐く人が増えた気がするのも確かです。

 

ここで、あえて悪態という表現を使ったのは、毒舌は素人には扱いきれない高度な話術だからです。

 

素人には扱いきれないという意味は、毒舌を話すのはもちろんですが、毒舌を聞き取るのにも読解力が必要だからです。

 

プロは、毒舌に優しさを隠していたり、照れくさいことを毒舌で笑いに変えることができるんですよね。

 

それに対して素人は、人を傷つけるただの悪口を毒舌と勘違いしてしまいがちです。

 

この毒舌もどきと減点方式を無意識に使って作品を評価すると、批評した本人以外はだれも気持ちよくない文章になります。

 

さらに言えば、批評された作品とそれに関わった人が傷つくだけでなく、実は批評した本人すら得るものがゼロだったりするんですよ。

 

最近の10代の人の会話を聞いていると、相手をほめたりお礼を普通に言える人が増えているようですが、アラフォー以上の世代はどうですかねえ?

 

これからの時代を生きる上で、ゲーム批評の土台を支える精神だけでなく、あらゆる部分で批評の精神、批評のための観察眼を改める時期なのかもしれませんね。

 

 

 

 

まとめとして

アジャコング選手のイメージ

セガが満を持して、

 

令和最初の新ハード

 

と発表したのがメガドライブミニという、微妙な空気を漂わせつつ喜ばせるという高等テクニックでセガファンを翻弄した令和の時代。

 

ぼくは、プレステ2以降、ハードウェアを買わなくなり、近ごろはもっぱらスマホでゲームをする日々です。

 

メガドライブミニは、買うのを躊躇してしまったのですが、その理由はファンタシースターが『千年紀の終わりに』しか入っていないのと、T&Eソフトのゲームを入れて欲しかったかな。

 

それはともかく、ぼくはこう思うのですよ。

 

セガのハードが選べない現世は、なんと生き辛いことか。

 

ゲームが下手なぼくでも別世界に連れて行ってくれた、いまは伝説の勇者となりしセガのハードたち。

 

セガの旗が立てば、ゲーム開発者の中にもテレビの前に座ってゲームをしなくなって久しい人の中にも、再び心に火が灯り、口元にニヒルな笑みが蘇り、無駄に熱く語り出す人が現れるだろう。

 

ぼくはもう一度、優等生な面白いゲームではなく、優等生すぎてもはやどこがゴールなのかわからない、テレビの前でコントローラーを握りしめながら途方にくれる体験がしたいんだ。

 

いや、メガドライブもセガサターンも、そこまでぶっ飛んだゲームがあったかというと自信はないけど、でもセガというブランドとそこで勝負をしようとするゲームメーカーには、そんな機体をさせるドキドキがあったんだよね。

 

ああ、本当の意味で令和最初のセガの新ハードを見てみたい。

 

ゲーム業界が成熟したなんてクソくらえ!

 

と半そで半ズボンで走り回る少年のようなゲーム機を、ぼくはまだ待っているんです。

 

 

 

と、ここまで散々、

「セガは新日本プロレスだ。」

って言ってきたけど、

セガのあのころのカオスっぷりはもしかしたら全日本女子プロレスだったかもしれない。

 

キューティ鈴木は全女の選手ではなかったけど。

 

 

 

 

メガドライブミニ

メガドライブミニ

  • 発売日: 2019/09/19
  • メディア: Video Game
 

 

 

 よろしければ、こちらの記事もどうぞ。

 

 

straybird.hatenablog.com

 

 

 

 

ブロトピ:本のおすすめ

進化する里山資本主義を読んで田舎との関わり方を考えた

お題「我が家の本棚」

里山のイメージ

 

お世話になっている大学教授によると、新型コロナが蔓延して以降、地方移住を考えるようになった人が増えているんですって。

 

地方移住といっても、地方都市で住みたいというのではなく、いわゆる田舎への移住のことです。

 

たぶん、山奥の村や島へ移住すれば、人の密集もなく、空気はきれいで生活費は安いし、最近はリモートワークできるし、田舎って最高じゃん!

 

みたいな感覚だと思うのですが、その発想は、まあ、それほど外れていないんだけど、勘違いしている部分もあって・・・。

 

地方移住の、当たっている部分と勘違いしている部分についてはここでは触れませんが、地方移住の生き方を早い時期に提案した一人が藻谷浩介さんで、その藻谷さんが書いた里山資本主義が重要な1冊だと思うんですよね。

 

その里山資本主義の初版発行から7年後、その続編と言える1冊が出版されたので紹介します。

 

 

 

 

進化する里山資本主義

進化する里山資本主義

監修者:藻谷浩介

編者:Japan Times Setoyama 推進コンソーシアム

発行所:株式会社ジャパンタイムズ出版

初版発行:2020年5月5日

 

 

改めて記述しますが、本書は2013年7月に出版された里山資本主義の続編です。

 

2013年ごろ、里山資本主義と名づけた田舎町での経済活動と生活様式が令和の現在までに、どのように発展してきたかを追跡調査し、今後の展望について書かれています。

 

地方創生のリアルな現在を知るには最適です。

 

里山資本主義的な働き方をしている人の、新しい事例なども載っています。

 

地方活性化に関わって見たいと考えている人は、必読の1冊です。

 

というのも、本書で書かれていることは移住生活の知る上での基礎になるはずで、実際には移住支援をしている地域によって活性化計画に違いがあるのですが、それぞれの計画の土台には本書に書かれている考え方が見つかるはずだからです。

 

 

里山資本主義って?

水路型水力発電イメージ

 

里山資本主義をざっくりと説明します。

 

里山資本主義とは、マネー資本主義の対義語として作られた用語で、収入が少なくても田舎の米や野菜は物々交換で手に入るような、小さな地域でお互いさま的な支え合いのネットワークがあり、お金プラスアルファの小さな経済圏で暮らすことを目指す考え方です。

 

また、燃料は山の木を伐採して手に入る薪も使えるし、水路を使った小規模水力発電などで賄える仕組みを構築することで、持続的な安定生活圏をつくることも含まれるようです。

 

ちなみに、里山というのは田舎とイメージが結びつきやすいですが、野菜や米の物々交換はあくまでも一つの例であって、お互い様的な支え合いネットワークの中で経済を回す仕組みがあれば都会で暮らしていてもそれは里山資本主義だといいます。

 

だから、別に海沿いの地域だって里山資本主義です。

 

里海資本主論っていう本もありますけどね。

 

 

straybird.hatenablog.com

 

最近増えてきたポータルサイト

仲間のイメージ

 

里山の仕事を募集するポータルサイトが増えているのを知っていますか?

 

でも、募集内容を見ると件数が少なく、現在募集中の案件が少ないのに気づきます。

 

案件が少ない理由はいろいろありそうで、もちろん過疎地域の人がそのような募集ができるサイトの存在を知らないということもあるでしょうね。

 

ただ、ぼくが町長ならポータルサイトを利用するのをためらいます。

 

だって、どんな人が来るかわからないじゃないですか?

 

ちょくちょく耳にする話ですが、地域活性化のコンサルタントを名乗る人と契約したものの、補助金をとってトンズラしてしまい、成果は何も残らなかった。

みたいな苦い経験をした地域もあるようなんですよ。

 

それよりは、まちとして小さなアクションをしたときに飛び込んできたよそ者で、街の人たちとも相性が良く、一緒にまちづくりに参加してくれる人を見つけたいと思うし、そういう人を介して一緒にまちづくりや仕事づくりを楽しんでくれる人や移住を希望する人を探してもらおうと思うんじゃないでしょうか。

 

というか、実情はそうやって回しているんじゃないかな?

 

これは、プロボノと企業を結びつけるサイトでも同じ様子ですが、もしかしたら日本人は、本物かどうか分からない人に来られるより、ど素人でも若者でも不器用でも、一緒にいると安心できる、人の良い、応援したくなる人を損得よりも優先させて仲間にしたいのかもしれませんね。

 

都会の喧騒から離れて生活している人たちは、とくにそう思うのかもしれないなあ。

 

以前、ある田舎の人から、

「もう年寄りばかりだし、このまま人が減って静かに廃村になってもいいと思ってる。

だから、コンサルタントとかはむしろ迷惑だ。」

 

という話を聞いたことがあります。

 

でも、若い人が生活のために移住してくれば、面倒を見ないわけでもないんですよね。

 

あくまでも、コンサルタントが補助金などを取るためだけに美味しいことを言って近づいて来るのと関わりたくないだけで、新しい人を受け入れないわけではないんですね。

 

上述したように、自称コンサルタントに何度も騙された地域もあるようですから。

 

だから、大っぴらに募集するより、人の縁で繋がるのに期待している気がします。

 

ぼく自身、関わった地域の人たちで、SNSやYouTubeでの情報発信にものすごく慎重な人たちもいらっしゃいました。

 

ちなみに、よそ者を受け入れなく徹底的に冷たい地域もあるのは事実で、そういう村は本気で廃村になっていいと考えているのでしょう。

 

これは、その地域のある市町村にとっては困ったことなのですが、そこに住む人たちが静かに暮らしたいだけだから放っておいてくれと言われれば、その意思も尊重しなければいけないんでしょうね。

 

SDGsへの個人的な疑問と社会奉仕活動

伝統的な祭りを守り続けるイメージ

 

ぼくも、いくつかの山村に行ったことがありますし、色々と聞く機会もあるのですが、企業が社会奉仕活動の一環として山村で山の管理の手伝いや環境保全として米作りをしていることが多いんです。

 

最近は、都市部のSDGsのグループがボランティアとして入ることもあるみたいです。

 

SDGsについての説明は他のサイトに譲るとして、このSDGs、最近、街を歩いてるとよく見かけるんですよね。

 

まず、ビジネスマンのスーツの襟についている丸いバッジ。

 

あと、名刺をもらうとついているマーク。

 

なんだか、現在は猫も杓子もSDGsですが、その様子っていつか見た光景なんですよね。

 

以前、企業で大ブームになったISO認証マーク。

 

あの時の光景にソックリなんですよ。

 

なんていうか、ほとんどの人にとってSDGsは企業のPR手段でしかない感じ?

 

もしくは、SDGsのマークが入っていないと仕事がもらえないと思っている感じ。

 

それって、日本中の企業がわれ先にISOを取得していた頃に似ていませんか?

 

たしかに、SDGsの理念と里山資本主義は相性がすごくいいと思うんですけど、そこを強調しすぎると、ブームに便乗したい人が里山を踏み荒らして、気づいた時にはぺんぺん草一つ生えない荒れ野になっていた、なんていうマンガみたいな結果が待っていないかと不安になるんですよね。

 

そもそも、田舎町と企業の関わりでは、プラスの面だけでなくマイナスの面も聞くことがあります。

 

この項の冒頭で書いた通り、田舎町と企業がウィンウィンの関係で関わることがあります。

 

でも、その一方で、究極、お金がほしい田舎町と、社会奉仕という実績の欲しい企業との利害の一致で結びついているだけなんていう場合もあるんです。

 

誤解されないように書いておきますが、田舎の人たちは最初から利害の一致だけで企業を受け入れている訳ではないんですよ?

