聞書き遊廓成駒屋
聞書き遊廓成駒屋は、名古屋市の大門にあった中村遊廓の、今はなき成駒屋を舞台にしたルポです。
著者の神崎さんは当時、民俗学の先生をされていたのかな?
神崎さんがある日、名古屋駅での待ち合わせ時間までの間にぶらぶらと散策していたところ、大門の辺りで遊廓の取壊し現場に出くわしたんですよ。
そこには民俗学者としては見逃せない、当時を知る上で貴重な調度品や雑貨が今にも木っ端微塵にされゴミとして処分されようとしていたわけです。
そこで神崎さん、現場の人たちへこれも今はなきねるとん紅鯨団ばりに、
「ちょっと待ったーー!!」
と工事を少し止めてもらうことをお願いし、残っている調度品をトラックに詰め込めるだけ詰め込んで運び出し、その後は近隣の風俗店にいる当時を知るおばあさんに話を聞きながら丹念に調べていったんですね。
さて、話はワタシの近況に移ります。
先日、名古屋のやっとかめ文化祭というイベントの一つで、中村遊廓跡を巡るツアーに参加してきました。
実は、今年の8月にも友人と個人的に大門をまち歩きしてきたのですが、やっとかめ文化祭ではガイドさんの解説と遊廓の建屋の中を見学できるとのことだったので、これは行くしかないと参加しました。
今回見学させていただいたのは松岡健遊館さんです。
もとは遊廓で、売春禁止法以降は旅館として経営し、現在はデイケアサービスセンターとして利用されている建物です。
旅館時代の名残だと思うのですが、大広間の舞台の襖を開けると神棚があって、結婚式もできるようになっていたんだそうです。
部屋、と言ってもやはり旅館だった頃のないそうですから遊郭当時の面影はないと思います。
ただ、部屋の広さは遊郭時代のままだとしたら、結構高級な遊郭だったのでしょう。
この建物は料亭稲本
今は閉店していて、お話ではここもデイケアセンターとして利用されているそうです。
ガイドさんの話では、中村遊廓は南から北に向かうに従って高級なお店が建っていたそうで、料亭稲本はその中でも最高級な遊廓だったそうな。
ガイドさんは中村遊廓跡が一望できる、あるスポットで色々と説明してくださったのですが、毎年毎年、当時の建物が取り壊されていっているそうです。
理由は色々あるでしょうが、理由の一つに名古屋市から都市景観重要建築物に指定され、立派なプレートを設置されるものの、建物の維持費は支援されず、修繕は家主が自腹で行わなければならないんですって。
遊廓と言わず、古い武家屋敷などをみたことがある人はなんとなく想像がつくと思いますが、よほどの金持ちじゃない限り築100年以上の、当時の贅を尽くした特殊建築物を管理し続けるのは無理ですよね。
今回のイベントで歩いた時も、8月に歩いた時にはまだ営業していた遊廓跡のソープランドが跡形もなく消え更地になっていました。
遊廓はどれだけ贔屓目に見ても負の遺産ですから、文化財のように表立って扱うのは難しいのかもしれません。
維持しようとすると、町ぐるみで観光名所として公開する方法もなくはないでしょうが、持ち主は現在風俗を経営していないとしても表に出ることは躊躇するでしょうね。
なんの責任を負うこともない一般人は、消えゆくのを静かに見守るしかないんでしょうなあ・・・。
そう思うと、神崎さんのような学者の存在はすごく貴重なんだなってことがわかりますね。