きまぐれオレンジ☆ロードの作者、まつもと泉先生が2020年10月6日にお亡くなりになりました。
きまぐれオレンジロードは週刊少年ジャンプで連載されていましたが、1987年ごろに中高生だった男性だったら一度は読んだ記憶があり、ファッションや恋愛観に影響を受けたと言う人も多いんじゃないですか?
ぼくも、当時はマンガはもちろんのことアニメも観ていました。
当時はまだバブルの絶頂期で、現在に比べると日本全体がどこか楽天的で明るかったんじゃないかな?
今回は、懐かしさも含め、きまぐれオレンジロードとその当時の時代背景などについて書きたいと思います。
連載当時の時代背景は?
気まぐれオレンジロードに1番ハマっていたのは、たぶん中学2~3年の頃だったと思う。
当時、名古屋では中京テレビで、たしか朝の5時半からじゃなかったかな?
ダーティーペアと気まぐれオレンジロードの再放送が流れていて、それをビデオに録って観ていた記憶があります。
ダーティーペアもそうだったけど、当時のアニメって曲は好みがあったと思うけど、演出に工夫があって好きでした。
Kimagure Orange Road TV (opening)
それで、ちょっと連載が始まった1984年から、たぶんぼくが再放送を観ていた1989年までを調べてみたんだけど、なかなか面白い年だったんですよ。
マンガ連載時の1984年から1987年というと、アメカジやワンレンボディコン、ケミカルウォッシュにサスペンダーが流行っていて、マンガの中でもよく出てきましたよね。
あと、1988年の流行語に『おたく族』というものがあるのも興味深いですね。
そして、1989年、つまり昭和64年というと、平成へ切り替わる転換期だったんですね。
消費税が始まったのもこの年で、週休2日が普及していったのもこの年のようです。
少し想像してみると、きまぐれオレンジロードの連載当時はバブル真っ盛りのころだったから、経済成長とともにエンターテイメントも急激に成長して細分化していったんですよ。
いや、エンターテイメントが細分化した、というより、楽しみ方が細分化していったのかもしれないなあ。
当時のテレビ番組を思い出すと、とくに深夜は実験的なことをしている番組が多かったんですよね。
とくにフジテレビ制作の深夜番組は、不思議なものが多かった記憶があります。
有名なところでカノッサの屈辱やカルトQがありますが、ぼくの記憶ではあれは序の口だったんですよ。
番組名がどうしても思い出せないのですが、毎回ゲストと一緒に発掘された謎の番組を鑑賞するという番組があったんですよ。
謎の番組を鑑賞する番組って、訳がわかりませんが、ようするにどこかの地方局などで放送されていたとされる架空の番組を観るんです。
だから、その番組にはローカルCMにありそうな架空の中華屋のCMが連続で流れる演出がされていたりしました。
そういう発想って、現在ならロバートの秋山さんがネタでやっていることに近いのですが、現在の笑いコンテンツの基礎がバブル期の深夜に実験と量産されていたんですね。
おたくの消費が始まった時期
ちょっと話が逸れましたが、そうやって楽しみ方を細分化していったのがおたく族と呼ばれる人だったと思うんですけど、バブルでみんなそこそこお金を持っていた時代のエンターテイメントって、さっさと消費して次の新しいものに乗り換えていくのがかっこいいと思われていたんでしょうね。
ところが、ひとつのことを偏愛して掘り下げ続ける人が、すみっこのほうにひっそりと生存していたのに、その人を物笑いの対象にして消費しようとした人たちがいたんですね。
それが当時のテレビマンや雑誌編集者だったんだと思うんですけど。
別にだれに迷惑をかけるわけでなく、自分の好きなことに囲まれて生きていた人たち。