 

もちろん、高齢化の進んでいる地域は肉体労働を一部肩代わりしてくれたり、遊びにきてくれるだけでもありがたいんですよ。

 

でも、いろいろと関わってきた中で失望することが続くと、企業の社員に山を年に2回くらい触らせて管理費がもらえるなら、もう黙ってやらせておこう・・・。

 

みたいなことも実際にあるんですよ。

 

だって、正直なところ、企業がちょっと田んぼをしてくれたり、山の管理伐採をしてくれても、町の寿命が伸びるわけではないじゃないですか?

 

住民の新陳代謝が起きるわけではないし、新たな経済圏ができるわけでもない、つまり何も変わらないわけですから。

 

持続性社会と言うのは易しですが、里山里海で持続性社会を築くには、よそ者として関わるなら相当な覚悟がいると言うことなんですよねえ。

 

とはいえ、カジュアルな関わり方を上手にしているグループもあるので、ちゃんと考えればやりようはある、ということなんですけどね。

 

 

おわりに気になったことと希望

里山の畑のイメージ

 

本書を読んでいて、気になったことがあるんです。

 

里山里海って、誰のものなんだろう?

 

こんな言い方は里山や里海に住む人たちに悪いかもしれないけど、田舎暮らしって現代では、都市部の企業社会、競争社会についていけなくなった人、人間関係などのなんらかの理由で街に住みづらくなった人にとっての駆け込み寺的な役割もあるんですよ。

 

そういう、ある意味、人間の再生・再起も可能な場所で、主導権争いのようなことが起こらないといいなあ、と思うんです。

 

どうしてそういうことを思ったかというと、本書でも里山資本主義の実践をサポートするためのコンソーシアムが紹介されていますし、ぼくも地方創生を主な事業にしている団体を知っていますが、今後、経済評論家が予想しているように、2021年からコロナの影響で大不況になったとき、国内の利益の食い合い、いわゆるマネー資本主義が国内農業などになだれ込んできたら、おかしな争いが起きる気がするんですよ。

 

現在でも、SNSを利用していると、収穫量が2倍になるとか、素人でも農業でも受けられるというようなことをうたったコンサルティングと思われる広告が表示されます。

 

ぼくは、里山里海は人を再生して新たなものを生み出す場所だと考えています。

 

すでにあるものを刈り取る場所ではない、と思うんです。

 

里山里海では、お互いを削りあうような都会のシェア争い的な発想はむしろ、場が持つ力を衰退させると思います。

 

本書を読んでも、里山資本主義はまだまだ道半ばで、正解っぽいことが見えてくるのはこれからなんじゃないかな?と思いました。

 

アフターコロナという言葉ができましたが、コロナによる不況が終わったころ、本書の続刊が出版されて里山資本主義がどのように進歩したのかという報告が読めたらうれしいなと思います。

 

 

 

進化する里山資本主義

進化する里山資本主義

  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

 

 

straybird.hatenablog.com

 

 

 

 

 

ブロトピ:本のおすすめ

もう沖縄なしでは難しいの〜[沖縄 若夏の記憶]を読んで思ったこと

沖縄宮古島の家イメージ

 

沖縄はいいよな~。

(志村けんのいいよなおじさん風で。)

 

沖縄は大好きで、毎年1度は遊びに行きたい、いやここ数年は実際に行っているんですよ。

 

空港で飛行機から降りたときの、本土とは違う空気の重さや肌触り?

 

居酒屋の千ベロで、お酒が2杯ついちゃう感じ?

 

全国のジュンク堂と同じはずなのに、沖縄本コーナーに立ったときのワクワク感?

 

でも、沖縄のきれいな景色に触れたとき、本当に沖縄が好きなら見ないふりはできないことがあるんですよね。

 

今回紹介する本は、沖縄の苦しみと寄り添う、そんな1冊もしれないです。

 

 

 

 

 

フォトエッセイ沖縄若夏の記憶イメージ
沖縄 若夏の記憶

著者:大石芳野

発行所:岩波書店

初版発行:2016年7月15日

 

 

岩波現代文庫シリーズの1冊です。

 

本書は、著者が沖縄返還直後から定期的に沖縄を訪問し、現代まで写真やその土地で暮らす人から聞いた話を記録し続けたものをエッセイとしてまとめたものです。

 

体裁はフォトエッセイですが、中身は沖縄の戦前から戦後、現在までの沖縄の人たちが戦争や炭鉱の時代に受けた痛みの体験談などの市民目線の歴史から、基地問題についても書かれていて、比較的重めのないように感じました。

 

那覇の辻の鎮魂イメージ

 

沖縄のレジャー以外で、市民の暮らしについて語ろうとすると、基地問題はどうしても避けられないんでしょうね。

 

基地問題となると、一歩引いてしまう人もいるかと思いますが、本書では戦争を実際に体験した人たち、命令で疎開させられた先でマラリアに苦しめられた人などの体験から、どうして基地がなくなって欲しいのか?ということが体験者の気持ちとして綴られています。

 

だから、基地について書かれているといっても、それはあくまでもそこで暮らしている人たちの記憶なんですね。

 

そこには、楽しい記憶もあるけど苦しい記憶も当然あって、その記憶を語るときに怒りの感情が出るのは想像できると思いますが、家族が目の前で爆撃され吹き飛んだ悲しい感情だってあるわけです。

 

ちなみに、もう少し基地問題を知りたいと思ったら、一緒にこのドキュメンタリーを観るとさらに深まるんじゃないでしょうか。

 

標的の島 風かたか

標的の島 風かたか

標的の島 風かたか

  • 発売日: 2019/05/25
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

ウルトラマンファンにもオススメかも

宮古島のオマワリ君イメージ

直接戦争とは関係ないですが、ウルトラマンの脚本家だった金城哲夫さんとその家族の壮絶なお話も出てきます。

 

ウルトラマンは、当時の社会情勢や環境問題などをストーリーの裏テーマにしているシナリオも多く、金城氏の手がけたシナリオも沖縄戦争などの経験が根底にあると分析する人もいます。

 

金城氏の帰郷後について、本書はけっこう深掘りして書かれているので、ウルトラマンファンにも貴重な一冊じゃないかと思います。

 

 

沖縄の工芸は面白い

琉球工芸の粋と言ってもいい首里城イメージ
 

もちろん、沖縄の文化、工芸についても書かれていますよ。

 

本書に出てくる品は、本土の効率や密集した空間ではなかなか生まれないだろうな、と思えるような、いい意味での沖縄のおおらかさを感じました。

 

 

伝統的な織物

沖縄の着物イメージ

 

宮古で絣織り(かすりおり)をしている人のお話があるんですね。

 

いわゆるUターンをして、絣織りをしている女性です。

 

絣織りというのは、琉球時代からの伝統的な技法で、日本でもよく見かける織物ですが、どのようなデザインが有名か?沖縄と本土のデザインの差などは文字で表すのが難しいので、気になる方はググってちょうだい。

 

海外から輸入される安くて、しかも質も悪くない絣織りに対して、どうしても高額になってしまう織物に、どんな価値を見出していくのかが描かれています。

 

 

 

トンボの羽

糸トンボイメージ

 

超極細の糸で、まるでトンボの羽のように透ける布を織っている人がいるんですって。

 

その人は、そのオリジナルな技法を、『あけずば織』と名づけたんだそうです。

 

『あけずば』とは、琉球の古語で『トンボの羽』のことなんだそうです。

 

この織物を作るようになった経緯など、興味深いですね。

 

 

昔の紙

f:id:ngyblog:20190228005801j:plain

雁皮を使った、昔の紙を復活させようとしている人の話もあります。

 

雁皮は紙の材料に使えるまで成長するのに20年かかるんだそうです。

 

だから、現在育てている雁皮は自分が老人になったときにやっと使えるようになる、すごく気の長い仕事なんですね。

 

それでも、雁皮に惚れ込んでいるなんて、素晴らしいじゃないですか?

 

 

 

最後に〜デリケートな問題を抱えた沖縄とぼくたち

宮古の海イメージ

 

個人的には、右とか左という狭い世界観で沖縄を語るのは好みません。

 

でも、沖縄を少しだけ深く知ろうとしただけでも、戦争などの被害を受けた地域という一面から目を剃らせないのも事実かなと思います。

 

本書を読むと、沖縄の人たちがこのままでは戦後の状況から新たな時代へ進めない理由が少しだけですが見えてきます。

 

沖縄の基地問題ってやっぱり、デリケートじゃない?

 

でも、そういう問題を理解しようとせずにレジャーを楽しむだけ楽しんだら、「さようなら~。」っていうのはなんだか、沖縄に住むひとの家に土足で上がってご飯を食べて、住んでいる人は御構いなしに大声で歌ったりクラッカー鳴らして騒いだあとで、片付けもせずに無言で帰っていくみたいで恥ずかしいというか、怖いというか。

 

いや、そもそも沖縄を家族と思えないことが、沖縄を置き去りにしている原因の1番目の問題という気がするし。

 

ん~~~、考えすぎかな?

 

すごく単純な話、ぼくたちは現在でも未来でも、カルチャーとして見ても、遊び場として見ても、自然の学び場として見ても、もう沖縄なしでは難しくないですか?

 

沖縄の空気を思い出しながら本書を読んでいると、そんな思いが浮かんでくるんですよね。

 

 

 

 

沖縄 若夏の記憶 (岩波現代文庫)

沖縄 若夏の記憶 (岩波現代文庫)

  • 作者:大石 芳野
  • 発売日: 2016/07/16
  • メディア: 文庫
 

 

 

 


 

  

straybird.hatenablog.com

 

  

 

 

 

 

 

忍者は実は超エリートビジネスマンだった?忍者学講義を読んで現代人も覚醒だ!

名古屋城イメージ

 

忍者

 

それは、現代に生きる日本人ならだれでも親しみや憧れを感じたことのあるキャラクターでしょう。

 

年配の方なら、猿飛佐助?

 

中年なら、仮面の忍者赤影、忍者ハットリくん、ガッチャマン。

 

忍者キャプターは、ちょっとマニアすぎる?

 

現在の20代から子ども世代は、シュリケンジャーとかニンニンジャー?

 

NARUTOや忍たま乱太郎なんていうアニメもあるか。

 

 

さすがは忍びというだけあって、様々な作品に姿を変えて日本人の生活に入り込んでいますね。

 

しかも、忍び込みに成功したのは日本だけでなく、世界中で成功しています。

 

今回紹介する本によれば、バットマンは忍者がモチーフの一部になっているとか。

 

それ以外では、B級映画が好きな人なら香港映画で少林寺と戦うだけでなく、アメリカやブラジルなど世界中の国でゾンビと戦ったり、またはゾンビとして戦ったりしています。

 

忍者はミステリアスで、だからこそ何をさせてもサマになる、世界中を探しても他に存在しないほど唯一無二のキャラクターじゃないでしょうか?

