オカルティスト養成講座(ギブス)
著者:安芸智夫
初版発行:1994年7月15日
講座と書いてギブスと読ませるあたり、オタク心をくすぐりますよねえ。
この本は平成に出版された本です。
なのに、読んでいると登場するオカルティストから昭和に存在したカオスパワーを感じてしまう、不思議なオカルト体験をしてしまいました。
タイトルに養成講座と名が付いているように、UFOコンタクトやOリング、ハンドパワーなどの世界の第一人者を講師に迎え、この一冊を読んだだけでいろんな超常パワーを身につけたオカルティストに育て上げようという、ヒジョーーーに意欲的な本です。
それにしても、この本が出版された年の時代背景がすごいですよね。
この本の初版は1994年の7月15日なんですけど、オウム真理教の松本サリン事件は6月27日に発生しているんですよね。
当時の社会状況を思い起こすと、この本はよく出版できたなと思う一方で、当時の日本人がどれだけオカルトを見世物小屋と捉えつつ「もしかしたら閉塞感の蔓延した社会の何かを変えてくれるかも?」という淡い期待に抗いきれない心の闇が見える気がしますね。
もちろん、出版する側から見れば、それはビジネスチャンス以外のなにものでもなくて、この本はその色が濃く出ていますね。
でも、現在こういう本を出しても読者は書いてあることをそのまま鵜呑みにして批評しそうですが、文中の反語的な表現をちゃんと拾うことができる人は、著者が本当に言いたいことが透けて見えて、ニヤリとしながら読めるんじゃないかな。
永六輔著の大往生
松本人志著の遺書
そして、
「同情するなら金をくれ!」
と、なかなかにカオスな年でした。
一つ目は、私は気功に関しては肯定派なんですが、本で紹介されている気功の人の話は違和感なく、「そんなもんだよな」と受け取れた点です。
そんなにディープなことではなく、
「人間危機的な状況で夢中になって祈ると、案外叶うことってあるよね。」
ということは、誰でもなんとなく賛成できるじゃないですか。
ただ、気功の場合は、その真剣に祈って治癒できた過程を体感的に掴むと、何度も治せるようになったりするんですよね。
だから、この本で出てくるハンドパワー的なことや気功ができるようになった経緯を読んでいると、「まあ、そんなことは十分ありえるよなあ。」と思ってしまうわけですよ。
とはいえ、気功は目に見えない世界、技術です。
でも、オカルトの語源がラテン語の「隠されたもの」ということから考えると、気功はオカルトにぴったりな世界ですね。
もう一つは、紹介されているある人から受ける印象が、
から受けた印象に似ているなあ、というものでした。
映画を観たことのある人ならお分かりかと思いますが、奥崎謙三はとにかくぶっ飛んだデンジャラスな人で、最終的には発砲事件で逮捕され懲役刑で刑務所暮らしになりました。
この映画の原一男監督が、昭和には常人には理解出来ないような生き方をしている人、強烈な人がいたけど、平成の今はいなくなってしまったと語っているのを読んだことがありますが、この本でも自分一人で考えた理論を宗教団体に乗り込んで議論をふっかけまくったり、駅前で理論の発表会らしき大演説をしている人の写真が載っています。
現在、そのような人を見ようとすれば、芸人の鳥肌実の講演会に行くとイメージはつかめるのではないかと思いますが、この本が出版された1994年、つまり平成6年ごろまでは何をきっかけに爆発するかわからない一触触発の人がまだいたんでしょうねえ。
もし、出版された当時に読んでいたら、ムーなどのオカルト系雑誌全盛な時代背景もあって 、内容に食いつく部分が違ったでしょうが、現在読むと「日本の社会が失ってしまった何か」を感じてしまう本でした。
それは、なんだかわからないパワーを生み出す鍵のようなものじゃないかな?
まさにオカルト。
日本人は、そのオカルトを失った気がするんですよね。
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