沖縄の古本屋で見つけた本を紹介します。
ぼくは、昭和に出版された本が好きなんですよ。
昭和の本を読んでいると、当時の流行していたものとか言い回しから当時の時代背景が透けて見える気がして、ノスタルジックな気持ちになるんですよね。
もちろんそれは、ぼくが昭和生まれだからほんの中の世界と自分の子ども時代に重なる部分があるからなんでしょうけどね。
今回紹介する本は、特に時代を感じられます。
パラパラとめくり、掲載された写真や広告を見るだけでも当時の沖縄を感じられました。
- オキナワグラフ 1973年7月号
- 1973年の時代背景と掲載されていたニュース
- 表紙を飾ったボクサーは?
- 沖縄初の印刷工業団地誕生
- ちょっと寄り道 印刷産業の裏話
- オリオンビールの缶生もこの年発売
- 沖縄グランドキャッスルのオープンも1973年
- その他の魅力的な広告
- まとめとして田中角栄の記事など
オキナワグラフ 1973年7月号
編集人:斉藤教策
発行所:オキナワグラフ社
発行:1973年年7月1日
1973年の時代背景と掲載されていたニュース
沖縄返還と一般的に言われる、施政権がアメリカから日本に返還されたのが、1972年5月15日のことですので、このグラフ誌は変換されて1年後に発行されたものです。
ですから、中身を読んでいると、返還による希望を感じているのと同時に、本土からやってきた企業による急激な開発と、それによって沖縄の伝統と結びついている自然が破壊されることへの葛藤や怒り、開発が進んでも沖縄に住む人たちには経済的な恩恵が少ないことへの戸惑いや失望感などを感じます。
また、記事の内容も、自衛隊による沖縄の海に散乱している不発弾や爆弾処理をレポートしたものがあり、戦争の傷跡がまだ生々しく残っている様子がうかがえます。
他には、那覇市役所のストライキの写真がいい味を出しています。
ストライキが起きた理由は、日本に返還されたあと本土との賃金差が埋まらない一方で、物価は本土並みに上昇したことが原因だったようです。
あと、同時に英語訳が乗っているのを見ると、当時の沖縄の様子が見えてくる気がしませんか?
表紙を飾ったボクサーは?
表紙のボクサー、格好良くないですか?
このボクサーは、那覇出身の上原康恒(うえはら やすつね)氏です。
1980年には、元WBA世界スーパーフェザー級王座を獲得しているそうです。
プロデビューが1972年11月ですので、きっと沖縄期待の星だったんでしょうね。
沖縄初の印刷工業団地誕生
個人的に、グッときた記事なんですけどね。
おそらく、この辺りが印刷工業団地だったのではないかと思います。
印刷工業団地ができたのは、やっぱり日本に返還されてこれからの大きな需要が見込まれたからなんだしょうね。
とくに、沖縄国際海洋博覧会が開催される前後で印刷物の需要が大きく伸びるのが予想できたんだと思うんです。
一方で、返還後の沖縄に労働環境を整備することが早急の課題だった状況で、当時、猛烈な勢いで伸びていた印刷産業へテコ入れするが経済対策としては最適だったんだと思います。
一般社団法人日本印刷産業連合会の公開データを見るとよくわかりますが、1970年から1990年までの出荷額と従業員数の伸び方は凄まじいものがあります。
グラフは一般社団法人日本印刷産業連合会[印刷市場の動向』より
ちょっと寄り道 印刷産業の裏話
これは裏話ですが、印刷会社は1990年ごろまで、月に2~3冊のカタログ仕事があればゆうに経営できていたくらい儲かる産業だった、と言われています。
マッキントッシュが出現して、DTP(デスクトップパプリッシング)という、印刷の版を作るまでの作業に必要だった超高額な専用装置に代わって、数十万円のデスクトップPCで印刷用のデータが作れるようになって印刷代が急激に下がるまでは、印刷は日本の花形産業の1つだったんです。
それと、印刷って1社だけでは成り立ちにくい産業なんですよ。
ちょっと身の回りの印刷物を改めて見てもらうとわかるのですが、雑誌やチラシ、書籍に名刺、それぞれ大きさが違いますよね?
さらに、お菓子の袋やマグカップ、不織布の袋、いろいろな素材に印刷していますよね。
印刷って、紙の大きさやビニールや布などの素材によって、印刷機が違うんです。
理想では、印刷会社一社ですべての印刷機を所有したいところですが、工場の大きさや機械の値段など、すべての印刷機を持つなんて現実には無理なんです。
だから、営業さんがもらってきた仕事によって、カタログは自社で作るけど、ノベルティのトートバッグは他の印刷会社にお願いする。
みたいに、印刷会社間で能力を補完しあっているんです。
だから、印刷工業団地のように一か所に会社を集中させるのは理にかなっているんですよ。
オリオンビールの缶生もこの年発売
オリオンビールが缶入り生ビールを発売したのも、1973年のようですね。
写真では、『夕べの主賓は若きレディーたち』との見出しで女性たちが缶ビールを手に持ち笑顔で並んでいますけど、時代背景としては1970年ごろのウーマン・リブ運動を契機に女性の社会進出が拡がっていた頃ですね。
沖縄返還で、ビールも大手が本土からどんどん進出してきて、居酒屋などに生ビールをおくようになったんでしょうね。
でも、オリオンビールとしては、
生ビールは鮮度が命だから、本土から船や飛行機で運んできたビールより、沖縄で製造したオリオンビールの方が新鮮で美味しいよ!
というところを強く推して、本土の大手ビールメーカーと対抗していたんですね。
沖縄グランドキャッスルのオープンも1973年
現在は、ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城と名称が変わってしまいましたが、沖縄グランドキャッスルは8月31日にオープンしたんですね。
ちなみに、沖縄グランドキャッスルは、1997年にホテル日航那覇グランドキャッスルと名称を変更し、2016年からは運営委託会社の変更により、現在のダブルツリーbyヒルトン那覇首里城となったそうです。
その他の魅力的な広告
付録のカレンダー
ニッカウイスキーの井の字がいいですよね。
三越
那覇三越は、2014年9月に閉店してしまいました。
フォルクスワーゲン
謎の情報機器の広告
これ、なんなんでしょうね。
とにかく謎の箱です。
まとめとして田中角栄の記事など
記事としては他にも、田中角栄総理がスピーチした、沖縄復帰一周年記念の会の様子や、国吉清尚さんという武骨で力強い作品を残した沖縄陶芸家の若い頃が紹介された記事などがあり、ページ数は46ページほどですが、当時の沖縄と本土の情勢がたっぷりと詰まったグラフ誌でした。
いや~、古本は情報の宝の山だ。
ちなみに、この古本屋さんで見つけました。