 

 

そう!

世界中を探しても存在しない。

 

存在しない?

 

いや、本当に存在したの?

 

 

と疑いたくなるくらい、実は日本人も本当の姿をよく知らない忍者。

 

そんな忍者を、学問として研究している大学があったとは!

 

今回は、その忍者の実像についての研究成果の一端を読むことのできる1冊を紹介します。

 

 

 

 

 

忍者学講義 (単行本)

忍者学講義

発行所:中央公論新社

著者:三重大学国際忍者研究センター

編者:山田雄司

初版発行:2020年2月10日

 

 

国際忍者研究センター?

松坂の古民家と桜イメージ
 

本書は、三重大学の国際忍者研究センターの先生方が1章ずつ受け持ち、忍者の世界を様々なテーマで調査・実験検証した成果がまとめられています。

 

忍者食から煙幕、諜報力に歩行術、芭蕉説から精神コントロールまで、文献として残る忍者が行なっていただろう技術について読みやすい文章でまとめられています。

 

というのも、本書はもともと、読売新聞の伊賀版・三重版で連載されている読み物「三重大発!忍び学でござる」から抜粋してまとめられたものだからです。

 

内容によっては、論文っぽい表現でわかりにくい部分、一般人にはオタクのマウントのようで意地悪く感じる部分もなくはないですが、そこはむしろ学術研究の『いい意味』で頭のかたさが出ているなと感じました。

 

ぼくは正直、忍者は江戸時代からファンタジーが入っていると思っているので、解釈をするにも人々の夢に土足でどこまで踏み込んでいいものなのか?

ということも考えなければ、新聞の連載で研究成果を発表するなんて勇気がいると思うんですよ。

 

でも、忖度なしにファンタジーを否定し、忍者の実像をあぶり出していくのはむしろ、忍者の世界観を広げて豊かにする結果になっているんですよね。

 

著者のみなさんと、編者の山田さんの好連携で、一般読者にも楽しめる文章に仕上がったんでしょうねえ。

 

 

ただ、国際忍者研究センターという名称は、なんか頭がくらくらしませんか?

 

常磐ハワイアンセンターのような世界観、摩訶不思議な術中にはまっているような気分です。

 

研究センターを、研究の館みたいな表現にできなかったんですかねえ?

 

それで、名誉館長を舘ひろしさんにしてもらうの。

 

 

 

忍者食と古酒の関係について妄想してみた

泡盛メーカー咲元イメージ

本書では、忍者食についての研究成果が書かれていて、その中で忍者食のひとつ、飢渇丸の作り方が書かれています。

 

この飢渇丸、3年ものの古酒に浸すという工程があるそうで、この章の著者である久松眞名誉教授は、この古酒の解釈に悩まれたそうです。

 

ただ、ぼくの勝手な解釈だけど、この古酒は当時の琉球産の泡盛と解釈していいんじゃないかな?と思いました。

 

飢渇丸の作り方が書かれた忍術書『万川集海』は400年くらい前の書物のようですが、以前、このブログで紹介した『泡盛の文化誌』に気になる記述があったんです。

 

straybird.hatenablog.com

 

『泡盛の文化誌』の第三章、王国時代の泡盛に、[3、江戸の泡盛事情]という項目があります。

 

そこでは、慶長・元和年間(1596~1623年)ごろの徳川氏と武将などの言行録が書かれた、真田増誉著『明良洪範』で、琉球泡盛について書かれています。

 

その書物には、『琉球の泡盛は上質で薬効がある』と記述されているそうで、400年前にはすでに量は少ないですが島津藩経由で泡盛が流通していたのは間違いないようです。

 

また、当時、琉球の泡盛の作り方が九州地方に伝わって、麹の種類が琉球と同じか、もしくは九州の風土の影響で変化した麹で作られた焼酎が存在したようです。

 

さらに、琉球の泡盛には、『しつぎ』という古酒には欠せない手法があるのですが、この手法と蒸留酒だからできる長期保存、そして長期保存した方が酒が美味しくなることを知っていた琉球から古酒という文化と言葉が日本に伝播したんだと思います。

 

そういう時代背景があった上で、飢渇丸の作り方にわざわざ「3年ものの古酒に浸す」と表現していることを考えると、古酒はやっぱり琉球産の古酒か、島津藩あたりで泡盛の製造法を真似て作られた焼酎を指すと考えた方が普通かなと思いました。

 

まあ、たまたま泡盛の文化誌を読んでいたために思いついた、素人推理なんですけどね。

 

 

 

忍者の仕事と心理学

瞑想の姿勢イメージ

 

個人的に興味深かったのは、精神科医の見地からの章です。

 

忍者の仕事は、常に命の危険と隣り合わせ。

 

だから、常に冷静でいられるように精神のコントロールができなければ務まらないというんですね。

 

そこで、コントロールの方法として、忍術書に残されている有名な「臨!兵!闘!者!」と印を結ぶ方法と、いくつかの呼吸法についての解説があります。

 

個人的に気になったのは、逆腹式呼吸法を忍者が使っていた可能性があることでした。

 

逆腹式呼吸って、瞑想するときに使うといい呼吸法なんですよ。

 

呼吸は、一般的に力が入っているときに交感神経が活発になり、力を緩めると副交感神経が優位になるらしいんです。

 

あなたがいつもやっている深呼吸を、今からちょっとやって見てほしいんですけど、普通にやると吸うときにお腹が膨らんで、吐くときにお腹が引っ込みますよね?

 

このとき、息を吐き出そうとするからお腹を引っ込めるために力が入っているはずですが、自分の体を観察してみると、何気に吸っているときにも力って入っていませんか?

 

そう考えると、普通におこなう深呼吸って、何気にずっと交感神経が活発な状態になりがちなんですよ。

 

そうすると、リラックスしているときに優位になる副交感神経になかなか切り替わらないんですよ。

 

だから、通常の深呼吸は、緊張状態が続いて呼吸が浅くなっているときに、肺を大きく膨らませて酸素をたくさん吸収する目的には十分な効果があるのですが、精神を瞑想状態に近いリラックスに持っていきたい場合には向いているとは言いにくいんです。

 

だから、瞑想のときには逆腹式呼吸を使って、息を吐くときにお腹の力を抜くことで体の緊張を解いてリラックスしていくほうがいいわけです。

 

でも、ここでひとつ問題があるんですねえ。

 

瞑想をしたことがある人はわかるかもしれませんが、瞑想をすることは誰でもできるけど、瞑想の理想的な意識状態にいつでも入れるようになるには、1ヶ月や2ヶ月したくらいではなかなか難しいんですよ。

 

だから、毎日30分でもいいから、コツコツと続けることが大事なのですが、この『コツコツ続ける』ことの意味がわかると、忍者の呼吸法だけでなく、印を結ぶ効果がわかるはずなんですね。

 

たとえば、瞑想で逆腹式呼吸を続けていると、だんだん逆腹式呼吸をするだけで瞑想しているときのリラックスした状態に一瞬で入れるようになります。

 

これをパブロフの犬で例えるのはあまり適しているとはいえませんが、なんとなくイメージしやすいのじゃないかな、と思うんですけど?

 

こういう風に、心身を一瞬で再体験させることを認知機能科学ではアンカーとかトリガーという言葉で表現するのかな?

 

瞑想の理想的な精神状態をアンカーを脳に設定し、逆腹式呼吸をトリガー、つまり引金として設定することで、犬が呼び鈴を聞いただけでよだれが出るように、逆腹式呼吸をした瞬間に瞑想の精神状態に一気に切り替わるようになるんです。

 

実際に、修行を積んだお坊さんなども、2~3回の呼吸で理想の精神状態に入れるといいます。

 

この域まで呼吸法を訓練できていれば、忍者が忍び込むような緊張する場面でも、数回の呼吸で一気にリラックスできるようになれたんじゃないでしょうか。

 

 

忍び猫イメージ

 

あと、印を結ぶ効果もトリガーとしての役割が大きいんだと思います。

 

ついでにいうなら、忍術って現代では催眠術者が引き継いでいることがあるのですが、催眠術や気功の世界も立ち入ってみると、集団に一気にかけてしまう技術があるんですよ。

 

これも意識状態の使い方で可能になるのですが、おそらく印を結ぶ場合は、軍団長みたいな人が軍団全員を一気に理想的な意識状態に導くときに利用したんじゃないかな?

と思いました。

 

いや、知らんけど。

 

 

 

まとめとして忍者ってやっぱり魅力的

現代の忍者のイメージ

 

本書は、確かに忍者の実際の姿を追求しているのですが、一方で江戸時代までの日本が持っていた技術や知識を洗い出す作業にもなっていると思いました。

 

本書では、忍者食や心理的な話題以外に、忍術書として残されている薬草や煙幕、火薬の技術などが実際にどれだけの効果があったのかについて実験した結果が書かれています。

 

それを読んでいると、忍者って相当レベルの高い知識を持った技術開発者のような存在だったのかもしれないと思いました。

 

さらに、武将を寝返らせるための人心掌握術にも長けている人もいたりして、忍者集団が現代にいれば相当すごい中小企業ができてるんだろうなと思うんですよ。

 

いや、ある意味では、リーマン・ショック以前まではそんな中小企業はあったんじゃないかな?

とも思えてきます。

 

以前、よく言われていたのは、日本の企業は新しいオリジナルの技術を生み出すのは得意ではないが、海外で生まれた新し技術を使いやすく低価格で売れるように改良するのは得意だという評価でした。

 

忍術もおそらく、中国の謀略術や薬学を国内で利用しやすいように改善し、パル尖るなどから火薬の技術が入って生きてからは、自分たちの活動にどう生かすことができるかと研究して行ったのではないでしょうか。

 

その姿を想像すると、忍者は現代の研究者や技術者にはない周南な発想を求められる視野の広いスペシャリストだったのではないでしょうか?

 

ただし、下働きというか、武芸に特化していた忍者は、江戸の平和な世の中になると一気に仕事を失い、その中で生活をするために忍法の流派を後付けで考え出し、場合によっては旅芸人になって全国を回りながら、見た目に派手な技を披露していくうちに、超人的な忍者像が庶民の中で広がっていったんじゃないのかな?

と思っちゃいました。

 

そういう忍者像が広がっている現代に、三重大学が研究していることはおそらく、もう一方で国のために諜報技術などを駆使して働いていたスペシャリストの忍者のほうが後世のために残していたリアルな忍術なのではないでしょうか?

 

そう考えると、超エリートビジネスマンを目指す働く人にとっては、島耕作よりも忍者の方が魅力的に映っても不思議ではないですよね。

 

 

 

 

忍者学講義 (単行本)

忍者学講義 (単行本)

 

 

 

 

  

straybird.hatenablog.com

 

  

 

沖縄が好きなら必読の一冊!泡盛の文化誌-沖縄の酒をめぐる歴史と民俗

沖縄県立博物館・美術館イメージ

 

日本の中でも、独自の酒文化を持つ沖縄。

 

沖縄といえば泡盛!

