いきなりこんなことを言っては元も子もないんだけど、ぼくは、
エコとSDGs
という言葉を聞くと反射的に顔をしかめてしまいます。
だって、なんか胡散臭いでしょう?
いや、胡散臭いと言っても、すべてが胡散臭いと思っているわけではなくて、大学で真剣に研究している人たちや、在野で海や山を保全するために日々がんばっている人は素晴らしいと思います。
そのほかにも、自動車の排気ガスをクリーンにする長年の研究開発で、現在の都会の空気は本当にきれいになりましたよね。
だって、1990年ごろは街を1日歩いていると鼻の中が黒くなっていたものですけど、令和の現在はそんなことあり得ないでしょう?
そういう、実際の環境改善に関わる部分でのエコとSDGsをちゃんと分けて観れば、素晴らしいと思えるんですよ。
でも、現実を見ると、それだけじゃないでしょう?
格差是正にしても、クリーンエネルギーにしても、
「それはどこから目線?」
とか、
「それを使うことのどこがクリーンなの?」
とか、ウソや浅さが透けて見えてしらけちゃうことが多いと思うんですよ。
今回紹介する本は、エコやSDGsを白けさせる正体が見えてくる1冊です。
著者:苫米地英人
発行所:サイゾー
初版発行:2021年10月20日
本書をオススメしたい人
・本当のエコについて考えたい人
・地球のためになるエコビジネスを考えたい人
・クリーンエネルギーについてちゃんと知りたい人
エコを考える上でデータはどこを見る?
現在、エコ関連で話題になりやすい代表格は、太陽光発電と電気自動車じゃないでしょうか?
太陽光発電は、文字通り太陽光を電気に変換する発電装置ですから、火力や原子力に比べると発電時に二酸化炭素を出さず環境に優しいクリーンな技術に思えますよね。
事実、発電時はクリーンです。
でも、太陽光パネルは魔法で異空間から取り出したり、地面から生えてくるようなものではないんですよね。
太陽光パネルを製造する過程ではどうでしょうか?
また、太陽光パネルの発電効率や安定した発電耐用年数は?
耐用年数を過ぎたパネルは、どうしますか?
エコって、こういうことも含めて見ていかないと実は意味がないんじゃないのかな?
ということなんですよね。
とくに、二酸化炭素、つまりCO2の削減について考えるには装置自体の発電効率だけの説明は、眉唾で聞いた方がいいと思うんです。
ビジネスを前提にしている以上、データを大なり小なり都合のいいように利用しているからです。
別にデータを改ざんするわけではないんですよ?
でも、グラフを載せるときにメモリの単位をリットルにするかミリリットルにするかで、グラフの見た目がダイナミックに変わる場合があるんですよ。
見た人が不安になって商品を利用したいと思わせたいなら、グラフひとつにも見た目にインパクトがあったほうがいいじゃないですか?
こういうことって、企業で製造・開発に関わっている人ならすぐにピンとくる話なんです。
それでも、情動的なプレゼンテーション、テレビ番組の派手なBGMで煽るような構成次第では、誰もが騙されてしまうんですよね。
本書では、電気自動車を中心にこういうエコ技術の説明のトリックなどをデータをもとに詳しく説明しています。
この部分を読むだけでも、本書を手に取る価値はあると思います。
ぼくが直接聞いた里山の苦しみ
本書では、林業について多くのページを使い説明されています。
著者は、林業の復活がエコにつながる話をしていて、現在の日本の林業が抱える問題や、林業を復活させるアイデアはなるほどと思うところが多くありました。
詳細は読んでいただくとして、現在の山林の問題で思い出したことがあるので、ここで少し書いておきます。
ぼくは、現在とある山間部の田舎の活性化に関わらせていただいています。
そこで昔から住んでいる人から聞いた話なんですけど、その人は村を魅力的にするために毎年コツコツと紅葉の木などを川沿いに植林するなどの活動をしていたんですね。
ぼくもなんども訪問していますが、その地域は空気も気持ちよく、風光明媚と言っては大げさかもしれませんがぼーっとなバメているだけでも癒される環境です。
でも、ある日突然、思いもよらない話が決まっていたんだそうです。
それは、地域のそばの山にそ太陽光発電のパネルを大量に設置するという話が決まった、というものでした。
その山は隣の地域にあるため、協議中の情報が流れてこず、決まってから情報が流れてきたようなんです。
しかも、それを設置するのは超有名企業。
