いやはや、これは掘り出し物だったかも。
コロナ前、だからずいぶん前に古本市の100円コーナーを何気なく見ていて気になってついでに買っていた1冊なんだけど、ステイホーム中に部屋を整理していて久しぶりに見つけた1987年の古雑誌が面白かったんですよ。
検索しても雑誌の情報がほとんど出てこないんだけど、読みながら気になった人名、ワードを検索すると、当時のアングラ、サブカル界隈の人物と情報が数珠つなぎに出てきて、それを読んでいるだけで2~3時間があっという間に過ぎてしまいました。
なにより、令和の時代には絶滅してしまった読者投稿欄がなんとも香ばしいんです。
今回は、そんな昭和の雑誌を紹介します。
月光-LUNA No.17
発行所:東京デカド社
発行:1987年7月25日
本書をオススメしたい人
とくにないのですが、しいて言えばこんな人です。
・昭和レトロ好き
・サブカルブーム前夜を覗きたい方
・JAM、HEAVENなどの雑誌名に反応しがちな方
・昔の雑誌の投稿欄が好きな方
月光ってどんな雑誌?
サブタイトルに
CULT MAG.
と書いてあります。
いまで言うところの、オカルト、サブカル系の特集を組む雑誌だったようです。
17号は猟奇特集。
いきなり、パリでの事件で有名な佐川一政の記事から始まります。
時代は今、猟奇へ。
と言うタイトルを読むだけで、どんな記事が載っているか想像がつくでしょう。
雑誌にざっと目を通して受けた印象は、メインターゲットがいまで言うところの腐女子だったようです。
後半のコラムや素人投稿のコーナーを読んでいると、スポーツ選手やジャニーズアイドルを使った妄想話が大量に載っているんです。
昭和の雑誌にはよくあった、譲ってください、売ります書いますコーナーも、当時流行った聖闘士星矢やキャプテン翼のヤオイ同人誌のやりとりが多いんですよね。
それも名前、住所ありで載っているんです。
名前はペンネームのようですが、当時はおおらかでしたよね。
プロ野球名鑑だって、選手の自宅住所が載っていた時代です。
それにしても、同性愛ネタにするタレントが面白くて、THE ALFEEは百歩譲って理解するとしても、とんねるずや元気が出るテレビのビートたけしと松方弘樹までネタにされているのはすごくないですか?
まあ、読んでみればそれらはタレントをネタとして面白おかしくイジって遊んでいるというのもわかるのですけどね。
昭和の時代は、雑誌というある意味閉じた世界でネタとして理解できるもの同士、投稿という遊びをしていたんでしょうね。
現在はSNSなどで同じ趣味同士で楽しめますけど、雑誌はプロの編集者が投稿文に目を通して選択しているぶん、中身が面白かったんじゃないかと思います。ラジオ番組の読者コーナーと同じですよね。
編集部への意見コーナーなども充実しているのですが、ワイロ寸評というコーナーがあるんですよ。
それが、読者からもらったお菓子などの差し入れを順位付けして紹介しているんです。
これって、本当に読者から送られてきたり、会社に持ち込まれたりしたのかな?
現代ではちょっと信じられないくらい、作り手と読み手の距離が近いですよね。
1987年の時代背景
1987年は、流行語にバブルが選ばれたように、まさにバブルの真っ只中の年です。
世の中、財テクだとか地上げだとかお金の話ばかりが放送されていた時代です。
安田生命がゴッホのひまわりを53億円で落札したのもこの年。
マッチこと近藤真彦がケミカルウォッシュジーンズで愚か者を歌い、中森明菜は難破船とTANGO NOIRがヒットしました。
OLはみんな、花キンにワンレンボディコンでディスコへ繰り出し、サラダ記念日で乾杯!
アディダスがブームだったらしいですが、たしかにみんなアディダスのシャツやスニーカー履いてた時期があったかも。
日本人が最も浮かれていたのが、1987年ということでしょうね。
余談ですけど、当時は子供ですら、
「貯金が1億円あれば金利で一生暮らしていけるんだぜ!」
なんて話していたくらい、浮かれまくっていたのが日本でした。
そんな話をしていたけど、実際のサラリーマン家庭が1億円も貯金するのは難しくて、しょせんは宝くじが当たったときの妄想話だったんですけどね。
月光から見える時代のもうひとつの側面
いや、時代のもうひとつの側面なんて、それほど大げさなものじゃないんですけどね、たくさん目を通したわけではないですが1980年代の雑誌を何冊か見ていると1990年以降のサブカル文化は1980年代に作られた土台の上に建っていたんだと思うんです。
そして、1980年代の後半はそれまでに乱立した自販機本をふくめたパンクな雑誌でいい意味で乱造された情報をある種、体系化していった時期ではないのかな?