 

とはいえ、お酒が好きな人なら泡盛と九州の焼酎との関係が気になったり、泡盛と食文化について知りたいという人もいるのではないですか?

 

今回は、泡盛の歴史についてまとめられた本を紹介します。

 

泡盛が好きなら、泡盛学を極めましょう!

 

 

 

 

泡盛の文化誌新装改訂版イメージ

泡盛の文化誌<新装改訂版>

沖縄の酒をめぐる歴史と民族

著者:萩尾俊章

発行所:ボーダーインク

初版発行:2004年12月10日

新装版:2016年1月20日

 

 

 

泡盛の名前の由来

首里城イメージ

 

泡を盛る。

 

アジア地域に現在も残る、蒸留酒のアルコール度数の高さを確認する方法として、お酒を高い位置から注いで泡立ち方を観察するというものがあるんだそうです。

 

沖縄でも、かつてそうやって確認する方法が残っていた地域があって、そこから泡盛と呼ばれるようになったのではないか?

というのが、近年有力な説なんだそうです。

 

ちなみに、よく泡立つほうがアルコール度数が高く、たいていは1番泡立つお酒と2番目に泡立つお酒を混ぜて完成させるんだそうです。

 

 

前田慶次が刀傷を消毒していたのは泡盛?

咲元古酒イメージ
 

江戸時代、焼酎はアルコール度数の高さから刀傷の消毒用として武士が利用していたんですって。

 

その中でも、泡盛はとくに薬効が高いとされ珍重されていたんだそうです。

 

マンガ『花の慶次』で、前田慶次が山上道及の刀傷を小便で洗い流したあと、お酒で消毒するシーンがあるのですが、それがもしかしたら泡盛だったのかもしれませんね?

 

 

 

花の慶次 ―雲のかなたに―  18巻

花の慶次 ―雲のかなたに― 18巻

 

 

  

 

泡盛は臭くてクセが強い!と悪印象を持たれていた時期は戦後だけの話?

守礼門イメージ
 

大島渚監督の映画、『夏の妹』を知っていますか?

 

1972年の返還後の沖縄を描いた作品で、当時のコザの街並みや首里城の守礼門なども映っているので興味のある方にはオススメなのですが、その劇中で泡盛をくさいと言いながら飲むシーンがあります。

 

 

夏の妹

夏の妹

  • 発売日: 2018/04/18
  • メディア: Prime Video
 

 

 

泡盛は昔から、米が手に入らない年はサツマイモや黒糖、あげくはソテツまで、黒麹で発行できるものならなんでも使って醸造していたそうなんですよ。

 

だから、戦後の進駐軍による禁酒令や土地の接収で農地を失い、泡盛を作るための材料が不足していた時期には、当然ですが醸造環境もろくに整っていない環境で粗悪な原料を使って泡盛を作っていたはずです。

 

そういう条件で醸造された泡盛が美味しいか?

香りが良くなるか?

と考えると、ちょっと難しいですよねえ。

 

泡盛の品質向上を目指して研究しだしたのが日本へ返還された1972年以降ですから、1972年ごろの泡盛はまだ質が低くて、味や香りのいい泡盛にはなかなか出会えなかったのは想像できますよね。

 

 

本書とは関係ない個人的な泡盛の思い出

沖縄ぜんざいイメージ

 

ぼくのような、本州で生活する日本人にとって泡盛というのは、2000年ごろまでは沖縄料理のお店で残波が飲めるくらいじゃなかったでしょうか?

 

なにせ、九州の焼酎ですら名古屋で飲めるのは『いいちこ』や『二階堂』くらいで、ちよっとこだわったお店で『天使の誘惑』や『ダバダ火振』があるかな~?

という感じだったと記憶しています。

 

たぶん、2005年ごろから焼酎ブームで様々な銘柄をおくお店が増えていったイメージがあって、それとともに泡盛も飲める選択肢が増えたんじゃなかったかな?

 

宮古島の海のイメージ

 

『菊之露』のような有名銘柄だって、宮古島の酒造メーカーだからなのか名古屋ではあまり見かけなかった気がします。

 

菊之露は、ほかの泡盛に比べて甘い香りで口当たりもよくて、泡盛が苦手という人でも飲みやすいいいお酒だと思うんですけどね。

 

ちなみに、菊之露って元々は和歌山県出身の人が宮古島に移住して造っていた泡盛を引き継いだものなんですって。

だから、泡盛が苦手な人でも飲みやすい口当たりになっているのかな?

 

 

あ、話が脱線した。

 

 

実は、ぼくも泡盛は苦手というか、わざわざ選択肢ないお酒でした。

 

理由はやっぱり、クセが強くてたくさん飲めない感じがしていたんです。

 

でも、それは違ったんですね。

 

どうやら、名古屋の沖縄料理を出す居酒屋チェーンの料理が沖縄県で食べられている味と少し違っていたようなんです。

 

だから、泡盛が料理の味と合っていなかったんですね。

 

また、沖縄では泡盛を水で割って飲むことが多いようですが、この水割りというのが泡盛と料理を味わう上で大切のようなんですね。

 

沖縄で以前入ったお店では、すでに水で割った泡盛をカラカラという小さい急須のような形の器に入れて出てきました。

 

どうやら、泡盛は水割りにしたときに香りが立って旨みを感じやすくなるお酒なんですね。

 

それを飲みながら、「ああ、泡盛ってこういうお酒なんだ。」って気づかされたんです。

 

そして、有名な牧志公設市場のとあるお店で、店主さんが普段出していない泡盛を飲ませてくれたことがあったのですが、これが美味しかった!

 

その体験で、泡盛のイメージが一転して好きになったんですよ。

 

その泡盛がなんだったか、お教えしましょうか?

 

それは、咲元酒造の『咲元』です。

 

この醸造所は、首里城の近くにあります。

 

咲元外観イメージ

 

この咲元は、名古屋では見かけたことがないんですよね。

 

東京の沖縄料理のお店なら置いてるのかな?

 

個人的には、他の有名銘柄より旨味を感じて飲みやすい泡盛だと思っているんですけどね。

 

泡盛って、現在は50件くらいのメーカーがあるのかな?

 

もちろん、ぼくはまだ、ほとんどの銘柄を飲んだことがないので、今後もっと美味しいと感じる泡盛に出会うかもしれません。

 

でも、それがいいんですよね。

 

日本酒もそうですが、そう簡単には手に入れられないお酒もあって、なかなか制覇することは難しいですが、たくさんの種類があるからこそ、ある日突然の出会いがまだまだあるわけで、それが楽しみでもあるんです。

 

 

咲元 咲元 30度 1.8L  [泡盛/沖縄県]

咲元 咲元 30度 1.8L [泡盛/沖縄県]

  • メディア: 食品&飲料
 

 

 

 

まとめとして

やぎの刺身イメージ

 

泡盛の他にも、沖縄には独自の食文化があります。

 

山羊料理は代表格じゃないですか?

 

そういう食文化と共に育ってきたお酒が、泡盛なんですよね。

 

沖縄の文化は、現在の泡盛で使われるお米がタイ米であることからもわかるように、アジア大陸の文化とも繋がっています。

 

つまり、泡盛を含めた沖縄の文化は離島も含めると膨大な情報量だと思いますが、本書は、約200ページの中に泡盛の成り立ちから沖縄の文化までをコンパクトにまとめられていて、沖縄初心者にも理解しやすい良書です。

 

沖縄はリゾート地としてたしかに素晴らしいですが、日本人ならその歴史や文化も大切に学びたいものですね。

 

そこには、本土に住む人たちにも大切な文化のルーツがまだまだ眠っているはずです。

 

ちなみに、沖縄には独自の出版文化があります。

 

皆さんも、沖縄に行った際には本屋で沖縄の出版社が発行した沖縄本をお土産に買ってくださいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

ブロトピ:はてなブログの更新報告♪

ブロトピ:本のおすすめ

 

[続怪奇亡霊大百科]心霊ホラーブームの絶頂期発行にふさわしい内容にドキッ!

大百科タイトルイメージ

 

ケイブンシャの大百科は、1970~1980年代生まれの人なら一度は目にしたことがあると思うシリーズです。

 

今回は、そのシリーズの中でも、たぶん人気ジャンルだった怪奇ものを紹介します。

 

 

 

 

 

続怪奇亡霊大百科表紙イメージ

続怪奇亡霊大百科

シリーズNo.336

発行所:勁文社

初版発行:昭和63年(1988年)7月22日

 

 

 

本書の構成

表紙裏のイメージ
 

まず、続を紹介する理由は、単に古本屋で見つかったのが俗の方だっただけで、とくに深い理由はありません。

 

[収録内容一覧]

・実際に起こった恐怖の事件

・実録!ホラー体験

・恐怖のホラーまんが

・ミステリー小説

・ミステリーアドベンチャーゲーム

 

 

実際に起こった恐怖の事件
 

実際に起こった恐怖の事件は、編集部に実体験の手紙を送ってくれた読者にインタビューした体で書かれています。

 

収録されたインタビューは、

 

・自殺した中学生の亡霊におびえる

・野良犬の死霊がすみついた墓地

・巨大化した魚が襲ってくる!

・呪われた男がゾンビに!

・深夜のコインロッカーに浮かぶ霊

・飛び込み自殺者の霊が招くホーム

・クモの霊に呪われた男

・トラックにひき殺された女性の霊

 

 

という感じなのですが、いかにもな話からちょっとイっちゃってる話までバラエティーに富んでいますね。

 

クモの霊に呪われた男なんて、トンボやチョウチョを食べていますからね。

 

虫を食べるって、それは呪ったんじゃなくて乗っ取ったんじゃん。

 

って思ったんですけど、そんなことをいうのは野暮というものですよ。

 

子供のころにこんなの読んだら、きっとクモを殺せなくなりますよね。

 

 

 

恐怖のホラーまんが

 

裏表紙に書いてある順番は、実録!ホラー体験の次に恐怖のホラーまんがなのですが、実際はホラー漫画の方が先のページに載っています。

 

収録作品

恐怖のホラー映画館

マンガ家:つなん京助

 

内容は、すごくリアルなホラー映画を観にきたはずが、いつの間にか自分が・・・。

みたいなノリです。

 

きっと、子供のころに読んだら、眠れなくなったんだろうなあ。

 

 

 

実録!ホラー体験
 

実際に起こった恐怖の事件と同じ感じで、読者から届いた体験記をもとに取材をしたという体で書かれています。

 

収録内容は以下です。

 

・海で溺死体に足をつかまれた!

・人面疽を自分で切り取った男

・殺して捨てた子供が蘇ったか?

・寄生虫に喰い殺された子供

・岩の間から助けを求めた遭難者の霊

番外編シリーズ

・悪夢の中に死を招くマンション

・海へ跳び立った少年のバイク

・呪われた軍刀の謎

 

 

なぜ途中から番外編になるのか、理由は良くわかりません。

ストーリーのタイプがちょっと違うからかな?

