読み終わったら取り急ぎ温泉に入りたくなりました-遺言私が見た原子力と放射能の真実

本書を読もうと思ったきっかけは、以前に紹介した苫米地英人氏著の超小型原子炉の教室がきっかけです。
超小型原子炉の教室が、本書の著者が研究した超小型原子炉の可能性について書かれてる以上、本書に何が書かれているのかはやっぱり気になるじゃないですか?
というわけで、読んでみると内容は思ったより重くなく、原子力についても理解しやすく書かれていた、タイトルがまるで松本人志の本のような一冊を紹介します。
著者:服部禎男
発行:株式会社かざひの文庫
初版発行:2017年12月7日
本書の概要

本書は、戦後の原子力研究に長年かかわってきた著者が発見した原子力の安全な利用方法と、それを実現するためのアメリカで特許も取れている超小型原子炉の可能性についてまとめられたものです。
構成としては、これまでの日本と世界の原子力の歴史をなぞりつつ、放射線と放射能の誤解や現在までの研究から判明していること。
東日本大震災で起きた東電原発事故の真相と、あの事故の原因で本当に問題だった部分についてなども書かれています。
原子力発電の話なので、政治に関わるような話は苦手だという人も多いかと思いますが、生活に直結する電気代が高い理由を知ることができますし、なにより、本書を読むとアラフォー以上のZOOM会議で想像以上に老けていた自分の顔を見て絶望した人は、取り急ぎ近場の温泉を検索したくなるはずです。
報道されない原子力

本書を読んでいると、原子力問題については国民にとって悪いことだけでなく、安心材料になることすら報道されてないことに気づかされます。
とにかく、
「え?そうなの?」
「たしかに、科学を前提に冷静に考えれば、それは問題にならないような・・・。」
みたいなことがいっぱいあるんです。
たとえば、現在、日本が原子力の安全基準にしている数値は相当古く、現在の研究で明らかになっていることがまるで反映されていないものだということも知られていないですよね。
別に原子力を擁護したいわけではないですが、どんな分野でも研究が継続されているものに関しては、10年前の常識が現在もそのまま通用するということはちょっと考えにくいです。
ましてや、その基準値が、現在では否定されている実験結果をもとに作られている上に、ここ20年くらいの研究成果をまったく反映していないものだったとしたらどうでしょうか?
でも、そういう話って報道されないですよね。
別に、放射線の安全基準はどうなのか報道したって問題はないはずなんですけど。
なんとなく、報道番組の制作側がしっかりと情報を調べていないことが回り回って原子力の報道タブーを作ってしまっているような気がしてきます。
あと、原子力に限らず、国内には古い基準、古い常識のまま運用が続いていることってたくさんあるようですが、それを様々な理由で変えられないのが現状の日本なんですよね。
フロッピーディスクなんて企業では20年前から徐々に使わなくなっていったものなのに、今になって廃止する!って宣言して話題になっているところがあるんでしょう?
本来なら、そんなアホくさいこといつまでやってるの?ってツッコミを入れる役目を負っているはずの報道機関が放ったらかしにし続けてきたんですよ。
こんな話題にもツッコメないのだって、そりゃあ官庁への忖度もあるかもしれませんが、実際のところはフロッピーを使い続けている理由を、時間や予算の関係もあって詳細にていねいに調査できないからだと思うんですよね。
原子力問題って、実は原子炉の危険性のことだけではないはずなんです。
たとえば、現在、田舎の山に大量に設置されている太陽光パネルは、実はとんでもない時限爆弾で、現在の統一教会問題にも引けを取らないんじゃないかと思うほどなんですけど、その問題を報道せず、10年後に爆発しだした頃にやっと報道しても後の祭りなんです。
従来の火力発電についても、本書を読む限りでは地球環境の問題だけでなく健康問題についても冷静に分析した上で選択する方がいいと思うのですが、世間の混乱を恐れてか、そもそも興味がないからなのか、報道されることはないですよね。
結局、エネルギー問題は、現在の日本で扱うにはデリケートすぎるんでしょうね。
原子力に関しては、番組を放送したら99%炎上しそうだし。
放射線を知っている人は少ない

ぼく自身がちゃんと知らなかったのですが、そもそも知識として放射線を理解している人は少ないのではないかと思います。
これは、放射線に限った話ではなくて、紫外線は日焼けする、赤外線は肉が美味しく焼ける、みたいな生活情報レベルで止まっているものがほとんどだと思うんですよ。
本書に書いてありますが、バナナを1本食べると0.1マイクロシーベルト被爆することになるんだそうです。
花崗岩はお墓にも加工される石ですが、これも放射線が出ています。
日本人はラジウム温泉もラドン温泉も好んで入りますが、ラジウムやラドンは放射性物質なので、温泉に入れば放射線を浴びることになります。
タバコも、放射性物質を含む成分が入っていることがあるそうですが、1日に2箱とか吸っちゃう人もいますよね。
ようは、放射線を浴びても大丈夫な量があるということなのですが、その「大丈夫な量」というのは、先述したここ20年の研究から上限がずいぶん上がっているようなんです。
でも、そんなことを知っている人はいないですよね?
もっと掘り下げれば、本書でも多くのページが割かれているのですが、放射線を浴びる量によっては細胞が若返る、放射線ホルミシス効果というのも研究から発見されています。
しかも、放射線ホルミシス効果についての検証実験をアメリカの権威ある研究所から任されたのは著者を中心とした日本の研究機関です。
こんなこと、ほとんどの人は知っているわけないですよね。
半減期の話だって、本書はわかりやすく説明されているのですが、半減期を理解すると45億年かかるとか色々と言われるウランも物質として安定しているから崩壊するスピードがゆっくりでその時に出る放射線も少ない量が少しずつなんだということが見えてきて、じゃあ次のステップとしてバナナを1本食べるのと比較して被爆量はどうなんだろう?
みたいな疑問に変わってくると思うんです。
だからと言って、原子力は安全だし、原子力エネルギー以外の選択肢はない!
と言われると、それは違うだろうって思ってしまうんですけどね。
現在のウクライナ侵攻を見ても、やっぱり原発は狙われて一気に広範囲の地域を危険にさらすものになるのがハッキリしましたしね。
まあ、本書が書かれたのは侵攻前の2017年ですから、世界情勢は現在と大きく異なるんですけど。
あと、自然エネルギーを含めた他の選択肢もつねに求めていかないと、科学の進展はないと思うんですよね。
もんじゅ計画から見える本当の危険

これも本書を読んでほしいところなのですが、高速増殖炉もんじゅが制御が難しかった理由が本当に残念なんですよ。
これは、国内の原子炉の設計段階から関わり、アメリカでも数々の先端研究に触れていた著者だからこその視点だと思うのですが、その現実を信じるとするなら、日本が根本的に変わらない限り、原子力発電はやめた方がよさそうだと多くの人が感じるはずです。
それと、東日本大震災による東電原発事故も、被害が拡大した理由が詳細に説明されています。
それを読んでも、現状の日本ではまた同じような事故が起きる可能性は十分にあると思えてきますし、何よりも被害が拡大した理由がとことん残念なものなんです。
本書を読んでいると、原子力発電が危険だという本質的な原因が見えてきて、このままではいつまでたっても安全だという話は信じてはいけないと思ってしまいます。
まとめとして超小型か小型か

やはり、まず心に留めておかなければならないのは、本書は原子力研究に人生を捧げてきた人が書いた本だということです。
著者は日本の原子力開発に人生の多くを費やしてきた人なので、原子力の安全性については誰よりも理解されている一方で、原子力を擁護しすぎている感もあり、危険性についての言及は少し甘いように感じます。
これは、あまりいい例えではないかもしれませんが、生産工場の仕事に関わったことのある人なら誰でも理解していることですが、温湿度なども徹底管理された工場でフルオートで製品を加工・製造しても、どれだけ改善運動をしても、不良品を100%ゼロにすることはできません。また、フルオートなのにヒューマンエラーもゼロにはなりません。
そして、ほんのわずかに起きてしまう想定外の事故や不良品に限って重大な事故を起こすものです。
だから、超小型原子炉も、もし実用化され数百基という規模で運用されたときに初めてわかるトラブルもないとは言い切れないはずです。
とはいえ、超小型原子炉の仕組みを本書で知る限りでは、大型で複雑な構造の原子炉より安全で、環境にも優しい発電方法に見えます。
2022年8月24日、政府が唐突に次世代原子炉の開発を進めるという方針を打ち出しました。
ちなみに、その発表の直前の19日、日本の寄生虫博物館にある人物が訪問したと話題になりました。
その人物とは、ビル・ゲイツ氏です。
ビル・ゲイツ氏は、現在、原子炉開発に力を入れていることが知られています。
陰謀論を語っても仕方がないですが、原子炉開発に力を入れているビル・ゲイツ氏が日本の政府になんらかの営業活動をしても、それほどおかしなことでもないかもしれません。
ただ、タイミングがあまりにも・・・、という感じはしますよね。
正直、自然エネルギー発電技術がまだまだ発電効率の悪い開発途上である上、平地の少ない日本向きではないこともあって、原子炉の建設は危険を感じるから止めたいけど実際には止められないのではないかと思います。
だったら、日本人が長年研究し、アメリカでも認められ特許にもなっている、構造がシンプルな超小型原子炉技術を中心に次世代炉を開発してほしいと思うんですよね。
でも、現在、政府に売り込まれている次世代炉はどんなものなのかよくわからないですし、たぶん外資が大きな利益を得られる構造のものじゃないかなと思います。
もし、新たな原子炉の概要が一般に発表されたとき、その仕様が超小型原子炉の基準にあったものなのか?
それとも、小型と謳っているけど超小型原子炉とは全くの別物で、事故が起きたときには甚大な被害が出るようなものなのか?
そこに関しては、一般市民も知識さえあればごまかされることなく、政府にツッコミを入れられるところなんじゃないかと思います。
どちらにしても、太陽光発電の現状のヤバさを含め、電力問題はもっと真剣に扱われるべきテーマだと思うんですけど、本書のような時代背景もわかる比較的読みやすい原子力を扱う書籍でも、わざわざ読もうと思う人は稀なわけだから、政府が原子力政策について大きな決断をしたのにテレビでもほとんど扱われずに終わっちゃうんですよね。
案外、読んでみると面白いんですけどね。
とりあえず、ラジウム温泉に入りたくなるし。
超小型原子炉の教室から小型か超小型かその差がとてつもなく大きい未来と環境問題の深層を学ぶ

