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社会のはぐれ鳥 ストレイバードのブログです。主に昭和レトロで微妙な本、珍本、奇本を中心に紹介しています。

心霊写真についてすごく真面目な研究書[心霊写真は語る]

心霊写真は『どういう道のりを経て』人の前に現れるのか?

を多角的な視点で考察した研究書です。

 

 

 

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心霊写真は語る

編著者:一柳廣孝

発行所:株式会社青弓社

初版発行:2004年8月20日

 

 

 

 

そうなんですよ。

 

この本は、心霊写真の真贋を議論したものではなく、心霊写真が人間のどのような心理作用や脳機能の癖、さらにはメディアの誘導によって、『それ』を心霊と認識するのか?

という部分を真剣に研究した論文集のような本なんですねえ。

 

著者を見ていただけば、いかに真面目な本か、わかっていただけるかと思います。

 

[著者]

一柳廣孝 1959年生まれ。

横浜国立大学助教授専攻は日本近代文学、文化史

 

前川修 1966年生まれ。

神戸大学助教授専攻は芸術学、写真論

 

長谷正人 1959年生まれ。

早稲田大学教授専攻は映像文化論、社会学

 

小泉晋ー 1969年生まれ。

岐阜聖徳学園大学講師専攻は臨床心理学、臨床死生学

 

奥山文幸 1955年生まれ。

熊本学園大学助教授専攻は日本近代文学

 

吉田司雄 1957年生まれ。

工学院大学助教授専攻は日本近代文学、文化研究

 

今泉寿明 1955年生まれ。

精神科医

 

戸塚ひろみ 1951年生まれ。

日本口承文芸学会会員・日本民俗学会会員専攻は民俗学、口承文化論

 

小池壮彦 1963年生まれ。

作家。世相史に関するルポ・著作を発表

 

ね?

写真の先生から心理学の先生、さらには民俗学ルポライターまで、あらゆる分野の人たちがそれぞれの専攻の視点から心霊写真を分析しているんです。

 

そして、みなさん学者だから基本的には霊というものに対して冷静で一歩引いた基本姿勢から分析しています。

 

それは当然なんですね。

 

 

記録が残る心霊写真史

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例えば、写真史を勉強している人にとっては世界初の心霊写真がいつどこで誰によって作られたのか、記録がちゃんと残っていますし、心霊写真を作っていた人がどうして逮捕されたかも、一般常識がある人は「そりゃあ捕まるわなあ」と冷静に判断できる理由とともに記録として残っているんですよ。

 

そして、現代人なら一目で合成だとわかるような昔の心霊写真が、実は遺族を慰めるものとして『作られた』ものだったという事実も、大衆メディアでは隠されているだけで、探せばちゃんと記録が残っているんです。

 

昔は、居間や寝室に家族写真のように飾るものだったんですよ。

 

それがいつか、欲に駆られてか求められてか、親族ではなく妖精や口からエクトプラズムが出ている写真を作り出せば、逮捕されることもあるでしょう。

 

現代だって、有名女優のエロコラ写真を個人で楽しむ目的を超えて販売しちゃったら、おそらく逮捕されるでしょ?

 

まあ、罪状は違うと思いますが、悪質な偽りで商売すると捕まるのは今も昔も変わらないですよね。

 

とにかく、昔の心霊写真は写っているのが親族、妖精にかかわらず、どちらかというと『めでたいもの』だったんです。

 

それが、ある時期を境に『怖いもの』に変わっていくんです。

 

 

娯楽のために都合よく解釈された記念写真 

 

本書のp.106を抜粋します。

小池壮彦によれば、心霊写真を不吉なものだとする認識が成立したのは一九六五年(昭和四十年)以降のことである。それまでは心霊写真を縁起のよいものと捉えて、保管しておく風潮とみられたという。

 

みなさんもよく知っているとおり、日本でも心霊は怖いものということを前提にして流布してきたのは、近所のお坊さんでもなく、おじいちゃんおばあちゃんでもなく、スポーツ新聞や週刊誌などの紙メディア、そして今も昔も変わらず特番を作り続けているテレビですよね。

 

たぶん、メディアが大々的に流布した後に、日常社会の中で『見える』人が現れて、そこに見えないものに対する大衆心理が働いて・・・

と、色々な要素が重なりながらリアリティを増していったのでしょう。

 

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霊が見えるという人は嘘つきか?

 

ちなみに、カウンセリングでは霊が見えるという人を否定しません。

 

その人が見えるというのなら、それは見えているんですから。

 

見えていることを否定するのではなく、見えている霊が訴えていることを丁寧に聴きながら、その裏にある理由や意味を見つけていくんですね。

 

だって、霊が見えることには別に善悪があるわけではないですし、その人の内面を表出する手段かもしれないわけです。

 

そもそも、あなたが見えている景色が隣にいる人も同じように見えているとは限らないんですよ。

 

そして、それは聴こえているものも、口に運んだものの味も、全く同じとは限らない。

 

なにせ、共感覚者という、聴こえる音に重なって形や色や感触を感じる人が実際にいるんです。

 

その場の空気感や雰囲気に人や動物のような姿や感情が重なって見える人がいても、ぜんぜん不思議ではないでしょう?

 

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そういうことを知ってか知らずか・・・

たぶん、ほとんどは知らずにでしょうけど、当事者の苦しみをよそにエンターテイメントに利用されてきたのが、人の顔に見えなくもない岩陰や木々の茂みが写った写真たちです。

 

 

霊は怨念か意識高い系か、はたまた・・・

 

心霊写真は皮肉にもむしろ、写真は化学であって工学であるということを、写真を勉強する者に対して証明してしまうんですよね。

 

でもそれ以前に、心霊の写り方ってちょっとサービスが良すぎると思いませんか?

なんだか、これ見よがしにゾッとさせる表情とか、足だけ消すとかしてくるじゃないですか。

 

心霊写真の次の世代とも言える怖い映像に出てくる心霊も、静止画から動画に合わせて見せ方を工夫してきています。 

 

心霊ってある意味、そうとう意識の高いフォトジェニックですよねえ。

 

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そうそう、本書では映画『リング』の貞子というトップスターについても言及されていますが、この章に関してはジャパニーズホラーファンも必読です。

 

四角い枠の中に存在する心霊写真が、鏡の中に感じる異世界感と源流は同じではないかという考察などを読んでいると、心霊を信じていない人でも1枚の写真から感じるものがこれまでよりも豊かになっていくでしょう。

 

なぜなら、写真は鏡のような存在でもあるのですから。

 

 

 

蛇足ですが・・・

 

ボクが大学で写真の講義を受けていた時、教授が心霊写真について話をしたことがあったんですよ。

 

その教授は当時、警察からの依頼で防犯カメラの映像を解析したりするくらい写真や映像技術のスペリャリストだったんですね。

 

その教授が、

「世の中の心霊写真と呼ばれるものは、97%は一目で偽物だとわかる。

 

だけど・・・

 

たまにどうしても説明がつかないものも、あるんだけどね。」

 

と言っていたのを思い出しました。

 

信じるか信じないかは、あなた次第です。

 

 

 

 

 

心霊写真は語る (写真叢書)

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