 

単に見栄えがするからっていうだけな気がしますけど。

 

それより、人面疽の話は何か読んだ気がしたのですが、たぶん子供のころにこの本で読んだわけではなさそうです。

 

思い返すと、当時、人面疽はホラーの定番ネタだったんですよね。

 

大抵のホラー系の本で、人面疽ネタが扱われていたはずです。

 

どうして、定番ネタだったんだろう?

雑誌のムーで特集が組まれたことがあったのかな?

 

これは、ぼくの根拠のない想像なんですけど、ぼくが小学生のころ、1980年代までは夏になると学校で頭にシラミが湧いたときの対処法が書かれたプリントが配られていたんですよ。

 

令和の現代では、頭にシラミが湧くなんて聞いたことがない人もいそうですが、当時はいたらしいんですよ。

 

らしいと言ったのは、ぼくの周りの子でシラミが湧いた子どもなんていなかったからです。

 

でも、当時配られたプリントから、全国的に見れば、まだまだシラミが湧く環境で生活していた人がいたという証拠だと思うんですよね。

 

ということは、わりと不衛生な環境で生活しているせいで、体に大きなデキモノができる人もいたんでしょう。

 

それで、人面疽というネタにもリアリティがあったんじゃないかな?

と思うんですよね。

 

 

 

グロい写真が使われた背景を考えた

グロテスクなページイメージ

 

個人的には、巻頭カラーで使われている写真が印象的なんですよ。

 

ケイブンシャの大百科って、小学生向けのシリーズだったはずなのに、なかなかのグロテスクなものを使っていると思いませんか?

 

それで、グロいシーンが使われた背景をちょっと想像してみたんですけど、もしかしたらギニーピッグの影響があったんじゃないでしょうか?

 

もう少し具体的に言うと、ギニーピッグ自体がというより、その当時は映画でスプラッター系の作品がブームというか、花盛りだった気がするんですよ。

 

たとえば、

 

本書が発行されたのは1988年ですが、当時の劇場公開映画を調べてみると、スプラッターの名作「ヘル・レイザー」が公開されていますね。

 

邦画だと、「帝都物語」か。

 

前年の1987年を調べてみると、ありますね~。

 

「悪魔の毒毒モンスター」

「ザ・フライ」

「悪魔のデビルトラック」

 

でた!

「死霊の盆踊り」

 

邦画だと、「ゆきゆきて神軍」。

いや、ある意味怖い作品だけど、これはホラーですらないか。

 

 

ちなみに、翌年の1989年を調べてみると、「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」が公開されていますねえ。

 

この作品は、当時の日本でいかに心霊やホラーのブームが来ていたかがよくわかる、代表的な映画じゃないですか?

 

オペラ座イメージ

 

ダリオ・アルジェント監督の「オペラ座 血の喝采」は、知る人ぞ知る名作ですけど、これも1989年だったんですねえ。

 

あ!「悪魔の毒毒モンスター 東京へ行く」もこの年だ!

 

しかも、「13日の金曜日PART8 ジェイソンN.Y.へ」もこの年!

 

ホラー界のモンスターが、出張した年だったんだ(笑)。

 

どうでしょうか?

1988年前後に、わりと有名なスプラッター系ホラー映画の公開が相次いでいると思いませんか?

 

ぼくの記憶でも、テレビの深夜枠で悪魔の毒毒モンスターが流れていたくらい、スプラッター系の作品が流行っていました。

 

そういう時代背景で、子ども向けの本にもグロテスクな写真を使いたくなるくらい、世間の怖いもの見たさがエスカレートしていて、見る側も感覚が麻痺していたんじゃないかな?

 

 

1988年の蛇足な補足

1990年になると一転、スプラッター系の公開はぐっと減ります。

 

それには理由があって、1988年から1989年というのは宮﨑勤の連続誘拐殺人事件が起きた年だったんです。

 

覚えている方もいらっしゃると思いますが、事件が発覚したときに宮崎の部屋からギニーピッグ4のビデオが見つかり、事件とスプラッター映画を関連づけての報道が相次いだ結果、ビデオレンタル店がホラー映画の貸し出しを自粛したり、テレビでの放送を自粛する動きが広がったんです。

 

おそらく、映画館もスプラッターシーンのある作品の公開を自粛したんだと思います。

 

ここでギニーピッグというが出てくるわけなんですけど、このシリーズは1985年から1990年まで続いていたようなので、当時は相当な変態スプラッターでも需要があるくらいのホラーブームだったことが考えられます。

 

蛇足の蛇足ですが、たしか宮崎の部屋から出てきたギニーピッグは、女医役としてピーターが出演という話題が流れていたはずなので、4作目のピーターの悪魔の女医さんのはずです。

 

 

 

ミステリーアドベンチャーゲーム

これ位に沈んだ村のイメージ

湖底に沈んだ村

が収録されています。

 

どんなゲームかというと、当時ゲームブックというのが流行っていて、本屋に行くと本棚の1段をゲームブックが占領していた時期があったんですよ。

 

どういう風に遊ぶかというと、たとえば物語を読んでいると、

右に進む→10ページへ

左に進む→15ページへ

という選択肢が出てきて、それを選択しながらストーリーを読み進めていく中で、バッドエンディングになったり、本当のエンディングにたどり着けるようにできていたんです。

 

いまもそういう本て売っているのかな?

 

ぼくは小学生のころ、ファンタジーRPG風のゲームブックにけっこうハマっていたんですけどね。

 

こういうゲームも載っているところにも、時代を感じますねえ。

 

 

 

本書のなにげに要チェケラなところ

昭和のファッションイメージ

 

ちなみに、

愛読者アンケートの送り先が、なかなかのユルさで震えます。

 

ホラホラほらー係

 

こういうノリ、昔のこういうタイプの本やゲーム関連本で見かけた気がします。

 

昭和のころの本やゲームのマニュアルって、ほとんどの人は注目しない部分でゆるい遊びが隠れていたりして、そこが面白かったりするんですよね。

 

マンガでも、マンガ家がコマの外に手書きでこちょこちょとツッコミや関係ない話題を書き込んでいて、それも面白かったじゃないですか?

 

そんな、なんだか温かみを感じる遊びが昭和の面白さのひとつだった気がします。

 

 

 

まとめ

昭和の団地の風景イメージ

 

いえ、別にまとめることなんてなにもないんですけど。

 

とりあえず、使われていた写真や内容から、心霊・ホラーブーム絶頂期に発行されたことが騒動できませんか?

 

先述したように、1989年を境にスプラッターは自粛傾向になりました。

 

でも、時代的にはそこから1999年に向かって、スプラッターよりも陰鬱なオカルトが蔓延していくんですよね。

 

皆さんもご存知のように、カルト宗教による終末思想の拡散から戦後最悪の、あのサリン事件が終結するまで、日本はどこか狂った時代が続きました。

 

本書が売られていたころの心霊やホラーって、子供でも楽しめるポップなものだったと思うんですよ。

 

それが、気づかないうちに大人が取り込まれていってしまい、ただただいびつでグロテスクなものに育っていってしまったんですね。

 

そんな現実に、心霊やホラーの本質が透けて見える気がするのは、ぼくだけでしょうか?

 

 

 

 

 

straybird.hatenablog.com

straybird.hatenablog.com

 

 

オペラ座 血の喝采 完全版 [Blu-ray]

オペラ座 血の喝采 完全版 [Blu-ray]

  • 発売日: 2014/07/25
  • メディア: Blu-ray
 
死霊の盆踊り デラックス版 [DVD]

死霊の盆踊り デラックス版 [DVD]

  • 発売日: 2005/07/22
  • メディア: DVD
 

 

 

 

 

無駄と余白のあった昭和の記録[裏昭和史探検 風俗、未確認生物、UFO…]

昭和の街の入り口メージ

 

平成の終わりから令和にかけて、若い人の間ではちょっとした昭和ブームが来ているそうですね。

 

たしかに、昔、名古屋の遊郭があった場所にもカメラを持った女性が歩いているのを見かけることがあります。

 

最近では、スナックが若い女性にも人気があるらしいですけど、ちょっと前なら考えられない光景です。

 

昭和の時代が、ある意味魅力的に映り、どうしてこうも興味を引くのか?

 

それはきっと、アホが無駄に大発生していたことが理由の一つじゃないかな?

と思うんですけど・・・。

 

時代としてはずいぶんと長かった昭和の、教科書には決して載らない歴史をまとめた本を紹介します。

 

 

 

 

 

『裏昭和史探検』風俗、未確認生物、UFO・・・

裏昭和史探検

風俗、未確認生物、UFO…

著者:小泉信一

発行所:朝日新聞出版

初版発行:2019年3月30日

 

  

 

本書の構成

赤線だった場所のイメージ

本書の3分の2は、戦後の赤線、青線に始まり、ストリップからイメクラ、AVへとさまざまに枝分かれしながら進化してきた風俗史といってもいいです。

 

残りの3分の1は、カッパやツチノコなどのUMA系と国内UFO伝説という、B級ネタが好きな人にはたまらない構成となっています。

 

ただし、 話題はB級ですが、一つ一つの内容は辞書的な役目を果たすくらい情報量が多く、でも読みやすいちょうどいい文章量です。

 

さすがは、新聞記者さんが取材してまとめた文章ですね。

資料的な価値がありますよ。

 

 

 

昭和のデタラメなパワー

 

それにしても、本書を初めから読み進めていくと、戦後の高度経済成長期の波に乗った欲望を叶えようとするパワーはすごいなと感じます。

 

 

ストリップ

劇場の看板イメージ

現在も生き続けるストリップは、最初は額縁ショーから始まっているんですよね。

 

裸の女性が額縁を持って立っているだけ。

 

それでも、戦後の気分が沈んだ日本社会では大ウケだったんですって。

 

そこから、ストリップはさまざまに進化していき、現在のストリップ劇場は女性客もちらほら、というかけっこうな人数いるんですよね。

 

ストリッパーなんて、ほとんどアイドルですよ。

 

チェキを撮っているなんて、地下アイドルの現場と変わらないじゃないですか?

 

 

 

 

 

 

喫茶

喫茶店のゲームテーブル

 

一方で、現在はおそらく絶滅したノーパン喫茶は、その後すぐにノーパンしゃぶしゃぶ、ノーパン牛丼にまで進化?していったんですよ。

 

もう、発想が「どんだけ面白いことしたろかな!」という方向に行ってしまって、オーナーは本当にエロい店を作ろうと思っていたのかな?と疑わしくなってしまう進化っぷりですよね。

 

本書にも書いてありましたけど、こういういい意味でアホなお店は、やっぱり大阪発祥だったそうです。

 

 

小屋

見世物小屋の女のイメージ

 

取り上げられているのは、性風俗だけではないんですよ。

 

見世物小屋についても書かれています。

 

たぶん、30代以下の人は知らないでしょうし、40代でも実際に見たことがある人はものすごく少ないんじゃないかな?