日本人が、原子力発電の危険な部分を解決する研究をしていたんですって。
しかも、約60年前にです。
その研究成果は、世界の様々な思惑の中で、存在してないことにされ続けていたんです。
それが、近年、急に世界から注目され、次世代の主流技術になるかもしれないんですって。
でも、現在は実用化されるか、それとも名ばかりの危険なものになるかの分岐点にあるそうです。
今回は、原子力発電を変えるかもしれない次世代技術と、原子力の実情が垣間見える1冊を紹介します。
いま日本人が知るべき原子力の真実
著者:苫米地英人
発行所:株式会社サイゾー
初版発行:2022年7月16日
小型原子力発電は本物か?

原子力発電で、まず知っておきたいのは、そもそも日本の原子炉技術は現在の主流と比べると数世代前の原子炉を利用しているということです。
現在は、その世代遅れの原子炉が設計時に決めた耐用年数を迎えたというのに、検査と補修をすることでさらに10年以上利用しようとしてるわけで、現在停止している炉がなかなか再起動できないのは、古い自動車を修理しながら騙し騙し乗ろうとしてもよくエンストする感じに似て、原子炉も起動しようとしたら問題が起きて緊急停止したというニュースを聞いたことがある人もいると思いますが、ようするに検査を受けても合格できないくらい老朽化が進んでいるということのようです。
そんな、世界的に遅れた状況の中、2021年の総裁選挙のときに突如、候補者が小型原子炉について言及したんだそうです。
小型原子炉は、現在、世界で開発が進んでいる次世代原子炉なのだそうです。
この原子炉が、本書が取り上げる超小型原子炉から着想を得たもののようなのですが、どうも似て非なるものとなりそうなんだそうです。
その理由は、やっぱり世界の富豪のお金儲けが絡んでくるようなのですが、それを仕掛けている一人は、世界中の人が知っている新型コロナのワクチンのときにも名前をよく聞いた人のようです。
そういった状況の中で開発されている小型原子炉ですが、実際にお目見えしたときに超小型原子炉の思想をちゃんと受け継いでいるのか、それともまるで別物なのかは、現時点では一般人にはわからないんですが、超小型原子炉の技術が日本の研究者が安全な原子力を追求した結果として見つかったものだからこそ、日本に導入が決まったときに超小型原子炉か、小型原子炉化を見分けられる知識を国民が持っていた方がいいんじゃないの?
ということなんですよ。
超小型原子炉はオカルトなのか?

世界の潮流を抜きにして、超小型原子炉は発電と原子力の利用に関してパラダイムシフトを起こすとんでもなくすごい安全な技術で、本当に実現するなら少なくとも国内の電力事情なんて完全に解消してしまうほどのインパクトです。
ところで、この超小型原子力は、10年前に書籍化されたときはオカルト系出版のヒカルランドでした。
この技術は、10年前にはオカルト系出版社からしか発表できなかったのでしょうね。
でも、実際には国内でも大手企業で研究が進められていて、現在は世界で次世代原発の主流になるかもしれない技術だったなんて、いまでも日本人の90%以上が知らない話ですよね。
そして、超小型原子炉が安全な技術的な理由を知ったとしても、一般人にはにわかに信じられないわけです。
なぜかというと、日本には原爆が落とされて大きな被害が出たし、東日本大震災の原発事故についても正しい事故原因と被害の実際を報道が正しく伝えたとは言えないし、事故を正しく理解できない理由には東電経営者に対する大きな不信感も一因としてあるからです。
そもそも、日本人で原子爆弾と原子力発電で利用されるウランの濃縮度の違いを知っている人ですらごく少数だと思います。
そういった条件の中で、原子力が安全に絵利用できて、何かあっても勝手に停止してしまうから危険な事故すら起こらないだなんて、一般人には胡散臭いオカルトとしか思えないでしょう。
でも、現実は大手企業で研究が進み、世界の研究者からも注目される技術だということから見ても、オカルトではないですよね。
問題は、オカルトではないのにオカルトとされてきた理由は、想像以上に怖いんだなということでしょうか。
おわりに本書が本当に説きたいこと

いまさらですが、本書では超小型原子炉の可能性について語られています。
でも、本書が本当に伝えたいことは、超小型原子力はすばらしい!ということではないんですよ。
超小型原子炉の技術が使われているように見せかけて、実は別物の小型原子炉を主流にしようとしている人たちがいて、日本でも超小型原子炉ではない小型原子炉を導入しようと政府などが言い出したときに、それは日本の技術ではないということを一人でも多くの国民が知っている上で声を上げられるようにしようということなんです。
実際、本書では、世界的な動きのカーボンニュートラルについても疑問を投げかけています。
つまり、超小型原子炉の話題をトリガーにして、一見すると地球のために素晴らしいムーブメントに隠れた本当の狙いはこういうことなんじゃないの?という部分に気づいて少しでも損しないように防衛するために学び続けることの大切さを説いているんだと思います。
脱CO2にしても、太陽光パネル設置にしても、環境問題の裏に潜む世界的な仕掛けに高い視点から気づけるようになって、未来、奪われるばかりではなく自分で選択できる人になろうという部分が本当に大切なところです。
苫米地英人氏の本ではよくあることですが、タイトル通りに語られることの奥にもうひとつふたつ、本当に説きたいことが、ちゃんと読んでいると気づくようになっていることが多いです。
本書も、「私は原子力の話は興味ないから関係ないや。」
とスルーしてしまうのはもったいない内容です。
あと、個人的には、ブレークスルーのために発想の逆転が大切だとあらためてわかったのが収穫ですかね。
知的好奇心を満たすのに、視野を広げるのにちょうどいいオススメの1冊です。
花電車芸人を読んで後継者もままならない庶民の芸を残していく方法を考えてみた

私たちは、花電車芸人です!
とアメトーーク!に絶対に出ることはない芸人の世界があります。
その芸は、実はかなり長い歴史があるんだけど、日の当たる世界では見ることができず、令和の現代では後継者もままならない非常に特殊な世界です。
おそらく、新型コロナが流行する前は10人くらいいたと思われる芸人さんも、新型コロナ流行の2020年以降はしばらく仕事がない日々が続いたと思われ、もしかすると2022年現在にはもう風前の灯なのかもしれません。
今回紹介する書籍は、ある花電車芸人の人生と、花電車芸とその芸が伝承されてきた街の歴史について書かれたノンフィクションです。
著者:八木澤高明
発行:株式会社KADOKAWA
初版発行:2020年3月10日
本書の概要をざっくりと

本書は、冒頭で書いたとおり、花電車芸人とその周辺の歴史について著者が長年の取材で調べてきたものをまとめたノンフィクションです。
本書ではまず、花電車芸の重要人物にしてストリッパーのファイヤーヨーコさんについて大きく取り上げています。
そのあと、花電車芸の歴史的な話、ストリッパーの中でも異端であったり、少し昔のストリップ業界特有の生い立ちを持つ踊り子さんの話が続き、最後に花電車芸が披露されてきた花街の現代までの歴史が語られています。
個人的には、ストリップ劇場の中でも花電車芸が披露されていた、または現在でも披露されている劇場について、その土地で披露されてきた歴史的な背景が説明されているところは、性風俗だけでなく広い意味で街の成り立ちの歴史が見えて興味深かったです。
生ける伝説

ファイヤーヨーコさんの芸については、本書でもカラー写真が載っていますしYouTubeで検索すると出てきますので、くわしく知りたい方は本書とYouTubeで確認していただきたいのですが、本書を読んで意外とこの部分が重要なんじゃないの?と思ったのは、ファイヤーヨーコさんの芸は花電車芸人の間で脈々と伝えられてきた芸とは少し違うところかと思いました。
というのも、ファイヤーヨーコさんは先輩芸人から芸を教えてもらったというよりは独学で芸を磨いていった人で、その結果、伝統芸を超えてしまったんです。
あそこを使って火を噴いたり、吹き矢をして風船を割ったりするのですが、その火の勢いや吹き矢のスピードと飛距離が過去にないレベルなんだそうです。
たとえるなら、いや、たとえる意味はないんだけど、あえてたとえるなら、染之助染太郎の傘で枡を回す芸を見よう見まねで練習していたら、いつの間にか巨大なビーチパラソルでブラウン管テレビを回せるようになっていたくらい、芸の精度と見た目の派手さをレベルアップさせてしまった人なんです、たぶん。
それくらい、花電車芸にのめり込んだ結果、興味は花電車芸の発祥地に向かって、ついには海外へ道場破りに行くんです。
その模様は、最高に面白いのでぜひ本書で確認してください。
YouTube動画の公開年に見ると、まだ現役で活動されているようなので、まさに生ける伝説ですね。
花電車芸が残っていくためには