おそらく、補助金ビジネスでしょうね。
いま、里山を守ろうとしている人は全国にいるのですが、地域の高齢化と人口減少によって保全活動も限界を迎えつつある地域が増えています。
新しい若い人に来てもらいたいけど、仕事がない。
そういう悩みをなかなか解決できないまま人がどんどん減って、やがて廃村になってしまうんですよ。
山を荒れさせるくらいなら、大手企業が管理してくれることを期待してクリーンエネルギー事業に土地を貸すということを悩みながら決めていくわけです。
でも、冷静に考えれば、クリーンエネルギーを生産するための設備を一度設置すれば、元の山に戻すことはまず無理でしょう。
場合によっては、耐用年数を過ぎた設備を放置されるかもしれない。
そういう苦悩から解放できる方法のひとつは、たしかに林業の復活にあるだろうなとぼくも思うんですよね。
ひとつだけ引っかかったこと
CO2排出について、今後は日本でも色々と厳しいことを言い出すんじゃないかと思います。
本書では、そのことについてもくわしく説明し、その解決策も提案されています。
その方法がCO2排出量に結びつけた暗号通貨なのですが、ざっくりというと、CO2の排出を減らす、もしくは吸収する量によって通常の通貨とは別に買い物できる範囲を制限する暗号通貨が発行されるというアイデアです。
それは素晴らしいと思うのですが、個人的には一点だけ引っかかったことがあるんです。
それは、負の暗号通貨という発想なんです。
これは、簡単に言えばCO2を輩出した分だけマイナスの意味合いのある暗号通貨が発行されるということなのですが、これを個人レベルにまで流通させるのはちょっと厳しいなと思ったんです。
本書で直接、個人にも負の暗号通貨ルールを適用しようという記述はないのですが、現状の政府や官僚を考えると真っ先に適用されそうなのは、企業ではなく個人だと思うんですよね。
でも、現状で貧困格差が広がっている日本では、新たなCO2削減ルールが決定したとしても、そう簡単には采薪の憂暖房設備を導入することは、たとえ国からの大型補助金が出るとしても難しいはずです。
なにせ、現在、生活が苦しい家庭は、夏休み明けに投稿してきた児童が痩せていた事例があるくらい、明日のご飯に困っているわけです。
そういう人に、最新の暖房機を1万円で設置できますよ、と言ったところで1万円を払えない。
そうすると、CO2削減ルールによって、貧困家庭がさらに貧困におちいることだってあり得ると思うんです。
生活保護を受ければいい、という人もいるかもしれないですが、自分がその立場だったことを想像てみてください。
苦しくても生活保護を受けることに罪悪感を感じて、なかなか申請できるものではないですよ。
あと、負の暗号通貨って、ぼくは旧来の宗教にありがちな、信者に罪の意識を植え付けてコントロールしようとする方法とほとんど同じに感じるんですよね。
負の暗号通貨、つまりペナルティールールを強制的に適用するのはある程度以上の規模の企業に対しては適用するべきだと思うのですが、個人レベルには適用しないほうがいいんじゃないかなと思うんですけどね。
脱洗脳とは逆じゃないかな?
と思っちゃったんですよね・・・。
おわりに~大切なのは
本書を読んで、あらためて大切だと思ったのは、エコの推進は一部の大企業のためではなく、地球とそこに住む普通の人たち、動物たちのためです。
だから、エコで生まれた新たな富は、一部の大企業や富豪に集まるのではなく、普通の人たちに回るべきだと思うんです。
それならば、グレタさんの活動は個人的には何か後ろの存在を感じて眉唾の立場なのですが、普通の人こそが本当に地球に優しいエコを考えて行動する時代が来ているのではないでしょうか?
そのときに大切なのは、なるべく生のデータを冷静に見極める力を持つことです。
それが一人では難しいなら、仲間と一緒に分析するんです。
そうやって、普通の人が繋がりながら実行力をつけて行く。
政治が決めて国民が行動するのではなく、国民がまず行動し、それをスムーズに発展させるルールを政治に作らせる。
そうでなければ、これほどの巨大な格差が生まれてしまった社会を少しでも庶民優位に変えていくのは難しいんじゃないかな?
本書を読んで、そう思ったんですけどね。
エコの知識を得たいなら、前半を読むだけでも十分かもしれません。
後半はの暗号通貨の話は人によっては読み飛ばしてもいいでしょう。
でも、これからのエコとビジネスについて知りたいなら、間違いなく読んでおいてほしい1冊です。