いやはや・・・。
沖縄のサブカルチャー的な話かと思いきや、とくに日本の戦後の暗部と言ってもいいほど、とんでもなくディープなノンフィクション・ルポルタージュでした。
本書を読むと、日本に通底するなかなか変えられない差別や格差の問題があぶり出されているように思えるんですよ。
そんな重たい本書について、このブログで紹介したいのだけど、「下手なことは書けないなあ・・・。」と沖縄県外で生きてきたぼくは二の足を踏んでしまうんですよね。
でも、ここ最近、立て続けに読んだ本から浮かび上がってきたアンダーグラウンドの社会構造から、沖縄の問題はやっぱり日本の問題なんだということ、それは日本の責任という話ではなく、日本本土でもおそらく江戸時代にはすでにあった暗部が微妙に形を変えただけで続いているんだという部分を問題として捉えなければいけないということなんですが、そんな問題をあつかえるほどたくさんの知識を有しているわけもないので、飛び立ったものの、途中、話がとっ散らかって着地するときに足首をグネってうまく着地できないかもしれません。
ですから、最後まで読んでも何を言っているかわからなかった場合は、
「あ、やっぱり足首ぐねったな。」
と思ってそっとしておいてください・・・。
それでも紹介したい理由が、この本にはある!
沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち(文庫版)
著者:藤井誠二
発行所:集英社
初版発行:2021年5月25日
本書をオススメしたい人
・学校では習わない歴史が好きな人
・沖縄を深く理解したい人
・ノンフィクションが好きな人
タイトルから勘違いしてしてしまいました
最初にこの本を見たのは那覇のジュンク堂で、まだ文庫版になる前の大きい本だったころです。表紙から受けたイメージもあって、半グレやヤクザの世界に生きる沖縄の若者の話かと思ってあまり興味を持てなかったんですよ。
言い方は悪いけど、貧困とチンピラの関係から社会問題を描き出すみたいな内容だと思ったんですよね。
だって、アンダーグラウンドって言葉からはちょっと血なまぐささやドラッグカルチャー的なイメージも浮かぶじゃないですか?
正直、終戦直後から沖縄が背負わされた、特に女性が背負わされて現代まで引きずり続けているセックス産業の歴史と当事者の証言を追ったものだなんて思わなかったんですよ。
タイトルから受けた印象ですっかり勘違いしていたんです。
それで、那覇のジュンク堂で見かけたときは本が大きくて重そうだったので、名古屋に帰ってから買えばいいかと思いながら、今回の文庫版が出るまで存在をすっかり忘れていたんです。
でも、タイトルをよく見たら、
「売春街を生きた者たち」
って書いてあったんですね。
それも、このブログを書こうと本書のタイトルを見直して気づいたんですけど・・・。
改めて思うけど、ぼくはいったい、この本をどうして読もうと思ったんだろう?
本書の注目すべきポイント
本書はノンフィクションんでありながら、読者を引き込んで最後まで話さない、まるで小説のような展開を見せます。
最初はひょんなきっかけで、タクシーに連れられ踏み込んだ小路で衝撃を受け、その街を深く掘り下げていくうちに沖縄に点在していた新町と呼ばれる売春街に広がり、やがては戦後の闇の歴史に続いていきます。
まるで、点から線、そして平面、さらに高さ、というより深さという具合に沖縄のアンダーグラウンドであった売春街が、歴史の証言者となっていくんです。
本書のすごいところは、新町で実際に働いている人と昔働いていた人に取材し、多くの証言が載っていることです。
その証言には、誰も聞いてくれるはずのなかった浄化される側の気持ちと現実に存在したことを記録しておいてほしいという思いが、話の底にうっすらと見えるようで重みがあるんですよ。
あと、沖縄で飲んだりするのが好きな人は、一度は聞いたことがあると思う「Aサイン」とオフリミッツの詳細が、終戦直後から日本復帰までを追って書かれたものを一般的な書店で買えるなんてすごい話ですよ。
こういう、教科書には乗らない歴史を新聞の記事などからしっかりと調べてまとめられたものって、特に沖縄に関する話題なら本土ではまず手に入らないと思うんですよ。
しかも出版社は、沖縄の独立系出版社ではなく集英社なんですから全国の書店で普通に買えちゃうわけです。
個人的には、出版社が違うけど岩波文庫シリーズのような、何十年先になっても本屋に並んでいる一冊にしてほしいと思います。
読んで気づいた遊郭も新町もあの島も
この本をどうして読もうと思ったんだろう?