昭和の時代、花電車芸はストリップ劇場で観られたようですが、どこの劇場でも観られたというわけではないようです。
花電車芸は、その昔は妓楼で披露されたお座敷芸の一種のようで、それが時代と共に赤線や温泉地、ストリップ劇場へと場所を変えていったようで、その流れもあるせいか、温泉地のストリップ劇場で細々と続けられていたようです。
でも、現在の温泉地でストリップ劇場が残っているのは熱海くらいではないでしょうか。
バブルが崩壊し、社員旅行の伝統が廃れるとともに、温泉地のセクシーな遊興の場も成り立たなくなっていったんですね。
そんな境遇に、追い打ちをかけるように新型コロナが流行し、観光業は大ダメージを受け、個人の収入も減りました。
当然、ストリップ劇場も休業や時短営業をしなければならず、ただでさえストリップ文化の衰退が激しい中で苦しい状況に追い込まれました。
実際、2021年には広島第一劇場が閉館しました。
そういう環境で、花電車芸はどうなってしまうのか。
個人的には、正直、80~90%の確率で消えてなくなっていくと思います。
ただ、受け継がれていく可能性が全くないかというと、まだあると思うんですよ。
理由というほどの理由にはならないのですが、最近のストリップ劇場には女性客がけっこういるんですよね。
女性客が増えた劇場

ぼくも、コロナ前に一度、岐阜のまさご座という劇場に行ったことがあるのですが、そのときも5~6人の女性客が熱心に観ていたんです。
なぜかというと、現在のストリップは、おそらく昭和の時代とは少し違う意味で芸を磨いているストリッパーさんがいるからなんです。
昭和と少し違うというのは、現在のストリップは猥雑なものと認識しながらアート的な演出とダンスをする人がいて、それがすごく美しいんです。
衣装も、コスプレイヤーに負けないレベルのものを着て踊る人もいます。
一時期は、いわゆるセクシー女優がストリップに挑戦するパターンが増えていましたが、これはぼくの想像ですが、そのセクシー女優の女性ファンが劇場に足を運ぶようになったことが、女性のストリップファンを増やすきっかけになったんじゃないでしょうか。
そんな女性ファンが増えたことと関係はないかもしれませんが、ストリップの美しさを再発見される中で、踊り子さんも現代の感性で美しさを表現するパフォーマンスに磨きをかける人が増えているように感じます。
いや、増えているというけど、ぼく自身は劇場で観たのは1回だけだから踊り子さんもほとんど知らないんで、かなりいい加減な感想なんですけどね。
本書が担う役割は

でも、観る人の間口が広がれば、踊り子になりたいと思う人の数も増えるだろうし、表現したいこと、チャレンジしたい芸も多種多様になっていくでしょうから、その中で花電車芸にチャレンジしたいと思う人だってきっと出てくると思いませんか?
なんてこと、ストリッパーになるわけでもない中年の男が無責任に思っているだけなんですけど、国に守られているわけでもなく、秘伝の書みたいな形式が確立された伝承方法があるわけでもない庶民の芸が残っていけるかどうかは、なんだかんだで確率の問題だったりするわけで、確率が上がるための条件はその芸が一人でも多くの人に知られて、その芸を求めてわざわざ観に行く人がいて、その中からチャレンジする人が出てくるしかないんですよね。
だから、本書は、花電車芸のような庶民の芸をアーカイブではなく、体験できるものとして残していくためにすごく大切な役割を担っていると思います。
睡眠負債を抱えたワーカホリックはバーサーカーの一種かもしれない〜眠り方を忘れたサラリーマン

今回は、寝不足は危険なんですよ!
ということが実体験をもとに書かれた本を紹介します。
本といっても、Kindleの電子書籍で個人出版物ですが、最近はKindleを使えば一人で本を出せるので、個人出版が本当に増えましたよね。
最近、仕事の疲れがなかなか抜けないと思う方は、一度読んでみてもいいと思います。
眠り方を忘れたサラリーマン
実際に体験した睡眠負債の仕事の影響と対策
著者:イグチ ヨシロー
発売日 : 2022年4月29日
本書の特徴

本書は、著者自身が会社員時代に実体験した寝不足が原因で起きた心身の不調が書かれた章から始まり、会社員が寝不足になる理由についての考えと、寝不足を改善するために役立ちそうなことをまとめた章からなります。
睡眠負債がひとつのキーワードで、寝不足の蓄積が原因のひとつと思われる、著者の身に起きた数々の不調が書かれています。
あと、著者が40歳を境に経験したことなので、現在、30代から40代前半の方に向いている内容かと思います。
余計なことが省かれているぶん、ページ数は少なめですが、疲れが溜まっていて集中力が落ちていても最後まで一気に読めるのはないでしょうか。
Kindleなので、読み放題にしている人は無料で読めるんじゃないかな?

ちなみに、本書の著者は、会社員時代は平均4時間の睡眠で働いていたんですって。
それを20代のころから続けていたんだけど、40歳を超えたころから疲れが取れなくなって、あげくには眠り方がわからなくなる経験をしたんだそうです。
それ以外にも、仕事に影響が出るほどの不調を経験したそうなんですが、その原因がどうやら睡眠負債にあるのではないかというんです。
睡眠負債を簡単に説明すると、寝不足が長期間続いて積み重なった状態とでも言えばいいのかな?
じゃあ、寝不足で何か積み重なるのかというと、睡眠中に回復するはずの疲れだけでなく、本来は排出されなければ行けない脳内の老廃物が排出しきれずに溜まってしまうことも含むみたいです。
そうやって、老廃物が溜まり続けると、いかにも悪いことが起こりそうですよね?
著者に何が起きたのかは、ぜひ御一読いただきたいところですが、睡眠時間が平均4時間の人なんて、正直、けっこういるじゃないですか?
だから、睡眠負債の怖さというのは無視できないよな、と思うんですよね。
個人的な寝不足の思い出

これまでの人生を振り返ると、
「若いころ、しっかりと眠っておけばよかったな。」
と後悔することも、けっこうあったりします。
いま考えれば、仕事で講演会を聞きに行った時はたいてい開始3分で寝落ちするのがほとんどだったな。
たぶん、現場でアドレナリンが出ていないと、昼間、まともに起きていられなかったんだろうな。
いま思い返すと本当にひどい話なんだけど、週末になるとどうしても起き上がれなくて、せっかく当時の彼女がデートに誘ってくれたのに眠いからって断ったこともありました。
デートより、仕事で無理することの方を優先していたなんて、いまならそれがどれだけバカなことか、考えるまでもないですけど。
なんというか、当時は睡眠時間が足りないと感じることイコール、忙しく働いている、みたいな勘違いがあったのかもしれません。
いえ、実際に忙しかったんですよ?
でも、忙しければ忙しいほど、仕事が早く終われる日はさみしさを感じるというか、罪悪感に近い感覚に襲われたんですよね。
そのような、おかしな焦燥感みたいなものも、ワーカホリックの特徴なんでしょうね。
寝不足の思い出は、ゲームがやめられなくて、本を読みだしたら止まらなくなって、毎晩飲み歩いて、みたいないろいろな経験が誰だってあると思いますが、どんなに真面目な理由だとしても大概にしとかないかん、ということなんでしょうね。
逆にいえば、無理は若いときにしておけってことなのかな。
いや、それも令和の時代にはありえない話か。
なんてことを思いながら、やっぱり限界を超えるまで無茶をしたくなるような仕事をまたしたいという欲求が頭をもたげてくるのも事実で、自分はつくづく懲りないなあ、と昭和生まれの自分に呆れます。
蛇足

蛇足ですけど、学生時代に読んだファンタジー系の小説でロードス島戦記というのがありました。
【合本版】新装版 ロードス島戦記 全7巻 (角川スニーカー文庫)
その登場人物で、バーサーカーというキャラが出てくるのですが、バーサーカーは狂戦士とも表記しますが、イメージとしては怒りに支配される代わりにとんでもない強さを発揮するのですが、狂うほどの怒りで我を失い、敵味方の区別すらできなくなることもあるんです。
近年の作品では、ベルセルクというマンガの主人公、ガッツが、魔法の鎧に乗っ取られてとんでもない力を発揮して使徒と戦うシーンがありますが、それも鎧によって痛みなどを感じなくなる代わりに怒りに支配されてしまいます。
ワーカホリックも、ある意味、感情や欲求に支配されて壊れて動けなくなるまで仕事を止められない状態なので、バーサーカーの一種のような気がしませんか?
ワーカホリックな人は、もしかするとファンタジーの世界に片足を突っ込んでいるのかもしれません。
ちなみに、バーサーカーは英語読みでBerserkerと書き、語源のノルウェー語ではBerserkrと書きベルセルクと読むそうです。
おわりに〜勧めたい人

本書は、結局のところ、
寝不足を侮ると後悔しますよ。
ということなのですが、何気に、
現在進行形で、眠れないという悩みを持つ人が対象になっていたりするんです。
そういう人に向けて、仕事のストレスなどで眠れない状況を改善するための提案もいくつか書かれています。
表紙にもあるように、著者は寝不足を長年そのままにしたために心身の健康を損ねてしまい、回復までに3年かかったそうです。
だから、現在、眠れない、寝不足だと感じている人に向けて、自身の体験と効果を感じられた対処法をまとめたのでしょう。
ちなみに、著者は同じような症状を感じた人には、対処法だけに頼らず、専門医などに相談することを勧めています。
回復に3年間かかった症状は、そうとう大変だったということなんでしょうね。
対象者はものすごくニッチですが、寝不足を感じたり、最近疲れが取れなくなったと感じている人は、一度読んでみてはいかがでしょうか。
昭和の中学生のころ読んだ華麗なる探偵たちを大人になって改めて読むと推理小説じゃない気がしました

