忍者
それは、現代に生きる日本人ならだれでも親しみや憧れを感じたことのあるキャラクターでしょう。
年配の方なら、猿飛佐助?
中年なら、仮面の忍者赤影、忍者ハットリくん、ガッチャマン。
忍者キャプターは、ちょっとマニアすぎる?
現在の20代から子ども世代は、シュリケンジャーとかニンニンジャー?
NARUTOや忍たま乱太郎なんていうアニメもあるか。
さすがは忍びというだけあって、様々な作品に姿を変えて日本人の生活に入り込んでいますね。
しかも、忍び込みに成功したのは日本だけでなく、世界中で成功しています。
今回紹介する本によれば、バットマンは忍者がモチーフの一部になっているとか。
それ以外では、B級映画が好きな人なら香港映画で少林寺と戦うだけでなく、アメリカやブラジルなど世界中の国でゾンビと戦ったり、またはゾンビとして戦ったりしています。
忍者はミステリアスで、だからこそ何をさせてもサマになる、世界中を探しても他に存在しないほど唯一無二のキャラクターじゃないでしょうか?
そう!
世界中を探しても存在しない。
存在しない?
いや、本当に存在したの?
と疑いたくなるくらい、実は日本人も本当の姿をよく知らない忍者。
そんな忍者を、学問として研究している大学があったとは!
今回は、その忍者の実像についての研究成果の一端を読むことのできる1冊を紹介します。
忍者学講義
発行所:中央公論新社
著者:三重大学国際忍者研究センター
編者:山田雄司
初版発行:2020年2月10日
国際忍者研究センター?
本書は、三重大学の国際忍者研究センターの先生方が1章ずつ受け持ち、忍者の世界を様々なテーマで調査・実験検証した成果がまとめられています。
忍者食から煙幕、諜報力に歩行術、芭蕉説から精神コントロールまで、文献として残る忍者が行なっていただろう技術について読みやすい文章でまとめられています。
というのも、本書はもともと、読売新聞の伊賀版・三重版で連載されている読み物「三重大発!忍び学でござる」から抜粋してまとめられたものだからです。
内容によっては、論文っぽい表現でわかりにくい部分、一般人にはオタクのマウントのようで意地悪く感じる部分もなくはないですが、そこはむしろ学術研究の『いい意味』で頭のかたさが出ているなと感じました。
ぼくは正直、忍者は江戸時代からファンタジーが入っていると思っているので、解釈をするにも人々の夢に土足でどこまで踏み込んでいいものなのか?
ということも考えなければ、新聞の連載で研究成果を発表するなんて勇気がいると思うんですよ。
でも、忖度なしにファンタジーを否定し、忍者の実像をあぶり出していくのはむしろ、忍者の世界観を広げて豊かにする結果になっているんですよね。
著者のみなさんと、編者の山田さんの好連携で、一般読者にも楽しめる文章に仕上がったんでしょうねえ。
ただ、国際忍者研究センターという名称は、なんか頭がくらくらしませんか?
常磐ハワイアンセンターのような世界観、摩訶不思議な術中にはまっているような気分です。
研究センターを、研究の館みたいな表現にできなかったんですかねえ?
それで、名誉館長を舘ひろしさんにしてもらうの。
忍者食と古酒の関係について妄想してみた
本書では、忍者食についての研究成果が書かれていて、その中で忍者食のひとつ、飢渇丸の作り方が書かれています。
この飢渇丸、3年ものの古酒に浸すという工程があるそうで、この章の著者である久松眞名誉教授は、この古酒の解釈に悩まれたそうです。
ただ、ぼくの勝手な解釈だけど、この古酒は当時の琉球産の泡盛と解釈していいんじゃないかな?と思いました。
飢渇丸の作り方が書かれた忍術書『万川集海』は400年くらい前の書物のようですが、以前、このブログで紹介した『泡盛の文化誌』に気になる記述があったんです。
『泡盛の文化誌』の第三章、王国時代の泡盛に、[3、江戸の泡盛事情]という項目があります。
そこでは、慶長・元和年間(1596~1623年)ごろの徳川氏と武将などの言行録が書かれた、真田増誉著『明良洪範』で、琉球泡盛について書かれています。
その書物には、『琉球の泡盛は上質で薬効がある』と記述されているそうで、400年前にはすでに量は少ないですが島津藩経由で泡盛が流通していたのは間違いないようです。
また、当時、琉球の泡盛の作り方が九州地方に伝わって、麹の種類が琉球と同じか、もしくは九州の風土の影響で変化した麹で作られた焼酎が存在したようです。
さらに、琉球の泡盛には、『しつぎ』という古酒には欠せない手法があるのですが、この手法と蒸留酒だからできる長期保存、そして長期保存した方が酒が美味しくなることを知っていた琉球から古酒という文化と言葉が日本に伝播したんだと思います。
そういう時代背景があった上で、飢渇丸の作り方にわざわざ「3年ものの古酒に浸す」と表現していることを考えると、古酒はやっぱり琉球産の古酒か、島津藩あたりで泡盛の製造法を真似て作られた焼酎を指すと考えた方が普通かなと思いました。
まあ、たまたま泡盛の文化誌を読んでいたために思いついた、素人推理なんですけどね。
忍者の仕事と心理学
個人的に興味深かったのは、精神科医の見地からの章です。
忍者の仕事は、常に命の危険と隣り合わせ。
だから、常に冷静でいられるように精神のコントロールができなければ務まらないというんですね。
そこで、コントロールの方法として、忍術書に残されている有名な「臨!兵!闘!者!」と印を結ぶ方法と、いくつかの呼吸法についての解説があります。
個人的に気になったのは、逆腹式呼吸法を忍者が使っていた可能性があることでした。
逆腹式呼吸って、瞑想するときに使うといい呼吸法なんですよ。
呼吸は、一般的に力が入っているときに交感神経が活発になり、力を緩めると副交感神経が優位になるらしいんです。
あなたがいつもやっている深呼吸を、今からちょっとやって見てほしいんですけど、普通にやると吸うときにお腹が膨らんで、吐くときにお腹が引っ込みますよね?
