ストレイバード はぐれ鳥の止まり木

瀬戸市の読書コミュニティスペース ストレイバードの日記です。主に昭和の微妙な本、珍本、奇本を中心に紹介しています。

日陰の熱狂。昭和が創ったもう一つの時代。[裸の巨人 宇宙企画とデラべっぴんを創った男 山崎紀雄]

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裸の巨人 宇宙企画デラべっぴんを創った男 山崎紀雄

双葉社

著者:阿久真子

初版発行:2017年8月9日

 

デラべっぴん

 

団塊ジュニア世代の男なら、知らない者はいないくらいに有名な雑誌ですよね。

 

1985年ごろ創刊されてから1990年代後半になると、AVはすでに全盛期でレンタルショップに大量に並んでいたけど、当時はまだインターネットは普及前夜で、ネットをしたくても通信費が高すぎるのでテレホーダイという夜11時から翌朝の8時まで定額になるサービスに入って、電話回線の重たい環境でチャットするのがメインだったんじゃないかな?

 

動画配信なんて重たすぎて、当時はほとんどなかったんじゃやないかなあ?

 

だから、まだまだエロ本というジャンルは元気だった時代です。

 

そして、[エロ本の姿を隠れ蓑]にした異空間の入り口がそこにはたくさんありました。

 

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雰囲気がちょっと英知っぽくないですか?

 

 

現在は、[エロ本の中で展開された自由な表現]サブカルチャーのくくりで語られることがあるけど、現在のオタク文化とごっちゃになったサブカルと、Billy前後からの面白いけどあまり陽の当たらない人たちと作為的にやらかしすことで不思議な引力に引き寄せられて成長していきながらも、けっして表立って口にすることのできない後ろめたさがまとわりつくものは、はたして同列のくくりなんでしょうか?

 

たとえるなら、好きな漫画家に楳図かずおを公言する中川翔子と、好きなバンドに猛毒を公言する成海璃子の一般人からの親しみやすさは同じだろうか?

 

みたいな。

 

 

 

エロ本の中の自由な表現は、エログロナンセンスや前衛芸術などのカウンターカルチャーに近く感じて、むしろアングラといったほうがしっくりくる気がするのですが、最近はアングラもサブカルも同じ扱いなんですかね?

 

 

いつもながら、出だしから脱線しすぎていますが、英知出版と1985年に創刊されたデラべっぴんは、写真表現、印刷表現の部分ではサブカルチャーの旗手を担っていたんだと思います。

 

 

本書の中で、Beppinやデラべっぴんの表紙について当時デザインを担当していた有野さんがこう語っています。

 

 

P.172より抜粋

山崎さんの素晴らしいところは、印刷に非常にうるさかったところですね。通常プロセス印刷でCMYK(色の解説部分省略)の四版で作るんですが、それだけだと肌色がうまく出ない。ここはもっときれいに出るはずだって、特色(※CMYK以外の色版。値段は高くなる)を使うんです。

 

ここで、有野さんは表紙の刷り出し(校正刷りのこと?)が出てきたときのことを語っているのですが、いつも特色を2色も使っていたんだそうです。

 

おそらく特色のうちの1色は、表紙のバックやロゴをガンメタや蛍光ピンクのような派手な色で目立たせるために使ったんじゃないかな?

 

残りのもう1色は薄赤で、肌をきれいに見せるために使っていたんだそうです。

 

通常なら、プロセス4色でも肌色は充分表現できるんですよ。

 

でま、モデルの子の肌をもっと透明感のあるきれいな色に見せたいからプロセス印刷で再現した肌色の上にさらに薄赤を乗せたというんです。

 

私も印刷業界にいましたが、こんな贅沢な表現、超大手の高級品を扱うカタログ以外で使うことなんてあり得ないですよ。

 

ましてや、500円程度の月刊誌で使うなんて、現在では絶対に採算が合いません。

 

 

蛇足の印刷業界あるある

 

もしかしたら、80年代の印刷は技術レベルの問題で現在の印刷より肌の部分に墨版が多めに入ったりして肌が汚く見えたのかもしれません。

 

あと、これは一昔前の印刷あるあるなのですが、印刷って黄色を濃く印刷すると刷り上がったときに光沢が出るんですよ。

 

それで、黄色の濃度を上げすぎて黄浮きした印刷物がたくさんあったんですね。

 

それが、色を濃度計で管理する時代になってから、自社の黄色の濃度が標準とされる濃度より濃すぎることにビックリした会社がたくさんあったことと思います^_^;

 

 

 

デラべっぴんは日本の文化を継承していた?

 

さて、私はこの表紙に特色を2色使っていたという部分を読んでいて、ふと頭に浮かんだものがあったんですよ。

 

それは、江戸時代の浮世絵なんです。

 

ご存知かと思いますが、浮世絵というのは版木というハンコを使いたい色の数だけ作られていたんですよね。

 

たとえば、富士山を5色で刷りたかったら、山肌の茶色い部分の版木、空の青い部分の版木、すそ野に茂る木々の緑色の部分の版木という具合に、版木を彫ったわけです。

 

これが春画の世界になると、20色以上重ねたり、金銀を使ったり、髪の毛一本を細かく描いたりと、金に糸目をつけずに持てる最高の技術を注ぎ込んでやりたい放題だったんですよね。

 

そんなことが昭和の時代に、

 

「女の肌はこうじゃなければダメなんだ!」

 

とビジネスの外側の論理で作られたエロ本の表紙の上で継承されていたわけです。

 

それが、期せずしてなのか、それとも最初から意図があってなのかはわかりませんが、少なくとも山崎紀雄さんは芸術家のような感性で雑誌を作っていた人のようなので、色にこだわって行き着いた先は浮世絵師と同じだったのでしょうね。

 

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そんなことを、私は勝手に想像していたのですが、それで気づいたのは、

江戸までに浮世絵のアングラな部分で培われてきた芸術的な文化が、昭和にはエロ本というアングラな世界にしぶとく生き残っていたんだな、ということです。

 

 

では、平成は?

 

私自身は、[日本の芸術的な文化の断片]を見つけることができていません。

 

どちらかというと、マンガやアニメは国のクールジャパンというPR戦略に浄化されてしまい、おそらく編集者のマーケティングに頼って作られている、ただグロいだけのクズマンガばかりになっている印象しかありません。

 

とはいえ、そんなクズマンガも30年後くらいには平成の病んでた時代の象徴としてサブカル的な扱いで脚光を浴びるかもしれませんが。

 

あ!、平成はもしかしてこの子達かも?

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そんな平成も元号が変わることが決まり、もうすぐ終わりを迎えます。

 

新しく来る時代には、どこかでまた「そこにいたのか!」と知る人は思わずニヤリとしてしまうものが現れてほしいですね。

 

もしくは、自分もそんな担い手の片隅にいたいなあ。

 

ちなみに座談会を読むと、山崎紀雄さんは衰えたと言いながら、「何かあるんじゃない?」ってまだまだ未来を見つめているようでしたよ。

 

 

 

 

 

 

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