ストレイバード はぐれ鳥の止まり木

社会のはぐれ鳥 ストレイバードのブログです。主に昭和レトロで微妙な本、珍本、奇本を中心に紹介しています。

『琉球の花街 辻とじゅりの物語』からレトロブームのその先ついて考えた。

この本を読むまで誤解してました。

沖縄の『辻』という街を。

 

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辻と侏儷の物語―琉球の花街 (がじゅまるブックス)

著者:浅香怜子

発行所:榕樹書林

発行:2014年2月20日

 

 

 

じゅりの漢字について

 

まず、『じゅり』という言葉ですが、書籍の表紙写真のとおり漢字で記載したいのですが、常用漢字ではないのでネット上では記載できないんですよね。

 

もうひとつ、じゅりを『尾類』という表記することもあるようですが、こちらはなんだか艶がないですよね。

どうやら、侮蔑的な意味が込められているようです。

 

なんだか、イエローモンキーと同レベルのニュアンスを感じて、この当て字を考えた人間の器の小ささが見えてキモイです。

 

 

現在の辻について

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写真は金城町の大アカギの御嶽です

 

現在は風俗街として有名で、昔から遊郭街として知られていたこともあり、「東京の吉原みたいな場所?」と思われていますが、まあ現在は大して変わらないのかもしれないですね。

 

でも、昔の辻(チージ)は吉原とは似ているようで似ていない、文化の異なる地域だったようです。

 

当時の『辻村』の姿は、沖縄戦後、アメリカによってブルドーザーで全て壊され平らな土地にされ、消滅してしまいました。

 

そこで保存され続けた御嶽(うたき)を含めた琉球文化の多くも、その時に失われたのだと思います。

straybird.hatenablog.com

 

ただ、戦後に生き残っていたじゅりの人たちが、辻村で最重要だった御嶽と、旧正月に踊られるじゅり馬行列を復活させたんですって。

 

 

どんな場所だったのか?

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辻は、完全に女性のみで運営されていた街だったそうです。

 

この部分では本土でも同じでしたが、いわゆる口減らしの目的で幼い女の子が連れられてくる場所でした。

ただ、吉原などの遊郭と違ったのは、連れられてきた子供は遊郭の女主人と義理の親子関係になり、じゅりとして働ける歳になるまで我が子のように最低限の教育などの面倒を見たんだそうです。

 

あと、吉原にも高級な遊郭には存在したルールですが、現在の風俗のようにお金さえ払えば誰でも抱けるわけではなかったんですって。

 

お見合いのように何度か顔を合わせて、じゅりが「この人となら」という人を選ぶことができたんだそうです。

 

あと、文化的なサロンのような使われ方もしていたようですね。

 

吉原などの遊郭街ではちょっと考えられませんが、辻では遊郭の部屋でじゅりを横に置いたまま、講演のようなことが行われたりしたんだそうです。

 

 

琉球文化はどのようにして生き残ったか?

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琉球王国だったころは、芸能は官僚や士族の男性のたしなみだったんだそうです。

 

そして、三線のような楽器は非常に高価で、町人がおいそれと手を出せるようなものではなかったので、町人文化としての芸能はあまり育たなかったようです。

 

そんな背景の中、辻には士族も通っていたわけですが、その士族がじゅりの部屋で過ごすときに、じゅりを喜ばせようと三線などを弾くわけです。

 

すると、それに興味を持つじゅりもいて、士族の御前に「私にも教えて~」なんていうわけです。

 

すると、その士族の御前も「おまえも弾いてみるか?」なんて教えちゃう。

 

するとすると~、そのじゅりは三線が欲しくなっちゃったりするわけですが、どうやら辻の側には三線を作る職人がいる村があったんだそうで。

 

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ところで、じゅりを囲う男というのは気風が良くなくてはいけない。

 

囲っているじゅりが生活に困って内職をするなんていうことは、間違ってもさせてはいけないわけで、半年に一度などのタイミングで生活費を枕の下に置いておくなどして、それとなーく渡すんだそうです。

 

だから、といっていいのかはわかりませんが、じゅりはその辺の町人なんかよりよっぽどお金を持っていたわけで、もっと三線を上手に弾きたいと思ったら買えちゃったんですねえ。

 

その後、琉球処分で士族が壊滅的なダメージを負って没落していったあと、琉球文化をなんとか守ろうと活動した人たちももちろんいましたが、そんな活動以外では辻の花街に活気があったころに士族などの男からじゅりたちに伝えられたものが生き残っていったようです。

 

だから辻には、遊郭の遊びとして育ったお座敷芸などではなく、遊廓に足しげく通った士族が教えた伝統芸能の跡が息づいているんです。

 

 

現在のレトロブームに期待したいこと

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ということで、昔の辻は現在の風俗街とはかなり趣の異なる街だったわけですが、ボクは吉原や大門のような本土の遊郭街も、沖縄の辻も、もう少し違う形で街を発展させられなかったのかな?と思うんです。

 

国の汚点を消し去るかのようにぶっ壊すのではなく、もう少し軟着陸させる方法はなかったのかな?

 

ということなんですけど、一つの事例として現在の辻に復活したじゅり馬のように、たとえば性風俗の部分をうまく取り除いて建物とそこにあったサロン的な機能だけを残すことができていたら、現在のインバウンドやレトロブームが起きたときに強力なコンテンツとなっていたと思うんですよね。

 

正直、現在のインバウンドというのは、医薬品や家電がよく売れたのに気を良くして国まで金儲けを後押しした結果、沖縄を含む日本の市民が細々と保存し続けてきた文化的価値を外国人に踏み荒らさせることになっている気がするんですよね。

 

なんだか、教科書の近代史で読んだ、鎖国が終わった日本に外国人が押し寄せたとき、日本の焼き物だとか絵画を、外国人がその価値をよくわかっていなかった日本人から安値で買い漁っていった話とかぶるんですよね。

 

ついでに、現在の日本では手に入れるのが難しい浮世絵の版画が、茶器などを包むのに使われていたんですって。

 

そうやって、価値もわからず何でもかんでも売ってしまい、やがてブームが去ってから自分たちの文化価値に気づいて呆然とするようなことが、現在の日本でも起きているんじゃないかなあ。

 

実際に、2018年現在、京都の町屋が外資に買われて壊され、どんどんホテルに建て替えられているらしいじゃないですか。

 

これって、たとえ今後日本人がその土地を買い戻しても、壊されてしまった建物とそこに息づいていた文化は二度と取り戻せないですよね。

 

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他人のことを言えた義理ではないですが、現在のレトロブームなんていうのは、ほとんどの人はインスタ映えとまち歩きの目的が強くて、そこにあった文化や技術へはそれほど興味ないように見えます。

 

もちろん、古民家や旧遊郭の持ち主が維持管理するための経済的な負担を考えれば、現状では消えていくのも仕方がないのですが、レトロブームを良いきっかけにして建物の維持方法はもちろん、そこで息づいていたはずの目には見えない文化的な情報をどうやって残して行くのか?

 

というところまでムーブメントが飛躍していくと、日本の未来が面白くて豊かに発展する可能性が高まると思うのですが、みなさんはどう思われるでしょうか?

 

 

 

 

straybird.hatenablog.com

 

 

辻と侏儷の物語―琉球の花街 (がじゅまるブックス)

辻と侏儷の物語―琉球の花街 (がじゅまるブックス)

 

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