赤川次郎の小説は、ぼくと同世代で1990年前後に中高生だった人は1冊は読んだことがあるのではないでしょうか?
赤川次郎が、昭和の小説家を代表する1人なのは間違いないでしょう。
普段、あまり読書をしない人には、テンポがよく読みやすくて読書の入り口としてピッタリなんですよね。
今回は、ぼくが当時とくにハマったシリーズを時代背景とともに紹介します。

華麗なる探偵たち
著者:赤川次郎
発行所:徳間書店
初版発行:1986年4月15日
本書について

今回紹介する本書、華麗なる探偵たちは、大きな遺産を相続した主人公の鈴本芳子と、名探偵シャーロック・ホームズ、剣士ダルタニアンの3人を中心に展開する推理小説です。
シャーロック・ホームズとダルタニアンが出てくると言っても、最近流行りの異世界転生ものではありませんよ。
ざっくりと説明すると、主人公の鈴本芳子が遺産を相続することになると、親族などが遺産欲しさに芳子を精神分裂病とうことにして精神病院に連れていき一生入院させようとするんです。
その病院はどうやらお金持ちが利用するところのようで、芳子が入れられた隔離病棟には現実の世界では生きにくいであろう様々な人たちが暮らしていたんです。
そこで出会ったのが、本気でホームズと思っている人と、本気でダルタニアンだと思っている人だったということなんですよ。
ただし、このホームズとダルタニアンの侮れないところは、能力もキャラクターに相応だというところです。
推理能力抜群なホームズと、身体能力抜群なダルタニアンとすったもんだがあって、その後、お金に困らなくなった主人公は探偵業まがいのことをする、というのがこのシリーズのプロローグといったところでしょうか。
それにしても、精神分裂病とは時代を感じる表現ですよねえ。
令和の現在では使えない病名でしょう。
現在は、統合失調症と言いますよね。
でも、主人公を病院に一生閉じ込めたいと思った親族がとっさに思いついた病名が精神分裂病というのは、むしろ素人が思いついた感じが出ていて言い訳としてはしっくりときます。
また、病院がお金を払ってくれるならなんでも聞く感じなので、隔離病棟に入れてほしいときの合言葉みたいなものだったのかも。
ちなみに、本書は短編集で、その後のシリーズ化では長編推理小説となっています。
約30年ぶりに読んだのですが、長編シリーズだと記憶していたので、1話ずつがものすごくライトでスピーディーに展開してくのに少しびっくりしました。
本書の発行後、1994年までに5冊の続編が発行されました。
- 百年目の同窓会
- さびしい独裁者
- クレオパトラの葬列
- 真夜中の騎士
- 不思議の国のサロメ
本書の発行時期1985年~1986年の出来事

本書が書かれたであろう1985年を調べてみると、時代としてはプラザ合意による円高不況に陥るも、翌年からバブル景気に突入するという時代の転換点になった年だったんですね。
出来事も、歴史的に有名なことが多く起きています。
青函トンネルが開通したり、電電公社がNTTになったり、夕やけニャンニャンが始まっておニャン子クラブができたりと、その後の好景気をけん引するようなものが生まれた年でもあるようです。
スーパーマリオブラザーズも、この年に発売されました。
事件もかなり有名なものが複数起きています。
豊田商事事件や日本航空墜落事故、ロス疑惑もこの年です。
1986年はどんな年だったかというと、まず、岡田有希子とビートたけしフライデーが印象深いです。
葬式ごっこいじめブームというのもインパクトがありますね。
流行語の、土地転がし、というワードですでにバブルが始まっている様子が伺えます。
究極、プッツン、テレクラ、と流行語を並べると、なんだかものすごいカオス感が出て香ばしいです。
ちなみに、この年のベストセラーはうつみ宮土理のカチンカチン体操です。
究極のグルメにプッツン女優、土地ころがしにカチンカチン、なんだか日本全体が浮き足立ち始めているのがわかりますよね。
本書から感じる昭和の時代感

本書を読んでいると、色々な『昭和あるある』がでてきます。
ここでは、本書で感じた昭和あるあるをユルユルと書いていこうと思います。
名前
主人公の名前が芳子なのですが、最近の小説や漫画で登場人物に芳子って出てこないですよね。
出てきても、美子とか世IV虎じゃないかな。
他にも、一江、康子、和哉、哲志、みたいなキラキラ感ゼロの名前が出てきますが、こういう漢字を含めた名前の語感に団塊世代から団塊ジュニア世代の昭和の雰囲気が漂っていますよね。
段階よりも前だと、トメとかよねとか亀吉のような名前になるので、芳子みたいな名前は実はすごく昭和の中の一定期間の雰囲気が漂うんですよ。
金銭感覚
主人公は、遺産を相続して大金持ちになり暇を持て余すようになったこともあって、9号棟の住人と探偵まがいのことを始めるのですが、その金額はなんと!
4億円。
もちろん、令和の現代でも4億円を相続すれば大金持ちなのですが、もし設定が令和なら相続する金額の桁が違ったでしょうね。
あと、やっぱり、1986年以降にバブルになって行くので、たった1年後の1987年に書かれただけでも金額の桁が1桁は上がっていたんじゃないでしょうか。
大金持ちの金銭感覚も、時代を感じられるポイントになりますね。
電話
事件を追う過程で、関係者に当時何をしていたかみたいな話を聞くシーンがあるじゃないですか?
そういうときに、「公衆電話を使うために部屋を離れていました。」
みたいなシーンが出てくると、時代を感じますよね。
当時のことを調べると、ちょうど肩からかけるでっかい携帯電話が登場したばかりで、一般市民はまだ携帯電話を持てなかった時代です。
だから、令和の現在ではちょっと通用しないであろうアリバイが出てくるんですよ。
読んでいると、なんとももどかしい気持ちにもなるのですが、それは逆に考えると、現在は言い訳の難しい窮屈な時代になったのかもしれないな、とも思えてきます。
終わりに~これは推理小説なのだろうか?

本書をおじさんになって改めて読んでみると、これは推理小説ではないですね。
と言いながら、裏表紙を改めて見るとユーモア・ミステリーと書いてあります。
ん?ミステリーだから推理小説でいいのか?
なんだかよくわかりませんが、読んでいてもどんでん返し的な展開はあっても推理は物語上、ホームズが事件の謎解きを誘導していくものの、謎解きが物語の本筋というより、登場人物の活躍を際立たせるための推理展開という感じがしました。
それはおそらく、このシリーズの1巻目で短編集という事情もあって、1話をスピーディーに進めるために推理よりもキャラクターの個性優先になったんでしょうね。
ほら、プロレスでも新加入の外国人レスラーの最初の試合のときは、
「このレスラーはこんなキャラですよ~。」
みたいな得意技のフルコースを見せたりするじゃないですか?
赤川次郎氏がそんな意図でわざと書いたのかはわかりませんが、それがむしろ物語を面白くしているんですよね。
このシリーズを読んだのは、たしか中学生のころだったと思うのですが、そのころに読んだ時はもちろん、いま読んでも面白いというのはやっぱりすごいと思うんですよ。
時代設定はすこし変えれば、いまテレビドラマ化しても十分通用するくらいのキャラクターの個性とストーリー展開です。
大人になったいま、とくにコロナでストレスを抱えがちな現在に赤川次郎を読むというのもなかなかいいものですね。
あ、新装版では第九号棟の仲間たちっていうシリーズ表記になったのね。
はじめてのの意味をどう理解するかで感想が変わる本なのかも〜はじめての沖縄

『はじめての』
とタイトルにあるんだけど、え~っと、この『はじめての』はいったい本書のどの部分を指しているのだろう?
最後まで読んだけど、失礼ながらタイトルから受ける印象とは真逆の印象を受ける話たち。
もうちょっと読みこめば理解できたのかな・・・。
それにしても、これは困った。
これを読んでしまった後では、「沖縄、好きなんだよね~。」なんてこと、うっかり口に出せなくなる。
どうして口に出せなくなるのか?
それは、この本の著者が誰よりも強い沖縄愛を語りつくしたから、というわけではありません。
いや、ある意味、強い沖縄愛を語り尽くしているのは間違いないんだけど。
ある意味、愛が強すぎるゆえに、読んだ人に枷をして気軽に沖縄好きと語ることを躊躇させるような重たささがあります。
とはいいながら、この本を沖縄のいいところを紹介しているガイド本のように思って手に取った人は、50ページも読まないうちに「グダグダとうるさいな!」の一言で閉じてしまうのかもしれないけどね。
とにかく、『はじめての』というわりには難しい。難しいよ!
と、若干うつうつとした気分を味わいながら最後まで読んで、
「あー、そういうことか。」
と勝手に腑に落ちたことは、あとで書こうかな。
というわけで、今回紹介する本は、いろんな意味でなんとも感想が述べにくい1冊でしたが、読んだからには紹介します。
だって、本1冊に完全な解答を求めることばかりが読書ではないし、色々と余韻が残る本というのは楽しいですから。
はじめての沖縄
著者:岸政彦
発行所:新曜社
初版発行:2018年5月5日
本書はこんな感じだと思います

