ストレイバード はぐれ鳥の止まり木

社会のはぐれ鳥 ストレイバードのブログです。主に昭和レトロで微妙な本、珍本、奇本を中心に紹介しています。

世襲議員という巨大な差別を読むと浮かぶとある場面と迷信の厄介さ

鳥居とイチョウ image

 

今回紹介する本書は、ページ数に比例しない濃い内容で、情報量は非常に多いです。

 

政治の世界を扱っていますが、読むときは内容をもう少し広い視野で理解しようとしたほうがいいと思います。

 

実際に、本書の内容は政治の世界だけを語っているわけではないと思いますし、読みながら、もしくは読んだあとで本書で得た知識を、仕事場やコミュニティなど自分の身の回りにある世界を見つめなおすためのツールとして利用するには、政治思想的な視点より1~2段高いところから眺める冷静さが必要だからです。

 

そういう気持ちで読むと、自分の身の回りに当たり前に存在する迷信や習慣に差別が混ざっていることに気づくのではないかと思うんです。

 

まあ、それに気づくことが幸せかどうかはわからないですけどね。

 

 

世襲議員という巨大な差別

差別の歴史を遡ってわかった!

世襲議員という巨大な差別

著者:苫米地英人

発行所:株式会社サイゾー

発行日:2021年10月14日

 

 

 

 

本書の要点

ソーシャルディスタンス猫 image

 

本書では、まず、ほとんどの日本人に根付いている穢れの感覚こそ差別の根源であり、どうやって穢れの思想が日本人に刷り込まれていったのかについて説明されています。

 

穢れについて読んでいると、そのルールが令和の現代でも意外なほど残っているんですよね。

 

それらは本来、合理的に考えれば無意味なものばかりなのですが、恐れの心理と強固に結びついてしまっているため無意識の部分で反応してしまうんです。

 

最近は、街中で霊柩車を見ることなんて1年に1度あるかないかですが、霊柩車が通るときに親指を隠すというのにも理由があるんです。

 

それ以外にも、作法とかマナーみたいなところにもたくさん隠れているのですが、冷静に考えれば全く科学的ではないことに現代人も縛られていているということが書かれています。

 

まず、そういう穢れの思想がどうやって差別を生んできたか、ということを述べた上で、明治維新が産んでしまった新たな差別、そして明治時代から続く世襲議員がどうして差別的なのか?

ということが語られています。

 

それにしても、迷信っていうものが儒教だとか科学が未発達な大昔の思想と一部の利権者の思惑と一致した結果、民衆に蔓延していったものだと思うと本当に厄介なものですよね。

 

 

 

カルチャーショックだったこと

カルチャーショック image

 

個人的にカルチャーショックと言っていいほどびっくりしたのは、士農工商は現在の教科書には書かれていないということでした。

 

少なくとも、ぼくと同世代の40代以上の人は、小学生のころに歴史の授業で士農工商という江戸時代の身分制度について習いましたよね?

 

現在の小学生は、士農工商は習っていないというんです。

 

その理由は、歴史の検証結果として、江戸時代に士農工商という身分制度はなかったと結論づけられたんですって。

 

実際には、身分差はあったわけですが、士農工商という制度はなかったというんです。

 

では、士農工商はいつ、どうやって出てきたものだったのか?

 

それは、明治政府ができてから、突然、江戸時代の制度として登場したんだそうです。

 

では、明治政府はどうして突然、士農工商を持ち出したのか?

 

その答えは、ぜひ本書を読んで確認してください。

 

穢多、非人という身分の人たちでさえ、江戸時代の初期では、扱われ方は現代人がなんとなく知っているような差別のされ方ではなかったことが書かれています。

 

それも、時代とともに色々と変わっていくのですが、その過程も現代人は知っておいたほうがいいんじゃないかと思います。

 

ちょっと本書の内容から外れますが、最近でも新型コロナの蔓延で新たな差別が生まれましたよね?

 

そういう現代の新たな差別も、江戸時代や明治時代の差別の生まれ方とそんなに変わらないと思うんです。

 

現代人が差別を克服するためには、やっぱり歴史から学んだり、化学的な考え方ができるだけの知識を持つことが重要だと思うからなんです。

 

士農工商の件が物語るように、少なくともぼくのような40代以上の世代は小学校教育から間違った四民平等を習ってきたわけで、知識の根元に差別を容認する土壌ができています。

 

その事実だけでも、現在の10代の子たちとは平等と差別についての知識が違っているわけです。

 

そんな、ぼくたち中年以上の世代が若者の未来へいい世の中を残せるように生きるには、常に最新の常識を学んでいくことが大切だと思うんですよね。

 

知識が理性を生み、差別の心の壁を越える。

そんな気がしています。

本書とは関係ないかな?

 

 

終わりに〜2021年の衆院選で感じたこと

バンザイ image

 

本書を読んでいると、ある場面が浮かぶんですよ。

 

本書は、ちょうど2021年の衆議院選挙のタイミングで発行されたわけですが、衆院選の夜はやたらと長い選挙特番を各局やっていたじゃないですか?

 

あれを観ていると、当選確実になった議員事務所からの中継になって、そのときに万歳三唱をする人たちの姿が流れるんですよね。

 

ぼくは、あれを観るたびに、「日本はまだまだ変われないんだなあ。」と思うんです。

 

みなさんは、万歳三唱がいつできたかを知っていますか?

 

万歳三唱の歴史は、意外と新しいんですよ。

 

実は、明治時代に大日本帝国憲法が発布されることになったタイミングで考案された祝い方なんです。

 

だから、別に日本古来の祝い方でもないんですよね。

 

政治の世界で万歳三唱をしている姿を見ると、どうも日本の政治が旧態依然としたままな印象を受けてしまうんです。

 

そんな中で、たまに当確議員の事務所中継時に、万歳三唱をせずに集まった人たちと握手をして祝っている姿が映ると新鮮だったし、そういう議員のほうが政治の世界の常識に縛られていない感じがして好印象でした。

 

だから、なんとなくですが、日本国民が本当の意味での平等を手にできるのは、選挙から万歳三唱がなくなるときと同じなんじゃないかなと思ったんです。

 

それは、保守とかリベラルっていう問題ではなく、そういう議論をする前の土台、家でいうなら基礎工事の段階の話だと思うんです。

 

ある意味、政治以前の話で、だれもが普通に暮らせる世の中になるため、だれもが自分の意思でチャレンジできる世の中になるために必要なこととつながっている気がするんですよね。

 

もうホント、大昔の一部の小狡い人間の利益のための仕組みに縛られるのは嫌にならない?

とウンザリしながら思っちゃうんですけどね。

 

 

本書は70ページくらいしかないですし、差別や政治の話とはいえわかりやすい言葉で書かれていますので読みやすいです。

 

「一生懸命がんばっているつもりなんだけど、どうもチャンスがつかめないんだよな。」

なんて思ったことがあるなら、一読して観てはいかがでしょうか。

短時間で読めるので、個人的には電子書籍がオススメです。

 

 

 

 

 

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