 

見世物小屋は、神社などのお祭り会場でテントや小屋を建てて、蛇女とか人魚がいるというお化け屋敷のようなドキドキ感を売りにするいかがわしいものです。

 

ぼくも中に入ったことはないんですけど、蛇を持った女性が座っていたり、絵が飾ってあるだけみたいなパターンもあったりする感じの、昭和世代なら一度は経験のある、

「ヤラレタ~~~!」

「ギャフン!」

的なノリのものが多かったようです。

 

なんていうのかな?

 

昭和の時代って、真顔で訴えようとするのではなく、

「なんだよ、ちくしょー!」

って言うところも含めて遊びのものって、結構あったんですよ。

 

たとえば、ガチャガチャ。

 

今でいうと、ガシャポン?

 

あれって昔は相当いい加減で、コスモスっていう大型のガチャマシーンはバッタモンキャラのオモチャがたくさんあったことで有名ですが、普通のガチャガチャだって全然負けていなかったんですよね。

 

たとえば、水につけると恐竜が産まれるという、『恐竜の卵が入っている!』と書いてあるガチャガチャがありました。

 

30円くらいで回せたと記憶しているんですけど、実際に出てくる景品は全然違うものばかり。

 

「おかしいな?」

と思いながら、ケースのイラストをよく見てみると、

 

『入っていないのもあるよ。』

 

と小さな字で書いてあったんです。

 

そんなウソは、当たり前すぎてむしろ面白かったんです。

 

駄菓子屋なんて、そんないかがわしさの宝庫だった気がするんですけど、その最たるものが見世物小屋だったんだと思います。

 

でも、見世物小屋にはもう一つの顔もありました。

 

色々と体に不自由があって、普通に働けない人を受け入れられる場所でもあったんですね。

 

現在は、ミゼットプロレスすら差別扱いで消えてしまったほどですから、見世物小屋が成り立つわけもなく、ぼくが最後にいかがわしい看板が付いた小屋を見たのは、たぶん1999年前後に、福岡の箱崎宮の祭り会場だったはずです。

 

 

余談:テープ

カセットテープのイメージ

 

余談ですが、1999年ごろまでは、ゲームセンターのUFOキャッチャーの景品に、

ラブホテルで録音された音声テープ

みたいなものがあって、聴くとわざとらしい喘ぎ声が入っている。

なんていう景品がありました。

 

そういう、

「こんなもの、どこに需要があるんだ?」

と思ってしまうヘンな物が、ごく普通のゲームセンターに紛れているのを見つけたときのワクワク感が面白かったんですよ。

 

 

 

レジェンドとの対談は必読

f:id:ngyblog:20191122000453j:plain

 

本書には、昭和のエロ本界のレジェンド、末井昭氏との対談も載っています。

 

末井昭氏については、かなりくわしく書かれた本がいくつかあるし、ご本人も自伝のような本を出されているので、くわしく知りたい方はそちらを読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、本書が発行された前後には、当時のエロ本文化を改装するような本や雑誌がいくつか発行され、末井氏の対談や手記のようなものを見かけることが多かったので、探してみるのも面白いと思います。

 

さて、本書の対談ですが、朝日新聞の記者として、昭和の風俗界を取材してきた著者と、昭和の風俗界の一翼を担ってきた末井氏が語る、ノーパン牛丼屋まで現れるほど何でもありだった時代背景と裏話は、「ああ、あのころの街を探索できたら・・・。」と思わずにはいられなくなります。

 

 

 

UFO伝説の章も面白いよ

宇宙人のイメージ

個人的にちょっと想定外だったのは、UFO伝説のルポ記事が面白かったことです。

 

本書の構成も、3分の2が昭和風俗史であるように、ぼくも昭和のわい雑な世界で知らない情報はないか、ということが本書を読むきっかけだったんです。

 

でも、このUFO伝説は大昔から昭和の時代にかけて日本国内でUFOと疑われた事件や文献について調査したルポだったんですよ。

 

当時、新聞で取り上げられるくらい世間を騒がせたUFO事件の現場へ、著者が赴き取材したことが書かれているんです。

 

だからなのか、内容はオカルト的ではなく、当時の世情を振り返るような構成になっています。

 

とくに、三島由紀夫から吉田類まで出てくるUFO話って読んだことがなく、かなり引き込まれました。

 

 

 

 

終わりに~無駄と余白

解体中の遊郭跡イメージ

 

ぼくは、旅先で名所旧跡へはほとんど行かず、その街の住人になったつもりでぶらぶらと歩き、地元の人に愛されているようなお店でボーッと過ごすのが好きです。

 

今風の通りを避けて路地裏を散歩しながら、昭和の面影を見つけては、自分が子供だったころの風景やテレビで流れていた情報を思い出しながら、そこにあった当時の賑わいを想像します。

 

最近では、街もエンターテイメントもスマートに効率化されすぎて、時に窮屈に感じてしまうことがありますけど、それって別にアラフォー以上の世代だけの話じゃないんでしょうね。

 

本書のようなテーマに需要があるのも、大きな声で言わないまでも、多くの人の中で無駄と余白を求める気持ちがきっとあるんだろうな、と思うんです。

 

決して、差別的、底辺的なものを求めているというわけでなく、人生の息継ぎができるような無駄と余白を求めているんだろうなと思うんですよ。

 

そもそも、優秀なスマホを持っているのに一眼レフカメラを持って遊廓跡をうろうろしていたり、洗練されたショーがたくさんあるのに、わざわざストリップ劇場へ行って踊り子さんを見つめているのも、座ってれば何でもかんでも全て用意されてエンディングまで滞りなく見せられる洗練されたショーや、検索すれば関連情報を含めた答えが目の前に並べられるWEBの世の中が、窮屈で息がつまる思いがするからじゃないですか?

 

もしかすると、いまの世の中は整いすぎているのかもしれませんね。

 

本書を片手に、街歩きをしながら昭和の残り香を探してみるのも楽しいのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

『裏昭和史探検』風俗、未確認生物、UFO・・・

『裏昭和史探検』風俗、未確認生物、UFO・・・

  • 作者:小泉 信一
  • 発売日: 2019/03/07
  • メディア: 単行本
 

 

 

 関連書の記事

 

straybird.hatenablog.com

 

フランスが空き店舗を解消した方法-書評フランスの地方都市にはなぜシャッター通りがないのか

フランスの街のイメージ

 

ぼくは昨年から、とある商店街のお店再生にかかわらせていただいているんです。

 

あなたも旅行や出張で地方へ行ったとき、その地元の商店街がすっかりシャッター街になっているのを見たことがあるんじゃないですか?

 

そういう商店街へ入ると、お年寄りがシルバーカーを押しながらトボトボと歩いている風景くらいしか見かけないんですよね。

 

もう、歩いていても寂しい気持ちになって気分が落ち込むばかりじゃないですか?

 

と言いながら、ぼくはそういう商店街を歩くのが好きで、むしろテンションが上がっちゃうんですけどね。

 

とはいえ、シャッター街になった商店街は、日本の解決しなければいけない課題の重要なひとつだと思っているんですよ。

 

その理由は後述するとして、今回は商店街の再生のヒントになるかもしれないと思い購入した1冊を紹介します。

 

 

 

 

 

フランスの地方都市にはなぜシャッター通りがないのか: 交通・商業・都市政策を読み解く

フランスの地方都市にはなぜシャッター通りがないのか

交通・商業・都市政策を読み解く

著者:ヴァンソン藤井由実・宇都宮浄人

発行所:学芸出版社

初版発行:2016年12月1日

 

 

 

それなりに大きな都市でも衰退している商店街

シャッター街のイメージ

 

ぼくは名古屋に住んでいるのですが、国内でも5大都市のひとつなのにもかかわらず、名古屋市の商店街もほとんどが衰退していて、いわゆる商店街として機能しているのは片手で数えられる程度です。

 

正直、姫路市の新幹線駅から姫路城まで続く商店街や、高松市の丸亀商店街やライオン商店街を見ると、うらやましく感じます。

 

名古屋にも大須商店街という大きな商店街がありますが、ちょっと微妙なんですよ。

 

なぜかというと、現在の大須商店街はどちらかというと観光客に向けたお店が多く、地元の人も利用するのですが、歩き喰いする唐揚げ屋のような若年層向けのお店ばかりになって面白くないんですよ。

 

最近は、アパレルショップなども大須から矢場町側に移転するお店が増えているようです。

 

名古屋の例ばかりで申し訳ないですが、もう一つの有名な商店街、円頓寺商店街は地域密着型の地元の人が使う商店街でいい感じです。

 

この商店街は、現在は飲食店の方が多い印象ですが、名古屋歌舞伎のカブキカフェなどもできていて、今後はもっと面白くて地元の人に愛される商店街になっていくと思います。

 

このように、名古屋には大須商店街と円頓寺商店街という2大商店街がありますが、住宅街に昔からあって、昭和の時代には賑わっていた商店街の多くは、シャッターがしまっているか、もしくは住宅に建て替わっていて、今後、商店街としての再生が難しくなっているものがほとんどなんです。

 

衰退した理由は、ここではちょっと書きにくい事情もふくめ様々ですが、大きく影響したのはやはり大型ショッピングモールの乱立と、商店主の高齢化でしょうね。

 

 

 

フランス地方都市の商店街が元気なヒミツ

フランスのトラムのイメージ

 

日本も同じですが、フランスの地方都市では以前、自動車がないと生活が難しい環境だったんだそうです。

 

そういう環境で、大型ショッピングモールができ、駐車場の少ない昔ながらの商店街は人が遠のき、シャッター街になっていったんだそうです。

 

って、それって現在の日本の商店街そのまんまですね。

 

そこで、フランスの地方都市はいろいろな対策をしていくんです。

 

その中で、まずは自動車がなくても商店街に出かけられるようにするための改革を進めるんです。

 

たとえば、自転車レンタルや自動車のライドシェアです。

 

それと路面電車の整備を進めたんだそうです。

 

路面電車を商店街のなかに走らせることで、高齢者でも買い物がしやすくなると。

 

そのような自動車がなくても繰り出せる街づくりをすることで、今度は街に歩行者専用空間を作っていったんだそうです。

 

日本でも、自転車レンタル(シェアサイクル)は増えてきていますよね。

 

名古屋では、路面電車の整備が議論されているとかいないとか。

 

おそらく、高齢化が進んで自動車中心の街づくりが限界に近づくと、路面電車が改めて脚光をあびるんでしょうね。

 

 

 

これが一番強烈な対策かな?

のぞいてみている猫のイメージ

 

でも、日本ではちょっと真似できないかも?

と思うシャッター街対策があるんですよ。

 

それは、

1年以上の空き店舗には課税

です。

 

これ、すごくないですか?