著者の岸政彦氏は沖縄研究を中心にする大学教授で、ざっくりと言うと街に住む一般人にインタビューすることで地域社会の歴史や抱える問題などを調査している人、だと思います。
また、岸氏は若いころに沖縄を訪れてから『沖縄病』にかかり、地元に帰ってからも泡盛を探しては飲み、沖縄の音楽を愛してしまうような沖縄旅行者あるある状態になり、それが高じてなのか沖縄の研究者にまでなった人です。
それにしても、岸氏の言うところの沖縄病ってやつは、若者だけの流行り病ではないところが厄介なんですよね。
30代からでも40代からでも、きっと60代以上になってもかかってしまう病、と言うよりディズニーランドでかけられる魔法に近い気がします。
本書は、そんな沖縄病にかかった人たちの話、ではなく、沖縄病にかかってから大学教授になり沖縄の研究を進める中で岸氏が直面した沖縄と本土の物理的、あるいは精神的な境界線を前にして、本土に生まれた日本人は沖縄とどう向かい合うべきか?
ということが、自身の思い出、コミュニティ、観光地、歴史、などいろいろな視点から語られているんだと思います。
だと思います、といちいち付けるのは、この本はもしかしたら読む人によって感じることが異なるのかもしれないからなんです。
たとえば、沖縄は日本復帰前は好景気だったという人がいる一方で、占領期は仕事がなくて身体を売るしかなかったという人もいるわけですが、本書では著者のこれまでのインタビューで蓄積した情報から、儲かったという人の視点と、過酷な目にあった人の視点、両方とも書かれているんです。
こういうところが、本書を難しくしている理由だと思うのですが、最近のわかりやすい片側からの主張で完結する本に慣れてしまった人には、読後にお尻がムズムズすると思うんですよね。
とにかく、本書の3分の2までは話題や時代がいろいろと飛ぶというか、本土生まれの人と沖縄の関係性のあり方を軸に著者の若かりしころの話だったり、沖縄のご老人の話だったり、歴史だったり経済だったりの話題が続きます。
でも、この3分の2の話題が残り3分の1を読み進める上での大切な情報になっているんです。
3分の2を読まずに後半だけを読むと、おそらく、その他の沖縄の抱える問題を扱う書籍の概要を読んだだけのようになってしまい、沖縄を間違った眼鏡をかけてみてしまうようになると思うんですよ。
だから、最近は読書を進める人の中で、
「本はまるまる1冊読む必要はない。知識を得るなら興味のある章だけを読めば十分だ。」
という人もいますが、本書の場合はそういう読み方はたくさん沖縄関連の書籍読んでいる人以外には向いていません。
いや、沖縄関連書籍をたくさん読んでいる人なら、本書は沖縄本としては個性的なので、むしろ最初からじっくりと読みたくなると思います。
境界線が消えてしまう催眠術

ぼくは名古屋出身なんですけど、自分が名古屋人のせいなのか沖縄方言の話を読んだ時に感じたのは親近感なんですよね。
名古屋もひと昔前は、東京と比較対象の田舎街代表で、定期的に名古屋めしと方言がばかにされてきました。
方言の話では、なんでも、だがや、だぎゃー、エビフリャー。
机をつる、というのも方言で、「なにそれ~!笑、全然意味わかんな~い!笑」
とバカにされていたわけです。
それがまさか、名古屋めしがこんなに全国レベルになるなんて思ってもいなかったし、名古屋弁も河村たかし市長の名古屋弁は偽物だなんていわれるくらい現在は薄口になってきているものの、理解されるなんて信じられないですよ。
だからというのも変だけど、沖縄に求めているのは、東京や大阪の人のことはわからないけど、名古屋のような都会の田舎といわれる場所で住んでいる身にとっては、地方に旅した時に求める、まだ残る個性や、昭和のバブルの名残に似たような風景に出会いたいという気持ちとそこまで大きくは変わらないんじゃないかとも思う。
ただし、沖縄にはやっぱり独特なお酒の文化が存在していて、あの気候と、あの料理と、あの酒が組み合わさったときに得られる酔いというのは、沖縄が訪れた人にかける催眠術なんじゃないかとも思う。
忌野清志郎が歌うところの、
「ベイベー、オー、ベイベー、いけないルージュマジック ♪」
みたいなもんですよ。
いや、知らんけど。
そんな感じで催眠術にかかってしまうと、仕事場や家庭での日常の自分から気づかぬうちにはみ出して、普段の自分が見たら恥ずかしい姿を晒してしまうんでしょうけど、恥ずかしい姿を晒してしまった沖縄だからこそ勝手に共犯関係的な親近感を覚えて沖縄を知った気になってしまう人がいるんじゃないかな。
恥を晒したあとの親近感って、通過儀礼的なことを飛び越してしまうのでね。
そんな理由もあって、本土と沖縄の間に存在する境界線的なものも沖縄病は消してしまうんでしょうね。
ちなみに、泡盛だって少し前までは臭くてまずい酒と蔑まれていたけど、それもなんだか名古屋めしがなんでも味噌まみれで告れ辛くて食えたもんじゃないと都会者どもに蔑まれていた立場からしたら、なんだか親近感が湧くのですよ。
そういうと、そんなのと一緒にするな!沖縄の歴史はもっと過酷だったんだ!
といわれそうだけどね。
余談だけど、日本では、自と他の違いをわざわざ見つけては下に見ることで自分たちの連帯感を作り上げて優越感に浸ることくらいしか、都会人の定義なんてないのかもしれないな。
本書に感じたぼくの勝手なイメージ

冒頭で、若干うつうつとした気分で読んだと書いたのは、ぼくだって沖縄の人はおおらかだとか、癒しの島だとか思ってしまう魅力を多少なりとも感じているからです。
そう感じるのは、やっぱり空港について飛行機から降りたとたん感じる空気の匂いや肌触りに気分が高揚するし、沖縄へ旅する理由に普段生活する空間から逃避したい気持ちがあるからで、普段の冷静な自分はどんな土地へ行ったっていい人も悪い人も、おおらかな人もせっかちな人も、綺麗な景色も汚い景色もあるのはわかっているんだけど、せっかく日帰りではなくまとまった時間をとって沖縄で過ごすんだから、いいところだけ感じていたいと思うのは普通の感覚なんじゃないかと思うんですよ。
まあ、そのナイチャーの持つ勝手なイメージと感覚を沖縄に押し付けているのが問題なんじゃないの?
と言われれば黙るしかないんだけど、本書で出てくるバスガイドのような活動家じゃないかぎり、普通のサラリーマンのような人は許してやってくださいよ、と言いたくなっちゃうんですよね。
もう、さっき知ったばかりの沖縄の言葉を話しているサラリーマンなんて、エロ本の知識だけで女を語る童貞と変わらないんだからさ。
とはいえ、こんなことを書きながら、本書の特徴に気づいてしまったんですよ。
なんか、俯瞰しに行かずにずっと地べたから観察し続けることを意識的にしている。
普通なら、ある程度豊富な情報が集まったら、次はそれらの情報をもとに俯瞰して観察、考察すると思うんです。
本にまとめるって、ある意味そういうことじゃないですか?
それをあえてせず、過去の思い出も現在のフィールドワークも全て対等に並べてある感じがするんです。
それが、本書の3分の2まで続くのでお尻がムズムズするような焦ったさ、面白いんだけど読みにくさも感じる正体なのかなと思いました。
蛇足ですが、昔、伊集院光とみうらじゅんがD.T.っていう本を出していたけど、本書を読んでいると、青春映画から感じるような、一種のほろ苦い気持ちとモヤモヤ感みたいなものと同時に、何歳になっても心は童貞のままな人のピュアな目線みたいなものも感じたんですよ。
童貞、という表現は別にバカにしているわけではなくて、書籍D.T.でも語られているけど、ものづくりとか発明とか、想像力が豊かで物事をとことん追求する人って心がいつまでも童貞だよねということなんですよね。
ちなみに、心が童貞のままって、多少の差はあれど日本人の80%くらいはそうじゃないかと思うんですよ。
逆に、日本人で心まで童貞を卒業した人は、お金が全ての人じゃないですかね。
その心の童貞があるからこそ、沖縄病にかかっている人の言動に触れると、なんともいえない気恥ずかしさやいたたまれない気持ちになってしまうんじゃないかと思って。
そして、沖縄病にかかっている人の言動と著者の反応の両方にお尻がムズムズしてしまうぼくもまた、心の童貞なんだという事実に直面して苦笑いするわけです。
これは、ぼくが感じた本書の内容とは関係ない勝手なイメージですから、本書を読んで心の童貞を感じなくても怒らないでね。
おわりに~当たり前にあるはじめての

