こんにちはー。
これを読んでくださっている30歳以下の方にとって、
『トルコ』
と聞いたときに思い浮かべるものはなんですか?
ケバブサンド?
マニアなあなたはトルコ映画?
風俗の世界に『トルコ風呂』なんていうものがあったの、知らないんじゃないですか?
トルコロジー トルコ風呂専門記者の報告
裸でメモをとりカメラをかまえて克明に記録した半公然売春とその世界
著者:広岡敬一
発行所:晩聲社
初版:1978年12月25日
トルコ風呂
もう使われなくなったこの名称は、私の記憶では小学生の低学年の頃までは、まだ名古屋市内のとある住宅街の中に一軒だけポツンと建っていて、
ただただ「謎なお風呂屋さんなの?」
って感じで、違和感だけはやたらと感じていた記憶があります。
さて、この本の表紙をめくるとこんな文章が目に飛び込んできます。
こんな文章をいきなり読むと、なんだか1970年代には半公然売春とまで言われる風俗で働くことは世間に認知されたように勘違いしそうだけど、もちろんそんなわけはないんですよ。
トルコ風呂で働く女性にものの哀れを感じなかったのは、おそらく著者の経歴がそうさせたんだと思います。
この本は、戦後の風俗史を知りたいなら全章必読なのですが、個人的には第1章を推します。
第1章では、著者自身を通して戦後の情景が語られています。
著者の広岡氏は、中国大陸生まれの日本人で、敗戦後に身寄りのない日本へ引き上げなければならなくなります。
そこでしばらくはヤミ屋商売をしますが、やがて国内が安定してくると商売が成り立たなくなり、とあるきっかけで吉原の流しの写真屋になります。
広岡氏は、戦時中は従軍カメラマンで特攻隊の写真を撮ったりしていたそうで、一通りのカメラの扱い方を知っていたんだそうです。
そこで、吉原が人で溢れる時間帯の前にカメラを持って歩いていると、店の入り口に座っている花魁から「1枚撮ってもらおうかしら」と声をかけられたんですって。
そうやって写真を撮るときや、焼いた写真を届けに行ったときに花魁から聞く話、その境遇を思うと、花魁とトルコ嬢の姿や境遇には天地ほどの差を感じたんでしょうね。
言うまでもなく、当時の遊廓で働く花魁は、家族のために身売りしてきた人が多かったようです。
この本を読んでちょっと驚いたのは、トルコ風呂というのができた当初は、若い女性がただ身体を洗ってくれるだけの高級浴場だったというところです。
おそらく、本当にトルコ式のお風呂『ハマム』を模して作ったものだったんでしょうね。
それでも、若い女性が身体を洗ってくれるというだけで、当時にしてはメチャクチャ高い料金だったにもかかわらず大盛況だったんだとか。
その後、トルコ風呂が乱立しだしてから『オスペ』と呼ばれるサービスがちらほら出始めるが、本番はなかったんですって。
そうなると、初期トルコ風呂の流れを組むのはソープではなく、ヘルスだってことかもしれないですね。
あと、サービス技術の歴史を語る上で光る雄琴の存在感。
当時は日本最大とも言われた遊廓街だった名古屋の中村遊廓が、現在なぜ、どんどん衰退して消えそうになっているのかも、この本を読んでいると答えがおぼろげながら見えてきます。
ある意味、立場をわきまえて『あの頃の復活』を信じていたが故・・・
だったんでしょうかねえ。
昭和26年から昭和53年までの関係略年表が付いているので、時代を考察する上で貴重な本です。
古本として特別に高い値段は付いていませんが、遊廓や風俗史に興味のある人は読んでおきたい一冊です。