と書いたけど、やっぱりそこには理由があって。
ひとつは、コロナで毎年行っていた沖縄に行けなくなってしまい、現在は自分の脚で探せない沖縄の情報を書物に求めていたことでしょう。
那覇のとある居酒屋のおばあに気に入られ、色々な裏話を聞かせてもらったことがあり、そのお店にまた行きたいのに行けずじまい・・・。
おばあは元気なのか、自分の親のことのように心配してしまうんですよね。
あとは、今年になって以前紹介したヨコハマメリーや渡鹿野島についての本などを読んでいるタイミングで本書が目に飛び込んできたのは大きな理由のひとつです。
いわゆる、売春に関わる街や人に関する本を読み出したのにも理由があって、ぼくが現在、むかし遊郭だったとある街に関わるようになったことなんです。
その街の、むかし飲食店だった空き店舗は、正面の入り口以外にもうひとつの入り口があります。
その入り口からは、居酒屋のお客さんとは顔を合わせずに2階へ上がることができます。
そう、そこはむかし赤線でチョンの間と呼ばれていた売春の場所でもあったんです。
いま関わっているその街は、怪しいお店はとっくの昔になくなり、一部の空き家に痕跡が残っているだけなので生の声を聞くのも難しいのですが、たしかにそこには沖縄の新町と同じような風景が過去に存在したんですよね。
そういうことが頭の片隅にあるまま、過去に紹介した『大正・吉原私記』や『琉球の花街 辻とじゅりの物語』、ヨコハマメリー、売春島、そして沖縄アンダーグラウンドと読み進めていると、ある事実に気づいたんです。
それは、売春街に女性が流れてくる理由は多少変われど、売春の仕組みは江戸時代からほとんど変わっていないんだな、ということです。
まず、渡鹿野島と沖縄で利用されていた売春から抜けられなくする仕組みは一緒です。
歴史をさかのぼり、遊郭から抜けられなくする仕組みも基本的に一緒なんです。
遊郭の仕組みは、聞書き遊廓成駒屋と琉球の花街にも書かれているのですが、方法は一緒。
つまり、江戸も尾張も琉球も、さらには戦後から現代の沖縄も方法はほぼ一緒なんですよ。
まずは大きな借金を背負わされ、毎日の返済ノルマを課せられる。
ちなみに、本書では差別問題にも多少触れていますが、こういう普段は隠された風習の似通いかたを見ても、沖縄を差別することがいかに馬鹿げたことかわかる思うのですがね。
とはいえ、沖縄の中でも出身の島によって差別があったというのですから、この問題は本当に難しいと思うし、ぼくが本書について書きたいと思うのに、いざ書いてみると自分の知識の薄っぺらさに恥ずかしくなって、足首をグネってしまうわけです。
おわりに沖縄が好きだというすべての人へ
沖縄って、やっぱりいいですよね。
できることなら、ぼくも休日はいつも沖縄で過ごしたい。
沖縄のセンベロセットは、だいたい生中2杯はついてくるし。
なにげに昆布とかの煮物が美味しいし。
泡盛は咲元が好きです。
沖縄はスピリチュアルな島だといって通う人もいますよね。
きれいな青い海を眺めていると、心にたまった汚れが流されていくような気がします。
街中にもある御嶽を見ると、沖縄は現代でもスピリチュアルなことを大切にしているしまだと思う気持ちもよくわかります。
でも、本書を読んだり、沖縄の戦後を描いた映画などを観ると、そこには沖縄の人のおびただしい血と涙が、比喩ではなく実際に染み込んでいることもわかるんですよね。
著者の藤井誠二氏は、現在、東京都沖縄の2拠点生活を送られているそうですが、著者の沖縄アンダーグラウンドに向き合う姿勢は、沖縄でレジャーを楽しむために訪れる本土の人たちはみんな見習いたいところがある、と本書を読むと思うんですよね。
沖縄が好きだからこそ、目をそらすわけにはいかない歴史があるのではないでしょうか?
これから沖縄へ行こうと思っているなら、その前に読んでみてほしい1冊です。
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