ぼくは1冊を何度も読むタイプではないので、間違って解釈したこともたくさんあるはずです。
いや、それどころかほとんど間違って解釈しているかも。
ただ、これを書きながら改めて、『はじめての』の指す意味を考えてみたんですが、著者が沖縄を訪れるたびに、景色、歴史、文化などの情報を知る、知らされることに常にはじめてのことが含まれている。
もしくは、常にはじめてのこととして受け取るから、沖縄は常に『はじめての』なんだ。
そういうことなんじゃないかと思いました。
そして、はじめての沖縄は、別に著者だけにはじめての場所であり続けるのではなく、旅で訪れる人、仕事で訪れる人、すべての人にとって常にはじめての沖縄がそこにあるということです。
でも、多くの人は目の前が常にはじめての沖縄である可能性に気づかないんですよね。
それは仕方がないことだと思うんです。
だって、日本の教育は知識のための疑うスキル、観察するスキルは二の次というか、そもそも大学院レベルでないと教えてないから。
大人になると、目の前の物事を過去の経験から似ていることを無意識に引っ張り出して認知しようとするけど、よほど注意しないと、それがはじめての経験だとしてもすでに知っている知識だと勘違いさせるんですよね。
もしくは、世代によってですが、マウントすることがコミュニケーションな人の知ったかぶり癖で、周りが大人の対応をしているのを自分が勝ったと勘違いして生きてこれたがゆえのドヤ感のイタさ。
とは言え、この手のドヤ感のイタさは、沖縄病と童貞も無意識に発症しがちな症状なので、一度でも経験のある人はそれを目の前にするといたたまれない気持ちになるんですよね。
ちなみに、『はじめての』は沖縄に限った話ではなく、あなたが普段住んでいる街にだって当てはまるんだと思います。
毎日、目の前に当たり前にあることなのではないでしょうか。
ただ、たった一つのことであってもよほど強い興味がない限り、朝起きてから夜寝るまでの間に大量の情報を浴び続ける現代人には『はじめての』ことを意識して気づこうとするのは疲れるし面倒くさいし、だからこそ人の脳は疲れないように過去の記憶を使って目の前にあるものを認知する省エネ技術を身につけていったわけです。
でも、いつも『はじめての』ことが目の前に存在すると意識することで、沖縄のことに限らず、そこをニュートラルに観ることができるのではないかと思うんですよね。
まずは、本書を読んで、あなたなりの『はじめての』を見つめてみてはいかがでしょうか。
金沢をまち歩きしていて見つけたいい雰囲気の古本屋と昭和の記憶を残す1枚〜オヨヨ書林

仕事のときも、旅行のときも、時間があればまち歩きををしてるんです。
泊まりの仕事だったら、Googleマップでホテルまでの距離を見て30分くらいなら歩きます。
なるべく大通り沿いを避けて、住宅地の多い路地を歩くんです。
そうやって歩きながら、小学校や雑貨屋の前を通ると、その地元の空気というか色みたいなものを感じて好きなんです。
途中、古本屋があれば、とりあえず入っちゃうんですよね。
そして、その地域ならではのものを探すのが好きなんですよ。
今回は、そうやってまち歩きをしていて偶然見つけた金沢の古本屋を紹介します。
秋の金沢でぼくが経験したお話です

その日は、仕事が終わった秋の夕暮れごろ、初めて訪れた金沢駅から片町まで歩きました。
いえね、本当はそこまで歩くつもりはなかったんですよ。
金沢は初めてだったので、金沢駅のそばのホテルを予約した、つもりだったんです。
いやいや、正直にいうと片町って金沢駅のすぐ横だと思っていたんです。
それなのに、グーグルマップで確認するとグググッと引いて金沢駅がずいぶん小さくなるじゃないですか。
「あれ~、おかしいな~。イヤだな~イヤだな~・・・。」
右も左も分からない、夕暮れで薄暗くなった街。
荷物を持ったまま駅で立ちつくしている訳にもいかず、チェックインの時間も気になったので、とりえずマップの指し示す矢印を頼りに歩き出しました。
大通りを避けた金沢の路地って、本当に薄暗いんですよ。
さらに言えば、金沢は空襲を受けなかった街だから路地も古いままでわりと複雑に曲がり交わり合う場所が残っているから、マップの矢印も一見すると遠回りに見える方向を指していることが多いんです。
それで、「いや、どう見てもこっちの道から行った方が近道だろう?」
と思って矢印を無視して直進すると、そこは行き止まりで来た道をムダに戻る羽目になったりして、知らない街で独り舌打ちをしてみたりする。

薄暗い路地が続いた先に、たまにお店の明かりが見えると妙にホッとした気分になるのも初めての道を歩く醍醐味かもしれません。
どちらかというと方向音痴なぼくが、知らない夕闇の街でそんな楽しみ方ができるのもスマホとGoogleマップのおかげなんですよね。
でも、駅から歩き始めて20分後、ぼくを混乱させることが起きたんです。
マップの指し示す方向に歩いていたんですけどね、目印のはずの建物がない。
いや、それどころか、歩ける道がないんです。
工事の影響でした。
「これは困ったな・・・。」
大きく迂回するしかありません。
しかたなく予定の道から大きく外れて、住宅の連なる細い路地を歩いて行きました。
当時は、新型コロナな影響もあってクルマも人通りもなく、
「サーーー・・・、ピチャピチャピチャ・・・・。」
と水路に水の流れる音がどこからか聞こえるだけの道が続きました。
目的地も予想以上に遠く、心細さと焦りでだんだんと早足になりながら歩いていると、突然、道が大きくひらけた十字路に出ました。
「あ~、なんかわかりやすい道に出られた。助かった~。」
なんだかよくわからない安堵もつかの間、目の前に蔦に覆われた古びた建物が現れたんです。

十字路にこの建物の存在感は思いの外大きく、しかも、まるで深海の暗闇の底でチョウチンアンコウが獲物を誘うような灯りに、ぼくの目は奪われ、離れなくなってしまいました。
「あ~、この灯りは誘ってるな~。ヤバいな~。」
そう思いつつも逆らいきれず、フラフラと灯りに吸いよせられるように歩いていきました。
そこがなんと、今回紹介する古本屋、オヨヨ書林だったんです。

入り口からのぞくと、雑誌が雑然と積まれているところと文庫本がきれいに並んでいる本棚とのコントラストに、「あ~、危ないな。これは何かあるぞ。」という嬉しさでめまいがし、おもわず頭の中で財布の中身を確認している自分がいました。
周りを気にしつつ奥へ進むと、突然、ピアノが現れました。
僕が訪れたときは、ピアノの周りにも雑誌やチラシがたくさん置かれていて、最初に見たときは、「まだ未分類の本が置いてあるのかな?」と思ったくらいです。
でも、その雰囲気が古本好きにはたまらなく、むしろ居心地のよさに繋がるんですよ。
おそらく、古い工場をリノベして開店されたのだと思いますが、その建物の持つ雰囲気も相まって人を惹きつける魅力はまさに金沢の街のチョウチンアンコウ。
わたしたちは、普段の日常生活の中で、ふと知らない街をさまよってみたいという願望をみんな持っていると思うんですけど、時として、思わぬいい店に吸い寄せられる。
そういったことが、あるのかもしれないな。
そう思った、お話でした。
お店で購入した金沢の街の記憶

ハントンライスは、もちろん美味しいですよ?
でも、金沢に来た思い出も欲しい。
そこで古本屋に来たわけなのに、欲しい本を普通に選んでは能がないですよね。
記念のお土産になるものは何かないかな?
と探していると、一枚のチラシを見つけました。
たぶん、金沢日活館のチラシです。

消えた映画館の記憶というサイトを参考にすると、金沢日活館という名称は1955年ごろに使われていたようです。
その後、金沢プラザ劇場と名前を何度か変えながら上映を続けますが、1999年11月29日に閉館し、現在は建物も取り壊されたようです。
ということで、このチラシは1955年ごろに配られたもののようです。
チラシに載っている、巨象の道という作品と地獄の剣豪平手造酒(ひらてみき)が1954年劇場公開のようなので、1955年で間違いないのでは。

一方で、載っているトクダ鞄店の広告に『秋の感覚』、大田呉服店の広告に『秋祭り衣装』とあります。
さらに、大田呉服店の広告にある、「大せいもん拂!」というのを調べて見ると、「誓文払い」といって、元は京都発祥の風習で、商店が罪滅ぼしと称して大安売りをする行事のことを言うんですって。
これが、10月20日ごろの行事だそうなので、1995年の秋、10月に配られた可能性が高いですね。
そうそう、こういう地方のチラシは、その地元のお店の広告が載っているのがいいですよね。
こういうところに、その地方の当時の風景がかすかに見えてくる気がしませんか?
あと、よく見ると、巨像と地獄の間の白線が上から下へ微妙に広がっているんですよ。
こういうところに、当時のパソコンがない時代に印刷の版下を手作業で作る様子がうかがえてグッときます。
たった1枚のチラシですが、街の歴史を少しだけ感じられるお土産っていいと思いませんか?
あと、こういうチラシを安価で置いてくれているオヨヨ書林さんは、本当にいい古本屋だと思います。
おわりに

おわりに、と言っても、
旅先の古本屋でチラシを1枚買いました。
なんていう話にまとめも何もないのですが、古いものを扱っているお店には、やっぱりその地方、地域の時間というか歴史がかいま見えるものがあって、とくに古本屋となると東京の神保町ではむしろ見つからない、高価なものではないかもしれないけど出会ったひとにだけキラリと光るものが見つかったりするんですよね。
ぼくのブログをわざわざ読んでくださっている人は、きっと本が好きなんでしょう。
よかったら、旅先で少し時間を作って古本屋をのぞいてみてはいかがですか?
そんな旅先の寄り道も、きっと楽しいものですよ。
これからお店を開きたい人が魅力をつくるのに参考にしたい1冊〜女子の古本屋

古本屋は、やっぱりいいですよ。
なんだかホッとする空間ですよね。
どうしてなのかな?
と考えると、もちろん本が好きな人にとっては当たり前なのかもしれないですが、やっぱり店主の意図があって集められた本が作り出す空気感が、店内に入ったとたん時間が止まってしまったような感覚におちいると同時に、忙しない余計な情報ばかりの濁流の中から、編集された情報の並ぶ空間にヌルッと滑り込めた安堵。
なんだか、自分の制御権を取り戻せたような気がしてホッとするんですよ。
でも、最近の古本屋はちょっと違う。
たぶん、居心地の良さの性質が変わったお店が増えた気がするのですが、そんなお店の店主を見ると女子だったりする。
いや、今回紹介する本が出版されてすでに10年以上経つ現在は、さらに次世代の古本屋ができているのかもしれないけど、たぶん、そんな新しい古本屋の時代が始まったころの記録の1冊なんじゃないかと思います。
ていうか、オープニングからたぶんを使いすぎ。
女子の古本屋
著者:岡崎武志
発行所:筑摩書房
初版発行:2008年3月25日
本書の時代背景を考えてみた