このとき、息を吐き出そうとするからお腹を引っ込めるために力が入っているはずですが、自分の体を観察してみると、何気に吸っているときにも力って入っていませんか?
そう考えると、普通におこなう深呼吸って、何気にずっと交感神経が活発な状態になりがちなんですよ。
そうすると、リラックスしているときに優位になる副交感神経になかなか切り替わらないんですよ。
だから、通常の深呼吸は、緊張状態が続いて呼吸が浅くなっているときに、肺を大きく膨らませて酸素をたくさん吸収する目的には十分な効果があるのですが、精神を瞑想状態に近いリラックスに持っていきたい場合には向いているとは言いにくいんです。
だから、瞑想のときには逆腹式呼吸を使って、息を吐くときにお腹の力を抜くことで体の緊張を解いてリラックスしていくほうがいいわけです。
でも、ここでひとつ問題があるんですねえ。
瞑想をしたことがある人はわかるかもしれませんが、瞑想をすることは誰でもできるけど、瞑想の理想的な意識状態にいつでも入れるようになるには、1ヶ月や2ヶ月したくらいではなかなか難しいんですよ。
だから、毎日30分でもいいから、コツコツと続けることが大事なのですが、この『コツコツ続ける』ことの意味がわかると、忍者の呼吸法だけでなく、印を結ぶ効果がわかるはずなんですね。
たとえば、瞑想で逆腹式呼吸を続けていると、だんだん逆腹式呼吸をするだけで瞑想しているときのリラックスした状態に一瞬で入れるようになります。
これをパブロフの犬で例えるのはあまり適しているとはいえませんが、なんとなくイメージしやすいのじゃないかな、と思うんですけど?
こういう風に、心身を一瞬で再体験させることを認知機能科学ではアンカーとかトリガーという言葉で表現するのかな?
瞑想の理想的な精神状態をアンカーを脳に設定し、逆腹式呼吸をトリガー、つまり引金として設定することで、犬が呼び鈴を聞いただけでよだれが出るように、逆腹式呼吸をした瞬間に瞑想の精神状態に一気に切り替わるようになるんです。
実際に、修行を積んだお坊さんなども、2~3回の呼吸で理想の精神状態に入れるといいます。
この域まで呼吸法を訓練できていれば、忍者が忍び込むような緊張する場面でも、数回の呼吸で一気にリラックスできるようになれたんじゃないでしょうか。
あと、印を結ぶ効果もトリガーとしての役割が大きいんだと思います。
ついでにいうなら、忍術って現代では催眠術者が引き継いでいることがあるのですが、催眠術や気功の世界も立ち入ってみると、集団に一気にかけてしまう技術があるんですよ。
これも意識状態の使い方で可能になるのですが、おそらく印を結ぶ場合は、軍団長みたいな人が軍団全員を一気に理想的な意識状態に導くときに利用したんじゃないかな?
と思いました。
いや、知らんけど。
まとめとして忍者ってやっぱり魅力的
本書は、確かに忍者の実際の姿を追求しているのですが、一方で江戸時代までの日本が持っていた技術や知識を洗い出す作業にもなっていると思いました。
本書では、忍者食や心理的な話題以外に、忍術書として残されている薬草や煙幕、火薬の技術などが実際にどれだけの効果があったのかについて実験した結果が書かれています。
それを読んでいると、忍者って相当レベルの高い知識を持った技術開発者のような存在だったのかもしれないと思いました。
さらに、武将を寝返らせるための人心掌握術にも長けている人もいたりして、忍者集団が現代にいれば相当すごい中小企業ができてるんだろうなと思うんですよ。
いや、ある意味では、リーマン・ショック以前まではそんな中小企業はあったんじゃないかな?
とも思えてきます。
以前、よく言われていたのは、日本の企業は新しいオリジナルの技術を生み出すのは得意ではないが、海外で生まれた新し技術を使いやすく低価格で売れるように改良するのは得意だという評価でした。
忍術もおそらく、中国の謀略術や薬学を国内で利用しやすいように改善し、パル尖るなどから火薬の技術が入って生きてからは、自分たちの活動にどう生かすことができるかと研究して行ったのではないでしょうか。
その姿を想像すると、忍者は現代の研究者や技術者にはない周南な発想を求められる視野の広いスペシャリストだったのではないでしょうか?
ただし、下働きというか、武芸に特化していた忍者は、江戸の平和な世の中になると一気に仕事を失い、その中で生活をするために忍法の流派を後付けで考え出し、場合によっては旅芸人になって全国を回りながら、見た目に派手な技を披露していくうちに、超人的な忍者像が庶民の中で広がっていったんじゃないのかな?
と思っちゃいました。
そういう忍者像が広がっている現代に、三重大学が研究していることはおそらく、もう一方で国のために諜報技術などを駆使して働いていたスペシャリストの忍者のほうが後世のために残していたリアルな忍術なのではないでしょうか?
そう考えると、超エリートビジネスマンを目指す働く人にとっては、島耕作よりも忍者の方が魅力的に映っても不思議ではないですよね。