 

通りに面する店舗物件を持っている人は、街の機能を維持する義務があるというわけです。

 

だから、長期間、シャッターを閉めたまま放置するのはやめてくださいね、と。

 

空いたらすぐに次のお店をやりたい人に貸してくださいね。

というわけです。

 

日本では、商店街の店舗物件は奥や2階が生活空間になっているものが多いので、店主さんが高齢化で廃業した後も店舗物件に住んでいることが多いんですね。

 

だから、静かに暮らしたい人は店舗を貸したくないという人もいらっしゃるんです。

 

日本のそういう状態では、空き店舗税をかけるのは難しいとおもうんですよね。

 

ちなみに、フランスでは空き店舗を市が借りて、市が新しいお店を誘致するということもしているようです。

 

そこまでできるなら、日本でも・・・、と思うのですが、代わりの住居をどうするのか?という問題も出てくると思うので、実現は難しいでしょうね。

 

 

 

最後に

賑わう商店街のイメージ

それにしても、タイトルを改めて読むと、すごくないですか?

 

シャッター通りが少ない、じゃないんですよ?

 

シャッター通りがない、なんです。

 

フランスの地方都市から、シャッター通りをなくしてしまったんですよ。

 

先述したように、路面電車の整備や弱者を切り捨てないまちづくりなど、公共福祉の充実の一方、1年以上の空き店舗に課税するなど、かなり強力な手段を使っているのも特徴です。

 

現状の日本では、福祉面でも空き店舗への課税も、思い切った整備はできないでしょうね。

 

それは、欧米的なきっぱりとした進め方にいい面と悪い面があるように、日本的なソフトで一見曖昧な進め方にも悪い面だけでなくいい面もあるんですよ。

 

ただ、空き店舗への課税のような政策は、新しい仕事を生むきっかけになるはずなので、ぜひ参考にして欲しいですよね。

 

 

本書には、今回取り上げた部分以外にもシャッター通り対策がたくさん紹介されているのですが、本書が一般向けではなく専門的なレポートで小難しいので、興味がある人はぜひ本書を手にとってじっくりと読んでみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

straybird.hatenablog.com

 

  

 

 

テレビランドわんぱっくは昭和のファンシーなデザインも懐かしい本[ファミリーコンピュータ大図鑑PART6]

ファミリーコンピュータ大図鑑紹介バナーイメージ

 

あなたは、子どものころに買った本で捨てられずに現在も本棚に残っているものはありませんか?

 

今回紹介する本は、ぼくがずっと捨てられずに持っていた、そんな1冊です。

 

本を開くと、端々からファミコン全盛期の時代の香りがただよてくる気がしていいんですよ。

 

 

 

 

 

ファミリーコンピュータ大図鑑表紙イメージ

テレビランドわんぱっく83

ファミリーコンピュータ大図鑑PART6

発行所:徳間書店

初版発行:昭和60年10月30日

 

 

 

紹介されている当時の新作ゲーム

紹介ゲーム一覧イメージ

ワープマン

プーヤン

ハイパースポーツ

シティコネクション

スーパーマリオブラザーズ

バトルシティ

10ヤードファイト

内藤九段将棋秘伝

ゲイモス

ドルアーガの塔

ルート16ターボ

 

 

個人的には、ワープマンが懐かしいなあ。

 

ワープマンって、たしかファミコンで発売される前に、カシオのゲーム機で発売されているはずなんですよ。

 

というのも、ぼくが初めて買ったもらったゲーム機はファミコンではなくなぜかカシオのやつで、コントローラーがスティックだった記憶があるんですよね。

 

で、むかし名古屋にあったウォッチマンっていうお店でカセットを買ってもらった記憶があるんですけど、そのゲームがワープマンだったはずなんですよ。

 

ゲーム名が違ったとしても、ゲームのシステムは全く一緒だったはず。

 

ちょっと検索してみたら、れとろゲーム回顧の館というサイトにありました!

 

そうそう!

ワープマンじゃなくて、ワープ&ワープだ!

 

どうやら、PV-1000という機種だったみたいです。

 

 

ゲームプレゼントのページイメージ

 

雑誌じゃないのにプレゼントもしていたんですね。

 

アイレム販売とセタが、ファミコン世代にはなんとも泣かせる会社名ですよね。

 

 

 

本書の構成

プーヤンの紹介ページイメージ

 

いや、構成だなんてそんな真面目な話をしようというわけではないんですよ。

 

単に、むかしの本ってこんな感じだったなあ、という懐かしさを語りたいだけです。

 

むかしの子供向けの本って、最初の数十ページはカラー写真で、途中から2色か3色印刷になり、全体の4分の3は単色印刷じゃありませんでした?

 

しかも、単色も特色なのかなあ?

 

イアン1色のページイメージ

 

本書のほとんどのページは、シアン1色か、マゼンタ1色。

 

そんな構成で1冊ができていたんですよね。

 

それは多分、当時の製版技術の問題で、カラー写真をたくさん扱うのは大変だったんだと思うんですよ。

 

だから、2色印刷以降は写真はほぼなくて、オリジナルのイラストで解説していくような構成になっていたんじゃないかな?

 

 

蛇足:DTPの話から子どもの買える値段の話

ドルアーガの塔の紹介ページイメージ

 

ちなみに、デスクトップパブリッシング(DTP)の概念が提唱されたのが1985年ですから、この本が出版された年なんですよ。

 

それまでは、職人さんがパソコンではなく、専用の電産写植システムなどを使って印刷用のハンコを作るためのレイアウトシートを文字通り切ったり貼ったりしながら作っていたんですよ。

 

そんな専門職人が活躍する世界で、「Macがあれば誰でも机の上で印刷用のデータが作れますよ。」なんていう話がアメリカから発生したわけです。

 

でも、初代Macが登場したのが1984年ですから、昭和60年なんてまだ日本ではDTPは普及どころか日本語対応の問題などで、「ほ~、それは面白いなあ。」とワクワクする一部のオタク的な人間が食いついただけで、印刷会社のほとんどは様子見だったはずです。

 

なにせ、ぼくが印刷業界に入った2000年ごろでも、まだ「あそこの会社はデジタル化に乗り遅れた。」なんていう話が普通にされていましたから。

 

つまり、1985年から15年経ってもまだデジタル化に移行途中だったのが日本なんですねえ。

 

写真原稿のフィルムがほとんどなくなったのは、2003~2005年ごろじゃなかったかなあ?

 

話が逸れましたが、1985年だから令和2年現在から35年前はまだ、ビデオデッキを持っている家庭すら少なかった時代で、CDもなければ携帯電話もない時代です。

 

当時は、カラー写真を印刷で再現するために4色のハンコを作成するコスト、印刷機の性能など、さまざまな条件を考えると、1冊の本をフルカラーで作るのは本当に大変だったんだろうなと思うんです。

 

しかも、子ども向けの本でしょう?

 

当時580円でも、子どもには高く感じる値段ですよね?

 

子どもが買える値段にしようと思うと、フルカラー印刷のページを少なくするしかなかったんだろうな。

 

 

 

マスコットキャラクター

わんぱっくのマスコットキャライメージ

これ、わんぱっくくんなのかな?

 

昭和60年ごろって、こういうファンシーなキャラクターが多かったんですよね。

 

観光地に行っても、ファンシーなマスコットキャラクターがプリントしてあるお土産が売っていた気がするんですけど、違いましたかねえ?

 

平成から令和の現在は、全国どこへ行ってもゆるキャラがいますけど、そのゆるキャラもよく見れば、みうらじゅんさんが流行らせ出した当初のゆる感からずいぶん変わって、現在のはむしろ昭和のファンシーキャラに近づいている気がするのは僕だけでしょうか?

 

ちなみに、表紙の折返し部分にはこんな文が。

 

わんぱっくの表紙折返しイメージ

 

みることは、ぼくらの楽しみ。

読むことが、ぼくらの楽しみ。

知ることも、ぼくらの楽しみ。

だから『テレビランドわんぱっく』

は、ぼくのもうひとり友だちー。

 

 

いや、なんかさみしい気持ちになる!

 

友だちの後の棒線がむしろ、友だちがいない哀愁を感じさせているから!

 

 

 

ファミリーベーシックと時代を先駆けたロボット

ファミリーベーシックのプログラムイメージ

本の最後の方には、ファミリーベーシック用のゲームプログラムが載っています。

 

ぼくはファミリーベーシックには手を出さなかったけど、ゲームを自作できるなんてとんでもなく凄いことに思えて憧れましたよね。

 

でも、ぼくの周りにはファミコンにキーボードをつけている友達はいなかったなあ。

 

ファミリーコンピュータロボット紹介ページイメージ

あと、本書ではファミリーコンピュータロボットにも触れられています。

 

ジャイロセットブロックセットというのがあったんでしたっけ?

 

これもぼくは手を出せなかったのでよくわかりませんが、まさかファミコンでロボットを動かすなんて、とてつもない衝撃を受けましたよね。

 

いま思えば、工業用ロボット的な動きなのですが、でもすごすぎる。

 

いまも産業ロボットの展示会に行けば、ファミコンロボットに似たデザインのロボットが動いているのを見かけます。

 

 


ファミリーコンピュータ ロボットCM

 

当時のCMを見ると、ロボットだけで9800円したんですねえ。

 

しかも、ゲーム内のキャラクターを操作している?

 

ちょっと革新的すぎやしませんか?

 

現在のVRより面白い気がするんですけど。

 

 

 

おわりに懐かしさの正体を考える

懐かしのファミコン本体イメージ

 

このファミコン、ぼくが子供のころに遊んでいた実物です。

もしかしたら残っているかも?

と思って倉庫を探してみたら、あったんですよ!

 

買ったばかりの時は白かった本体も、だんだん黄色くなっていっちゃいましたよね?

 

いやあ、懐かしすぎる!

 

話を戻して、懐かしい本書を眺めていて思うけど、やっぱりファミコンのゲームは面白かったですよね。

 

現在のゲームはそこまで詳しくないんですけど、ファミコンのゲームって、クソゲーと呼ばれる、明らかに完成する前に発売してしまったとしか思えないゲームとか、難しすぎてクリアできないゲームとか、本当にカオスな世界でした。

 

なんというか、テレビゲームという最先端の製品、エンターテイメントの世界で、まだバッタものというか見世物小屋の発想というか、祭りの屋台で絶対に1等賞の入っていないくじ引きゲームみたいな、そういういかがわしい空気があったんですよ。

 

子供からしたら、100円のくじでなく4500円のカセットでそれをやられると、泣くわけにもいかずボーゼンとした後、なんとか面白さを見つけ出そうと何時間もゲームと向き合ってみるのですが、くそはくそですからねえ・・・。

 

でも、あのいかがわしさがあったからこそ、いまはファミコンに郷愁が湧くのでしょうねえ・・・。

 

いや、ファミコンをきっかけに、当時のカルチャー、例えばファンシーな世界や本の構成、あぐらをかいてコントローラーを握りしめていた時の畳のにおいなど、どんどん連想して思い出していくそんな記憶たちに、胸がキュッとなるんでしょうね。

 

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

ブロトピ:はてなブログの更新報告♪

ブロトピ:本のおすすめ

 

 

[表徴の帝国]を読んで〜日本文化をフランス人が体験して見えたものは空無の中の特徴線?