以前は女性が店主の古本屋はほとんどなかったというけれど、考えてみればたしかに古本屋のレジにはおじさんがしかめっ面で座っていることが多かった気がします。
たまに座っている女性は、店主の奥さんの場合が多かったかな。
ぼくの思う、住宅街にある古本屋は家族経営、大学のそばの古本屋は学生のアルバイト店員、古本屋が集まったところの店主は取っつきにくいおじさん、そんなイメージかな?
すべての敷居が下がった時代

ちょっと話はズレるけど、やっぱりインターネットの普及によってパソコンが一般家庭に普及していったことと、様々なもののデジタル化は、言い方は悪いけど多くの産業で専門職の価値を下げていきました。
たとえでよく使われる話ですが、マッキントッシュとDTPの出現によって印刷の原稿をデザイナーが作れるようになり、印刷代がめちゃくちゃ安くなりました。
聞いた話では、DTPの出現以前は月に1つの仕事があれば全社員が余裕で食えたけど、DTP出現以降は夜勤も入れた2交代制で何本も仕事をこなさなければならなくなったと言います。
それくらい、印刷はデザインから印刷のハンコを焼くためのフィルムを作る工程は高価な専用装置とそれを使いこなす職人技が必要で、敷居の高い仕事でした。
もっと強烈だったのは、デジタルカメラの出現でした。
なんだかんだで、モデルを完璧に撮影しようとすれば現在でもプロカメラマンには敵いません。
でも、デジカメによって企業の広報などで使用する写真を総務部の社員が撮影すれば済むようになってしまいました。
商品撮影も、ネット通販用などの場合はプロに発注するより自分たちで撮影した方が安く済んでしまいました。
さらに、スマートフォンのカメラが優秀になりすぎて、デジカメの市場すら縮小してしまいましたよね。
メルカリに出品するときは、ネットで見栄えのする撮り方を調べてスマホで撮影しています。
古本屋の世界だって、以前ならマニアの目利きの世界だったのが、スマホで撮影すると大体の値段、つまりその本の価値がわかるようになってしまいました。
さらに、インターネットとSNSによって好きなものの共感を集めやすくなり、好きの細分化が一気に進みました。
そして、好きの細分化によって、客が求めるお店の基準が変わっていきました。
それは、考えようによっては、共感される『好き』を集められるのなら、お店を開店する敷居もずいぶん下がったということなんだと思うんですよ。
さあ女子の番だ

そういう土壌ができたことで、ステレオタイプな女性像から外れた女子たちは、ていうか外れたわけではなく、最初からそんなステレオタイプはなかったのですが、とにかく師弟制があるかのような古本屋の世界が不景気で沈みゆく中で、女子が、というか、これまでの暗黙のルールの外にいる人が入り込める緩みができたんだと思うんですよ。
その緩みに入り込むのに、たまたまそのときは女子の番がきていたということじゃないでしょうか。
なんというか、町で古本屋を開きたいという人が現れるのって、高齢化の進む田舎で、どうせこのまま村が消えてしまうくらいなら、若者が興味を持ってきてくれるなら応援しようじゃないか。というノリに近いものを感じるんですよね。
令和の現在では、古本屋を始めるのは女子に限らず、20代の若い人が既存のイメージにとらわれることなく新しいアイデアで開店しているのを見かけますが、そんな流れの扉を開いたのが女子の古本屋なのかもしれませんね。
本書の価値は案内から記録へ

本書の役割は、おそらく店主が古本屋を始めるまでの道程を掘り下げながらその古本屋の個性を描き出すことと、古本屋めぐりが好きな人へ向けた案内書だとおもいます。
だから、初版発行の2008年からしばらくは案内書としての役割も十分に果たしていたと思うのですが、ぼくがこれを書いている2022年現在では、紹介されている古本屋が現在も続けているのか、移転しているのか、などは自分で調べなおす必要があります。
実際に、現在、海月書林さんはリニューアルし、ひるのつきという店名でオンライン営業中でした。
でも、本書の魅力は14年経っても色あせることはありません。
だって、各店主の古本屋を始めるまでの道程は、古本屋に限らず、男女を問わず、いつか自分のお店を持って自分らしい時間を生きていきたいと思っている人にはすごく参考になるし、一人で商いができるサイズが前提ではあるけどお店の魅力はつまる所、店主の魅力であって、業界のセオリーは絶対ではないということに気づくことができるから。
そして、お店と店主の話は、女性が店主の古本屋が増えていった2000年代の、ある意味、古本屋業界の転換期を記録した歴史書の役割を果たすようになった、と言ったら言い過ぎでしょうか?
おわりに本書はまだまだ役にたつ

時代は令和になり、電子書籍も当たり前の世の中になって、とくにマンガが好きな人には場所を取る紙の本から電子書籍に買い換える人も増えてきたけど、それでも本屋さんになりたい人はまだまだいるんですよね。
ぼくが本書を読んだ後の印象としては、これから古本屋を始めたい人が参考にするには1世代古い情報になっている気はします。
だから、いまから本屋を始めたいなら、なるべく最新の本屋関連の本を1冊は探したほうがいいと思います。
でも、前述したように、本書の魅力は店主が古本屋を始めるまでの道程、ストーリーにあります。
そこからの学びは、お店の経営の仕方ではなく、それぞれの古本屋を魅力的にしている理由だと思うんです。
だから、本を扱うお店を始めたい人にとって本書はまだまだ役にたつし、本屋以外でも何かのお店を始めたいと夢見ている人にもオススメしたい1冊です。
ちなみに、蛇足ですが、令和の現在は、この手の書籍のタイトルに女子とつけるのはなかなか難しいでしょうね。
そういうところも、歴史を感じる1冊かもしれないです。
2021年の新型コロナ自粛下で読書ライフはどうなった?

2021年は、新型コロナに翻弄された1年でしたよね。
もしかしたら、政治のいい加減さに翻弄された1年だったという方が正しいのかもしれませんけど。
なんにせよ、秋以降の急激な収束まで、みんな外出を控えておとなしく過ごしたんですよね。
そんな生活習慣が変わった中で、読書に当てられる時間が増えたという人も多いはずなんですけど、実際のところはどうなんでしょう?
今回は、ぼく自身の1年の読書を振り返りながら、2021年という特殊な年を簡単に記録しておこうと思います。
2021年はどんな年だった?

冒頭で述べた通り、2021年は新型コロナ、とくにデルタ株に翻弄された1年でしたね。
ワクチン接種が急激に進んだことも一因で、秋には世界的に見ても珍しいほど収束しました。
そのほかに印象に残る出来事は、
・2020東京オリンピックが開催
・河村名古屋市長、金メダルをかじり大炎上
・大谷選手、二刀流で大活躍
・衆院選
・首相交代、岸田内閣発足
・地下鉄などでテロまがいの事件が連続する
・田中邦衛さん、田村正和さんなどの名優の訃報
などなど、いろいろないいこと、悪いことが起きた1年でした。
流行を見ると、鬼滅の刃・無限列車編とシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開され大ヒットしました。
ヒット商品は、マリトッツォやオートミールが売れたんでしょう?
どっちも食べたことないけどね。
台湾のでっかい唐揚げも流行ってた気がします。
一方で、2021年の庶民の生活をトータルで考えると、コロナによって格差が開いて井蛙kつが苦しくなった人が増えたものの、政府の対策が先送りのまま年を越してしまい、悪い状況を持ち越した年という感じでしょうか。
個人的な流行は、家で昼食を取る機会が増えたことと自粛による運動不足から、蕎麦をよく食べました。
茹でた蕎麦に納豆とすりゴマ、海苔を乗せて、めんつゆをぶっかけるだけなんですけど、美味しくてハマったんですよね。
ちなみに、何かの研究で、蕎麦は低カロリーな上、めんつゆの旨味は満足感が高いので満腹中枢が刺激されやすく、普段より量が少なくても満腹になりやすいとか。
たぶん、オートミールを食べるより健康にいいと思うんですけどね。
話が脱線しました。
2021年の読書に関わる出来事

まだデータは出ていませんが、2021年の出版業会は販売金額は昨年とほぼ同じか微増傾向ではないかな。
理由は、出版科学研究所のデータ、『日本の出版販売額』を参考に見ると2020年はコロナの影響で巣ごもり生活の人が増えたため、2019年まで下がり続けていた販売金額が反転し増加したのですが、2021年もコロナの影響が続いたうえ、リモートワークが社会全体に広がり自分の時間が増えた人も増えたため、その傾向が2021年も続いたと予測しました。
ヒット作は、コミックでいうとやっぱり鬼滅の刃と呪術廻戦でしょうか?
でも、鬼滅の刃の最終巻は2020年12月4日発売だったけど、今年も特設コーナーで全巻を並べている書店があったので、よく売れたんじゃないかな?
あと、ぼくは子供がいないので知りませんでしたが、『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』というシリーズがヒットしていたんですってね。
NHKでアニメ化された影響で認知されて、シリーズ累計350万部を突破したんですって。
あとは、書店の売れ筋を斜め目線で見ると、社会的な不安を追い風に怪しいビジネス関連書がたくさん発行されているなあ、という感じでした。
その傾向は、たぶん少なくとも2022年上期の間は続くでしょうね。
政府は1日も早く、庶民の生活を安定させる充実した支援策を決定してほしいですね。
2021年のぼくの読書ライフはどうだったのか?