と思うんです。
たとえば、カルト系のネタをブームという言葉を使って掲載できるのは、それまでに恐ろしい事件やむかしから残る奇祭や不思議な伝承、戦後の若者が起こしてきた混沌としたオルタナティブな活動が、ひとまずなんらかの形で整理、カテゴリーわけができてきた証拠ではないでしょうか。
1980年代前半までに乱造された情報は、どちらかというと身体をはったパンクな活動を通して生まれたもので、当時の情報を色々と見ていると流血やドラッグまで含めたアングラな活動にもひるまない人たちによって築かれていて、あえて比喩すると体育会系な人たちが暴れた過程を文字にしたりテープやレコードにしたものを文科系の人たちは羨ましい半分の気持ちで購入して楽しんでいたわけです。
文科系の人たちは、体育会系の人たちが乱造する情報を自分たちなりに楽しむために、整理して話しやすくしていったんじゃないかと思うんですが、そうやって整理されて見やすくなったものが、体育会系の人たちが本来表現していたことが理解できないがために間違った形で編集されてしまった情報も含め、1990年代以降に残っていったんじゃないかと思います。
そういうサブカル的な情報を、1980年代はまだ若すぎたり、体育会系の人たちが強すぎて前に出られなかった人たちがネタにして、あえて悪い表現をするならイキっていたのが1990年以降のサブカルブームな気がします。
というのは、別に大した理由ではないんですけど、2020年からの東京オリンピックがらみで1990年代にサブカルの悪趣味な部分でイキっていたタレントが叩かれたじゃないですか。
あれって、改めて情報を深掘りしてみると、タレント本人よりタレントを使って悪趣味な記事を書いていた編集者の罪だったりして、そういう人は今も昔も叩かれにくいポジションで活動しているように見えるんです。
不思議と、鬼畜系すらサブカル界隈の人間に理解されず、悪意の部分だけ真似て消費されてしまった感じがします。
ちなみに蛇足ですが、1990年代はオタク文化も大きく育った時代ですよね。
当時高校生だったぼくは、特撮だったかアニメだったか忘れましたがオタク系の部活にいた友達から聞いた話があって、その友達によると入部したときに先輩から当時はやっていたアニメなどの資料やビデオなどを大量に渡され、それらの知識を全部詰め込んでいないとオタクとは言えない、というようなことを言われたんだそうです。
現在でも、ガンダムを語るならアニメ全話をどうのこうのという人がいて、それが1990年代のオタクの流儀だったのでしょうが、そういう詰め込み主義的な発想は頭でっかちすぎて事件やブームの行間を読めな苦なりがちなんですよね。
そんな、1990年に起きたオタクブームとサブカルブームには悪い部分で共通点があるように感じるのはぼくだけでしょうか?