日本の社宅のイメージ

 

今回の本は、以前紹介した佐藤隆信氏著の『新宿二丁目』の中で出てきたもので、その新宿二丁目の流れで本書も手に取りました。

 

手に取りましたが・・・、

難しすぎてなかなか読み進められないし、数行読むだけでいろいろな情景が頭に浮かんできてしまい、途中休みながら最後まで読むのに半年かかってしまいました。

 

そんな本です。

 

 

 

 

 

表徴の帝国表紙イメージ

表徴の帝国

著者:ロラン・バルト

訳者:宗左近

発行所:筑摩書房

初版発行:1996年11月7日

 

※本書は1974年11月10日、新潮社から刊行されています。

 

 

かなた

霧のイメージ

 

この本には初っ端にどでかい壁が立ちはだかっています。

 

最初の章『かなた』は、読もうとしても1ページ目からつまずきまくりで、なかなか前へ進めないんです。

 

これはぼくの集中力が続かない個性の問題かもしれないけど、うっかり無意識に3行読み流してしまうと、途端に何を語っているのか行方不明になってしまう。

 

だから、あわてて数行前に戻って読み直すことになります。

 

でも、1行の濃度が高いから、ワンフレーズから脳内にイメージが浮かんでしまうと、またイメージが膨らんで勝手に一人歩きを始めて、ぼくはまたしばらくの時間、妄想の住人になってしまう。

 

でも、そんな現実と妄想の世界を行き来しながらも、なんとか『かなた』の最後まで読み進めるのだけど、なんだか霞のかかった道をずっと歩かされているようなきもちで、結局何を伝えたいのか、輪郭をつかむために一生懸命に目を凝らさなければならないのよ。

 

そうやって、なんとかつかんだつもりの輪郭も、実はこの世には先天的な輪郭がないということだったりするわけです。

 

 

空無とペンと筆

筆文字の提灯イメージ

とにかく、この本は日本文化の本質を空無から見出そうと芸能から文芸から街の姿からと、色々な側面から表徴の線を探っていきます。

 

でも、説明を読み進めている間、ぼくの頭には常に?が浮かびつづけてなかなか消えないんですよ。

 

たとえば、俳句の特徴について説明するところを読むと、西洋の文学などでは物語の世界をふくらませるために、ひとつの物事を事細かく説明することでその物事の存在をクッキリとさせるんですって。

 

それに対して、俳句はひとつひとつの物事、魚の臭さだったり暑さだったり月の明かりだったり、それぞれがそれ以上の意味を持たず、意味の宙吊り状態だと話します。

 

この感覚が、日本の文化の中で育ったぼくにはどうにもわからない。

 

俳句から浮かぶ情景から、そのときの情景や感傷のようなものが五感で感じられるなら、意味は宙吊りになっていない気がするんですよ。

 

ただ、文房具店という話を読んで、ここに感じることの正体、感性のズレのようなものの正体の『し』くらいはあるのかな?と思ったところがありました。

 

それは、万年筆と筆の次元的な差が文字に無意識に込めることのできる縁起の量の差として、表現文化の違いを育てたのかもしれないということです。

 

万年筆、べつに鳥の羽ペンでもガラスペンでも一緒ですが、それぞれが紙の上に文字を書くには、ペン先のインクを紙の毛細管現象により液体が引っ張られる力を借りながら紙に擦り付けます。

 

そのときに紙の上に表現できる線は、ほぼ一律の太さで2次元的です。

 

鉛筆も、毛細管現象はありませんが黒炭を紙の表面の摩擦で削りながら擦り付けていく結果、線の太さはやはり一律ですよね?

 

一方、筆は筆先が毛の束でできていて柔らかく、その毛の束で墨汁をたくさん含んで紙の上に適量を乗せていきます。

 

紙の毛細管現象は墨汁が乗ってから紙の中に引き込むために発揮されます。

 

そのとき、紙の上に表現できる線は、太い部分と細い部分、かすれた部分など複数のバリエーションがあり、紙の上で縦横だけでなく高さや低さなどの奥行きまで3次元的な表情を見せることもできます。

 

筆は、この3次元的なコントロールに、美醜や感情を乗せてきました。

 

さらに、俳句は読み上げることも表現に入ります。

 

これを、当時のタイプライターの一律のフォントで打ち出された俳句を東洋文化の外側で生きてきた人が読んだとき、それぞれの単語は案外、意味が宙吊り状態と感じるのかもしれないですね。

 

そして、当時は手塚治虫氏の1972年~1983年まで連載されたブッタを読むと、日本でも空についての研究と理解がまだまだだった気がするだけに、本書の空無という表現と理解に?がつきまとったのですが、海外でも現代の空と縁起についての本が読める環境で、もし著者が当時から研究が進んだ空と縁起についての知識があったら、本書は東洋文化に全く別のものをみつけたんじゃないか?

とも思うんです。

 

空が文化の中に根付いているからこその、表現の受け取り方があるということ。

 

それは、日本人すらわかっていない人がほとんどだと思うけど、それでも10代の若者ですら、スマホやテレビを消して心静かにそこを見つめれば、トレ(特徴線)にすら物語が浮き出して感じるはずで。

 

空無という表現が、令和の時代にどこまで生きているのかわからないけど、そもそも空と無は同じに見えてまるで逆さまの意味を持っています。

 

まず、無は何もないことでいいでしょう。

 

でも、空は全部あることです。

 

ということは、無は空に内包する概念のひとつだといえます。

 

有も無も空の表現体(エクリチュール)だとするならば、空無というのはおかしな言葉と感じてムズムズするんです。

 

 

書かれた顔

書かれた顔のイメージ

ここは、ぼくのただの忘備録的な感想だけ書きました。

 

女形の白塗りの理由が面白くて素晴らしい気づきがありました。

 

また、乃木将軍夫妻の自害直前のスナップ写真が載っているのですが、その写真の2人の表情についての説明も深い。

 

ただ、白塗りの理由については、これも最近の研究なのか、行灯やロウソクが照明だったころの一番映える化粧だったことをどこかで聞いたことがある。

 

でも、この章で書かれた、舞台上で男が女を表現する上での西洋と東洋の違いについての分析の素晴らしさが色あせることは決してありません。

 

 

 

タイトルの意味と進む破壊

スクランブル交差点イメージ

タイトルの表徴の帝国とは、日本人が心臓を動かしたり瞬きをするのと同じように無意識に使っている意思伝達方法やものごとの前提のようなもの全てで、それが日本人には当たり前すぎて見えていないものも含まれる、あなたがいま立っているそこのことだと思う。

 

そんな、日本の文化では当たり前で言葉で表そうとしないことを、日本以外の人たちが理解できるように必要があっていちいちテキストに変換したから、逆に日本人にはわかりにくくなっているのかもしれない。

 

でも、そんな表徴の帝国も破壊が進んでいて、すでに取り戻せないレベルかもしれない。

 

それはたとえば、ミシュランの一方的な格付けによる文化価値基準の強制的で侵略的な変更で、見えない価値を星の数という1次元表現に落としてしまった。

 

また、テレビで一時流行った、イエスかノーか?正義か悪か?みたいに極端な二者択一を迫る番組構成は、日本の曖昧なところで上手に答えを見つけていく文化を悪いもののように印象付けていった。

 

当時、アメリカのビジネスマンが日本人の曖昧文化を批判しているような話題をやたらと流していたが、そもそも欧米のビジネス社会ではディベート文化が根付いていて、二者択一の前にそれぞれの立場からたくさんの情報をもとに激しい議論をする。

 

日本だって、曖昧に見えてお互いを気遣いながら穏やかに議論して決めているだけで、最終的には二者択一をしている。

 

ただ、選んだほうで進めてみて、いざ何か不具合の予兆がみえたときに、迅速にもう一つの選択肢へ移れるよう、余白を上手に残すのが日本のビジネスのいいところだったはず。

 

それを上手に説明できていれば、欧米のビジネスマンでも納得したはずです。

 

なぜなら、ディベートの後ははノーサイドが普通だからです。

 

このノーサイドが、欧米の自己責任なわけで、お互いに納得したのだから、何か不具合があったときは責めることなくみんなで解決に全力を尽くすんです。

 

日本の曖昧文化も、実際には不具合があったときにみんなで全力を尽くせる空気を残すための余白だったのだから、仕組みの説明ができれば欧米のビジネスマンでも理解できないはずはなかったと思うんですよね。

 

 

 

エモい

エモいライブイメージ

 

ちなみに、最近流行っている『エモい』という言葉。

 

これは別に、最近できた言葉ではなく、少なくとも2014年ごろにはアイドル界隈では使われていた言葉です。

 

基本的には、アイドグループがステージで歌っている姿に、そこまでの紆余曲折あったストーリーが重なったとき、ファンたちの中にエモい感情が湧いてきたわけです。

 

2020年現在のJKが使う『エモい』は、写真などにレトロを感じたり友達同士の関係性みたいなものを感じたときにエモいという他に、ちょっとした雰囲気にもエモいというのが流行っているんだそうです。

 

でも、JKの間のその『エモい』という感情がどこから出てくるのか?

と考えると、過去に日本の文化の中で培われてきた物語だったり、たくさんの物語の積み重ねからできていった表徴を受け取る感性を親や祖父母を代表とする多くの人たちからインストールされているから、そこに強い物語がなくてもボンヤリとエモいものを感じられるんだと思います。

 

問題は、エモいを消費するパワーばかりが強く、生産するパワー、というか生産する欲求が日本から失われている気がすることです。

 

たとえば、パナソニックやホンダなどの大企業が持つ物語性は、現在のビジネスマンでも一度は触れたことがあると思います。

 

その成長の物語には、多くの革新的な製品が生まれる過程、多くの社員を養っていく器量などにエモさが生まれたわけです。

 

でも、現在の日本には、革新的な製品を生む企業はあるでしょうか?

 

インバウンド戦略に、エモい物語があるでしょうか?

 

企業を例にお話ししましたが、エモいを消費する一方ではやっぱり表徴の帝国は崩壊してしまい、もう元には戻らなくなるでしょうね。

 

 

おわりに

夕焼けのエモい風景イメージ

 

中学生のころ、深夜にたまにフランス映画が流れていたのを、なんとなく目が離せなくて終わりまで観てしまった記憶がある。

 

30年くらい前に流れていたフランス映画は、リュック・ベッソンの作品のようなド派手さとは無縁の、2時間ずっと同じ部屋で男女が語っているような作品が多かった。

 

あの、なんともいえぬ不思議な時間。

 

テレビの中では2人の日常の会話が続いているはずなのに、観ているぼくは日常から切り離されて深夜の静かな時間の間に置いてかれたような感覚。

 

そんな不思議な体験がたまらなくて、当時、深夜にフランス映画を見つけるとうれしくなった。

 

本書は、そのとき気持ちを思い出すいい時間を味わえた。

 

この本を読み終えるのに半年以上かかったのは、きっとそのせいだと思う。

 

 

 

 

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:ロラン バルト
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1996/11/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

straybird.hatenablog.com

 

ブロトピ:本のおすすめ