それを、当時のテレビや雑誌は『イケイケ』だったから、好きなことに没頭して独自の世界観を作り上げている人たちを見つけては、おもてに無理やり引きづり出して晒し者にしたんですよ。
で、引きずり出された人って、今でいうところのコミュ障な人が多かったから、テレビのノリについていくことができず、変な奴として笑い者にされて消費されていたんです。
当時のお笑い番組なんて、そういうことを平気でしていた。
だって、何をしてもお金になったから。
お金になれば、他人の人生なんてどうでもよかったんでしょうね。
令和のいまだったら、とんでもない差別とパワーハラスメントで大炎上していますよ。
当時、宅八郎というタレントがいたけど、宅八郎のキャラクターこそ、そうやってテレビで晒し者にされた人たちの姿をデフォルメしたものだったんですよね。
マンガとアニメのオタクって、現在でも宅八郎が作り上げたファッションを含めてのデフォルメされたオタク像を引きずっていると思うんですけど、それって宅八郎の影響力のすごさを表していますよね。
あ、いや、当時を思い返すと、宅八郎を地で行くオタクがけっこういたっけ・・・。
それもたぶん、ひっそりと目立たないように生きていた人の姿をテレビで指名手配犯のポスターのように晒したことで、万人が認知できるようになったのでしょうねえ。
話がそれた。
きまぐれオレンジロードは、バブルで日本全体がハッピーでふわふわしていた中で描かれた中学生の恋愛コメディで、当時まだまだ普通にいたヤンキーがアクセントになって、ヒロインに大人っぽくて怖そうに見えるんだけど実はすごく優しいという、いま風に言えばギャップ萌えで読者を釘付けにした作品だったんですよね。
それに、当時の中学生にはちょっと背伸びした恋愛みたいな感じがして、憧れられたんじゃないかな。
マンガをあらためて読んでみた
マンガは、もちろん全巻持っていました。
最終巻を見たくてちょっと探してみたけど、3巻と12巻しか見つからなくて残念。
で、Amazonで探してみたら、Kindle版でフルカラーバージョンのが売ってるんですね。
きまぐれオレンジ★ロード カラー版 (全18巻) Kindle版
とりあえず、ラストだけ見たくて最終巻だけ購入しました。
ていうか、当時、1冊360円だったものが、フルカラーにすると660円になっちゃうのか・・・。
でも、フルカラーっていうのもなかなかいいですね。
ん?
あれ?
最終回ってこんなレイアウト、というか、こんなセリフあったっけ?
よく見ると、絵がきまぐれオレンジロードの後の作品、セサミストリートのころに近くなっている気がするんですけど?
加筆してるんだ・・・。
いいんですよ?
いいんだけど・・・。
なんか、思い出とちがう・・・。
うわ~~!
やっぱり最終巻を探そう!
家のどこかにあるはずだから!
やっぱり、思い出にひたるならオリジナルがいいですよね!
そういえば、絵のタッチは、とくに表紙絵などにバブル期に流行した鈴木英人のイラストのタッチを感じるのはぼくだけですか?
あと、フルカラーになるとマンガ全体が80’っぽさ全開になるんだね。
イラストを見ていると、杉山清貴の曲が頭の中に流れてくる感じ?
当時は、そこまで時代を映した作品だとは気づいていなかったけど、大人になってちょっと引いた目線で眺めると、昭和のみんなそこそこ幸せで平和だったあの頃を感じられるのが面白いです。
アニメ版の話
最近、Abema TVで配信されてたので、むかし印象に残っていた回を視聴しました。
そうしたら、最終回とその前の回だったんですけど、なんだか不思議な雰囲気を漂わせたストーリー展開なんですよね。
昭和のアニメって、たまにパラレルワールドを使って原作とはちょっと違う世界観のストーリーを描く回ってなかったですか?
昭和の1980年代は、SFの世界観が流行っていたからかな?
