最近、女性の間でも遊廓跡を散策するのが流行っているそうですね。
現代では遊廓がそのままの姿で残っている地域はありません。
でも、地方へ行くと昔の名残のある建築物を見かけます。
名古屋の中村大門もその一つですが、当時を感じられる建築物は松岡健友館さん以外はほぼなくなってしまいました。
中村遊郭で格式が一番高かったと言われる旧稲本楼も、2018年に解体してしまい、もうその姿を拝むことはできません。
ちなみに、中村遊廓の稲本楼、吉原にあった大籬(おおまがき)『稲本』と関係があるのかと思ったのですが、とくに関係はなかったようです。
ちゃんと調べてないので、本当のところはわからないのですが。
さて、今回は吉原の三大大籬の一つである、大文字楼と当時の吉原遊廓について書かれた本を紹介します。
ちなみに、当時の大籬は、角海老、稲本、大文字だったそうです。
大正・吉原私記【シリーズ大正っ子】
著者:波木井皓三
発行所:有限会社青蛙房
初版発行:昭和53年3月25日
新装版:平成25年8月25日
著者について
著者は、その昔、吉原遊廓にあった大楼『大文字楼』の長男です。
著者は若いころ、妓楼の息子として豊かな生活ができていることの後ろめたさなどを感じ、父親が他界したあとは家を出て別の道で働いていたんだそうです。
本書が出版された1970年代には、大文字楼はすでに無くなり、大文字楼が建っていた場所は公園になっています。
著者は晩年、その公園を歩きながら、当時の大文字楼の間取りや働いていた人たちとの思い出を浮かべていたんだそうです。
そんなとき、季刊誌江戸ッ子で当時の吉原のことを連載していた縁で、一冊の本にしないかとの誘いを受け、著者は廓の世界から飛び出した立場で書いていいものかと逡巡しながらも書き上げたのが本書です。
教養があると倍楽しめる本
この本をしっかりと読み通すなら、そこそこの教養が必要だと感じました。
どうしてかというと、著者の昔話に日本文学の有名な人からお芝居と役者さんの話がふんだんに出てくるからなんです。
だから、一人一人が気になりだすとスマホで検索したくなるので、ページがなかなか次に進まなくなるんですよ。
ただ、文学や舞台にくわしくなくても、大正の東京、とくに吉原の周りの文化を十分感じられて楽しめます。
日本文学の有名な著者が吉原に出入りしていた様子などは、なかなかに興味深いです。
遊廓が消えていったのは国の政策のせいだけではなかった
個人的に興味深く読んだのは、
・花魁道中をするための練習の話。
・角海老楼の白縫花魁が優雅に起こした自由廃業騒動の顛末。
・楼主の苦悩と遊廓が消えていった深い理由
特に、楼閣主が自主的に閉店していった理由がなんとも切ないというか、人間味があるんですよね。
簡単に説明すると、妓楼という商売の後ろめたさ、罪の意識、何より自分の子どもを学校に通わせるのに職を偽らなければならないこと、そして本当の職が学校にばれた時、子どもが退学させられるということが実際にあったんだそうで、雇っている人と身内への罪の意識から廃業を考える楼主も少なくなかったんだそうです。
時代は大正から昭和へと変わっていく中で、社会の良識や道徳観なども変わっていきます。
そういう中で、遊廓と呼ばれた場所も時代の流れの中で役割や存在の意義が変わっていったんでしょうね。
ちなみに、令和の現代でも場所は違えど同じような現象が起きていませんか?
最近のコンプライアンス問題で、テレビで表現できる面白さが変わってきていますよね?
例えば、昔ならイジリとして面白がられていた芸が、現在はただのパワハラにしか見えないと批判されるようになりました。
それはSNSでの芸能人叩きとは違い、単に時代の流れで変わってきた社会の成熟具合や、広がる一方の格差社会の問題が背景にあって、昔面白がられていた芸風が視聴者にとっては見ていると痛みを感じるような表現として受け取られるようになったということだと思います。
関東大震災による悲劇とデマ
そのほかに、関東大震災を経験した著者が語る当時の状況は必読かもしれません。
震災直後に発生した火事によって、吉原遊廓もほとんどが焼けてしまいましたが、当然そこで働いていた女性がたくさん亡くなりました。
そのときの様子がなんとも酷いものなのですが、もっとひどいと思ったのは、当時廃娼運動をしていた人たちが流した憶測とデマです。
江戸時代ならまだ知らず、当時の吉原大門は閉じることができなかったんだそうですが、女性たちが逃げられなかったのは大門を閉じて逃げられないようにしたからだというデマをまことしやかに流したんだそうです。
デマによって世論を誘導しようとするのは、過去も現在もあまり変わっていませんね。
終わりに
ぼくも遊廓跡を散策するのが好きで、旅行先では探すことがあります。
名古屋の大門の古い建物が取り壊されることになった時も、やはり惜しいなあという気持ちが湧いてきました。
でも、今回この本を読んで、実際に経営していた人たちの気持ちや、時代の移り変わりによる存在意義の変化で、廃れていくしかない職業だったということ。
また、言い方は悪いですが、大楼であればあるほど建築物を残したくても真っ当な職業をしている限り維持は困難だという現実があることを感じずにいられませんでした。
名古屋の大門に残る昔の建築物も、有形文化財のような登録をされたとしても、修繕費などは県や市から出ないため、雨漏りひとつ直したくても大変な負担があると聞きます。
ただ、それでも、妓楼跡を見るたびにさみしさを感じるのは、今後はもう純日本的な建築物だけでなく、和洋折衷の過剰に豪華な建築物が作られることはないだろうと思わせる時代の変化を感じざるをえないからでしょうか。
永井荷風や樋口一葉など、現代に残る著名な作家が通った場所だという事実は除菌消去し、表立つ功績だけで評価しようとしても、それらの名著は影のない幽霊のようなものになってしまう気がします。
本書では、そこで暮らした当人が残す汚い部分も隠さず事実を記そうとした本って、すごく貴重なものなんだと気づかせてもらえました。
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