いや、知らんけど。
というわけで、令和になって東京オリンピックを機に1990年代のサブカルが再検証された感がありますが、1990年代のサブカルブームというのは1980年代に量産された情報をさらに育てるのではなく、ただただスナック感覚で消費しただけのことだったんじゃないでしょうか。
バブル時代の日陰に咲いていた徒花を、商売道具に利用して消費してしまったのが1990年代だったのかもしれないですね。
追悼、篠崎順子
この雑誌の特集で、個人的に一番興味を持ったのが、追悼、篠崎順子です。
篠崎順子は別名、ロリータ順子名義でTACOというバンドに参加していた人で、篠崎よりロリータ名義の方が有名なのかもしれません。
本人の情報はネットで検索してもほとんど出てこないのに、自殺未遂ギグなど当時の過激なアングライベントなどの情報にはちょくちょく名前が挙がる不思議な人です。
なぜこの雑誌で追悼文が載っているかというと、この雑誌で記事を書くなど関わりが深く、最後は社員として働こうと望んでいたようですね。
この追悼文によれば、OLのようなきちんとした普通の生活を送りたいと思っていたようだが、それは無理な話で、いつもウェディングドレスのようなふわふわした服を着て働かれては云々と書かれています。ということは、普段からロリータファッションで生活していたのでしょうね。
実は、1987年の流行にロリータルックとあるので流行っていたんですね。
ただ、日本でロリータファッションが注目されたのは2004年の深田恭子主演の下妻物語がヒットして以降で、そこから一般人の認知度が一気に上がったのではないかと思います。
一方で、篠崎順子は編集部でこんなアイデアを言っていたそうです。
月光の紙面上に自分の写真を載せてロリータ少女を誘い、その子たちを磨き上げてアイドルとして売り出そうと。
このアイデアも、当時のアイドル像から考えると理解できる人はいなかったと思うんですよね。
でも、平成から令和のアイドルを見渡せば、ロリータファッションを取り入れたグループアイドルはたくさんあります。
そもそも、メイド喫茶が当たり前の世の中になるなんて当時は思いも寄らなかったでしょう。
たぶん、篠崎順子と言う人の感性は1987年にはアバンギャルドすぎたのかと思えますね。
いまなら、きっとインフルエンサーかアイドルのカリスマプロデューサーとして注目されていたんじゃないかな。
ノストラダムス研究家のインタビューだ!
五島勉ですよ。
昭和のベストセラーにして、オカルトブームを牽引し、のちのカルト事件にも影響を与えた奇書、ノストラダムスの大予言の著者です。
記事によると、このインタビューはノストラダムスの大予言1冊目を出版してから14年後だそうです。
だとすると、オカルトブームって1999年まで波はありながらもずいぶんと長く続いたんですね。
いや、令和の現在もオカルト好きはたくさんいるし、現在の占いだってある意味オカルトの1分野と考えればブームはそのまま生活の中に根付いてしまったのかもしれませんね。
やっぱりオカルトは、お金になるということなんだろうな・・・。
話が脱線してしまいました。
インタビュー内容のほとんどは、ノストラダムス予言書について出版後も続いている解析状況の説明といえばいいのかな?
1987年当時の世界情勢などを踏まえて、フランスの秘密結社がどうとか、陰謀論を交えて語っている感じです。
ただ、個人的に興味を惹かれたのは、ノストラダムス予言に関する部分ではなかったんですよね。
記事の最後のほうで語っていた、当時、バブル真っ只中だった日本の状況についてなんです。
記事から抜粋します。
そこで、日本は早くその罠に気づき、別の未来に進まないといけないと語っているのですが、現在の日本を考えるとその通りになってしまったなという気がします。
これは別に、五島氏の予言が当たった言いたいわけでなく、バブルにすっかり浮かれていた日本にも冷静に分析していた人がいて、それがノストラダムス研究家だったというのがなんとも皮肉だな、と思ったんです。
参考に、2020年に公開された週刊文春の追悼記事を載せておきます。
まとめ
1987年なんて、自分も中学生だったから色々と知っていてもいいはずなんだけど、当時のぼくはそもそも本を読まない人だったし、本屋なんてマンガコーナー以外は見向きもしなかったから、当時のサブカルなんて深夜のテレビやラジオから得られる情報しか知らなかった。
そもそも、インターネットのなかった当時では、東京以外の地方都市ではよほど熱心な人でないかぎりサブカルの知識なんて手に入れられなかったと思うんですよ。
月光には、取扱書店の一覧も載っていたけど、中学生だった当時のぼくの行動範囲ではやっぱり売っていなかったみたいです。
だから、というわけじゃないけど、月光のような当時も貴重だったであろうマニア向けの雑誌を中年になった令和の現在に読むというのは、自分が知っている1980年代当時の景色とは別の一面をのぞいたような気持ちになってワクワクするのと同時に、現在流通している書籍やネット記事の元ネタが見つかったりしてすごく楽しいんですよね。
やっぱり、むかしの雑誌は面白かったんですね。
こういう掘り出し物に出会えるのを楽しみに、また古本市をのぞいてみようかな。
おまけ
おまけとして、月光に乗っていた取扱書店一覧も載せておきます。
最寄りの本屋を見つけながら、当時のご自身の姿を思い起こしてみるのも楽しいですよ。