まあ、みなさんにはどうでもいいかもしれませんが、ぼくの2021年の読書ライフはどうだったかというと、読破数が激減してしまいました。
理由は簡単。
自粛要請で外出する機会が大幅に減り、喫茶店に行く回数がめちゃくちゃ減ったからなんです。
というのも、ぼくは社会人になってから仕事帰りに喫茶店で読書をするのが習慣になっていて、自宅ではぜんぜん読まないからなんです。
もともと読書習慣のなかったぼくは、社会人になってから仕事に関係する知識を増やす目的で読書を始めたんですが、その一方で仕事モードを家に持ち込みたくなかったので、ほぼ毎日、喫茶店に寄って2時間くらい読書をして精神状態をニュートラルに戻してから帰っていたんです。
そんなぼくですから、自宅で過ごす時間が増えたとたん読書ができなくなってしまったんです。
なんか言い訳っぽいけど、実際に自宅ではほとんど読み進められないんですよね。
YouTubeとかアマゾンプライムとか気になっちゃうし。
読書をするのは好きなのに、自宅では読めない。
喫茶店で読んだ内容は、帰り道の歩いている間に頭の中でまとまって仕事や遊びのアイデアに繋がったりするのですが、仮に散歩をしても読書をしていないから何も湧いてこないわけです。
これは、自分の習慣の問題だとわかっていても、改善が難しくてなかなか辛いことでしてね。
今年読んだ本を眺めても、よほど興味のあったサブカルチャー系か、仕事上どうしても必要だった本だけでした。
よく通っていた漫画喫茶も閉店してしまい、漫画を読む量も減ってしまいました。
2022年は、読書環境を一度見直したいと思います。
そんな中でも読んだ本は?

ちなみに、今年読んで良かったと思った1冊は、デジタル・ベーシックインカムで日本は無税国家になる!です。
このブログでも書きましたが、ベーシックインカムの前提として知っておきたい経済知識が簡潔にわかりやすくまとめられているので、経済ニュースが苦手な人に読んでみてほしい1冊です。
経済のニュースが苦手な人に読んでほしい1冊~デジタル・ベーシックインカムで日本は無税国家になる! - ストレイバード はぐれ鳥の止まり木
それ以外は、今年の発行ではないものばかりですが、まちづくり関連のものをいくつか読みました。
なぜ自己啓発系ビジネス書のようなタイトルに〜逆転人生の糸島ブランド戦略 - ストレイバード はぐれ鳥の止まり木
サブカルチャー系も、いくつか読みました。
昭和ブームに乗ったわけではないけどが、やっぱり昭和に発行されたサブカル関連の本は面白いです。
あと、戦後の赤線、青線について書かれた本も読みましたね。
とくに、沖縄アンダーグラウンドは衝撃的でした。
沖縄が本当に好きというなら知っておきたい教科書に載らない歴史 沖縄アンダーグラウンド(文庫版) - ストレイバード はぐれ鳥の止まり木
小説は、まったく読まなかったです。
漫画は、とくに今年に限ったことではないですが、キングダム、ケンガンオメガ、終末のワルキューレは読んでいました。
終わりに

2022年は、庶民の生活不安がなくなる1年になってほしいですね。
現代人にとって、読書は大切な娯楽のひとつだし、なんだかんだで現在でも良質な知識を得るには一番優れたメディアだと思います。
小説だって、生活を豊かにしてくれるだけでなく、IQを一番簡単に向上させるものと言われています。
そんな読書ライフが、だれでも不安なく楽しめる世の中になってほしいじゃないですか?
これは余談ですが、漫画は個人的にはマンガ喫茶でのんびり読みたいんですけど、最近の個室型のマンガ喫茶より、テレビゲームのテーブルが並んでいるような昭和からあるマンガ喫茶の方が好きなので、2021年はまたそういうお店が増えてほしいです。
2022年は、ぼくもあなたも最高の1冊に出会えるように、いい読書ライフを過ごせるといいですね!
経済のニュースが苦手な人に読んでほしい1冊~デジタル・ベーシックインカムで日本は無税国家になる!

ベーシックインカムの話は、コロナ前からテレビのニュースなどでも度々取り上げられるようになったので、聞いたことのある人も多いでしょう。
でも、実現はなかなか難しそうですよね。
理由はなんとなくですが、国民の幸福はは考慮されない部分での反対が多い気がしないでもないかな・・・。
それでも、日本の将来を考えると、いまベーシックインカムを導入することで衰退から逆転できる好機だとおもうんですけどね。
さて、本書はそんなベーシックインカムの学者などが語っている反対理由にたいして、デジタル技術でこうすればその問題は解決できますよ。
という提言が書かれた1冊です。
著者:苫米地英人
発行所:株式会社サイゾー
発行日:2021年12月16日
本書の特徴

本書はトータルで94ページと少ないページ数ですが、ベーシックインカム導入の前提として現在、新型コロナで顕在化した社会問題をわかりやすく丁寧に説明しています。
もちろん重要なのは、どのようにすればベーシックインカムが可能になるかという部分ですが、個人的にはベーシックインカム導入のための前提として述べられている日本のお金の仕組みの説明が、経済学者などが書くより簡潔でわかりやすく秀逸に感じました。
ですので、これまでにニュースなどで経済の記事には興味があるんだけど、いざとなるとわかりにくくて途中で挫折しちゃった経験のある人にお勧めしたいです。
というのは、マネタリーベースの意味や日銀のできることが理解できているのと、いないのとでは、そもそもどうして日本国民の多くが長年苦しい立場におかれているのか、ニュースでよく言われる将来の若い人が抱える借金の意味が大きく変わってくるからです。
ベーシックインカムとは
簡単に言ってしまえば、2020年にコロナの経済対策として配られてた定額給付金が、個人に対して毎月、もしくは毎週配布されるイメージです。
重要なのは、配布対象が『世帯』ではなく『個人』なので、全国民が平等に受け取れることです。
現在、給付金が世帯主に振り込まれるために実際に苦境に立たされている人の手に渡らないのでは?という問題が話題になっていますが、個人に対してであればその心配はなくなり、お金の問題で生きることをあきらめる人も減るはずです。
マネタリーベース
マネタリーベースというのは、経済を勉強していない人にはなんだかよくわからない言葉ですよね?
この、マネタリーベースの意味がわかった上で、日銀当座預金と国債と通貨発行権、それぞれがどのような役目を持って関係しているのか?
そこがわかってくると、ニュース番組が毎度垂れ流す国の赤字の話や増税の是非についても見え方が変わってくると思います。
とにかく、本書ほど短い文章で簡潔にわかりやすく国のお金の話を解説しているものはないと思います。
個人的にベーシックインカムが必要だと思う理由

個人的には、ベーシックインカムは期間限定でも実施するべきだと思っています。
まあ、期間限定だと次の世代に公平ではなくなるので永久の方がいいわけですが、たとえ限定でも実施するべきだと思う理由は、現在の日本国内には未来を担えるベンチャーが少なすぎると感じるからです。
正確な数字はわからないですが、現在、起業して作られるものは飲食店が多いのではないでしょうか?
もし、ぼくがいま会社を始めるとしたら、やっぱりカフェなどの用途付きのお店だと思います。
それ以外にチャレンジできる土壌が、いまの日本にはないと思うんです。
あと、会社を育ちそうなオリジナルの技術シーズが大学にも少なすぎる。
おそらく、現在の大学で研究されている技術シーズの多くは、国立大学の上位数校で研究されているものですが、そのシーズの数も絶対数が少なすぎると思いますが思います。
その理由は、研究室が高度な研究を続けるためには、経産省などの大型の助成金を得るか、大手企業と組んでまとまった共同研究費を得る以外ないからで、研究費が取れない教授は優秀なドクターをたくさん研究室に在籍させることができません。
ということは、一部の研究室以外は研究者が足りないということで、それはつまり大学で研究したい人がたくさんいも、収入が得られないために大学で研究を続けられないという現実につながっているんです。
これは、将来、日本の産業を支えられる産業に育つ可能性のあるシーズの絶対数が少なくなる原因に直結し、それは現在の日本の姿そのものなんですよ。
この現状を変えるためにも、たとえ10年間限定であってもベーシックインカムを導入し、最低限の生活を保障するべきなんです。
大学院に行っていない人には必要ないんじゃない?
という意見もあるかもしれませんが、そこは本書にあるとおり、近い将来どんどんAIが仕事をするようになるのは間違いないので、これからは全員が仕事の概念を更新していく必要があります。
つまり、仕事が収入を得る手段から、
社会にどう貢献していくか?
という考え方に変わっていくと思うんです。
すると、仕事を人の代わりにロボットやコンピュータがする時代には、ベーシックインカムはすべての人に必要な制度だと考えるべきなんです。
それでも、立場などによって色々な反論があると思います。
そういう反論に対して、丁寧に答えているのが本書です。
最後に本書をオススメしたい人

ぼく自身は、本書の内容に疑問がまったくないわけではないし、正直、コロナで生活基盤がボロボロになった人が多くいて、自死を選んでしまった人が多くいるうえにまだその選択をする人が続きそうな現在に、これがまだ実現しそうにないことにむしろ絶望を感じなくもないです。
でも、それでも本書の提案は、停滞どころか衰退が止まらない日本には必要不可欠なことだと思います。
2020年までに比べ、2021年の衆院選前後からは国民の声が届きやすくなってきたように見えます。
「あまり難しい経済話は苦手なんだけど。」
と思っている人が本書に目を通すと、目からウロコでいっきに世の中の見え方が変わって面白いんじゃないかと思うのでオススメです。