きまぐれオレンジロードは、主人公一族が超能力者で、もしかしたら祖先は宇宙から来たのかも?なんていうことを想像させるシーンもあったりするくらい、設定にSF要素が入っているのですが、その要素を上手に使って描いたのがアニメ版の最終回だったのかもしれません。
ストーリーは、なんというか、いろいろな可能性世界に飛ぶのでめまぐるしいはずなのですが、画面から感じるのはずっとテンションが低いままふわふわしているというか、夢の中にいるような感じというか、水中に浮いているような一種のトランス状態にさせられる気分なんですよ。
作中では、平成以降のアニメのような必要以上に煽るBGMが使われていなくて、すこしトランス感のあるBGMが要所で流れるので、その影響もあるのかもしれません。
それがむしろ、ストーリーに没入させて最後まで見続けてしまうんですよ。
あと、CMに入るときにちょっと遊びがあったり。
まあ、あくまでもぼくの個人的な印象で、多くの視聴者がそう感じたわけではないでしょうが、アニメ版のきまぐれオレンジロードは、1980年代のたまに実験的な映像表現やストーリーが放送された印象に残っているアニメ作品のひとつです。
劇場作あの日にかえりたいの鬱展開
アニメ版に触れるなら、1988年の劇場作品、
『きまぐれオレンジ☆ロード~あの日にかえりたい』
に触れないわけにはいかないでしょう。
ちょっと調べたら、この劇場版はDVD化されていないみたいですね。
どうやら、まつもと泉さんがこの作品に批判的だったようで、実際に本作を観るとオレンジロードの世界観とは全く異なる、キャラクターだけ利用した別世界の話という感じなんですよ。
当時、劇場版があることを知らず、高校生になってからビデオをレンタルして観た記憶があるのですが、オープニングからモノクロで雰囲気が暗くて不穏な空気感なんですよ。
で、本来は三角関係の恋愛コメディなのに、本作は笑い一切ナシの重たい展開。
超能力の出番も一切ナシ。
原作ファンにとって、ただただ救いのないストーリーだったんです。
ぼくは、個人的には面白くはなかったですけど、でもこういうコメディ作にかぎって劇場作になると原作とはまるで異なる鬱な雰囲気を出してきたり、当時の世相を反映したようなシナリオになっているものがちらほらとあったので、正直、「あ~、このパターンね。」と思った程度だったんですよ。
もちろん、オレンジロードの世界を感じられないのは残念ではあったんですけどね。
それにしても、当時の劇場版ってどうしてシリアスモードになりがちだったんでしょうね?
うる星やつらも、劇場版はちょっとシリアスだったでしょう?
めぞん一刻は、キャラクターの作画が原作とかけ離れてリアルな人間味を出していたし。
パトレイバーも、劇場版は作画が変わってシナリオもシリアスになっていなかった?
いまから考えると、当時は映画とテレビアニメでは格が違いすぎたのかな?
なんか、アニメは映画どころかテレビドラマからも下に見られていたっぽくないですか?
だって、現在とは違って昭和のころはアニメは子どもが観るものと決めつけがありましたからね。
だから、劇場版を作るときは哲学的なテーマを入れたり、社会問題を織り込みながら大人の鑑賞にも耐えられる作品を目指したのかな?
配給会社からも言われていたりして。
それとも、監督が単にオタク趣味を追求しただけだったのかな。
現在は、押井守監督や庵野秀明監督が社会現象になるほどのヒット作を制作してきたおかげか、アニメが子供のものではなく日本文化の重要なひとつになりました。
そう考えると、1980年代の劇場版アニメが果たした役目は大きかったんじゃないでしょうか?
あ、そういえば、うる星やつらとパトレイバーのシリアスな劇場版って、押井守監督の作でしたっけ。
ちなみに、あの日にかえりたいが黒歴史だという記事がサイゾーに載っていたので、もう少しくわしく知りたい方は記事を読んでみてはいかがでしょうか。
実はマンガ完結後も新作が出ていた?
ぼくはまったく知らなかったのですが、マンガ完結後も新作が出ていたんですね。
まず、1994年から新きまぐれオレンジ☆ロードがシリーズとして小説で再開していたんですって。
このシリーズ、ちょっと不思議で、あの黒歴史とも言われる劇場作[あの日にかえりたい]の続編としてまつもと泉先生が著者として自ら関わって出版されているんです。
それが、新シリーズ1作目の[新きまぐれオレンジ☆ロード~そして、あの夏のはじまり]なのですが、1996年にアニメとして劇場公開されているんです。
それ以外にもオリジナルビデオシリーズなどもあったようです。
ちなみに小説は、3巻まで出版されたみたいですね。
まつもと泉先生が著者に名を連ねている以上、マンガの続編といえますから内容が気になるところです。
まだ電子書籍にはなっていないようですが、Kindleで発行されたら読んでみたいです。
劇場版も気になるなあ。
まつもと泉先生、ありがとうございました!
1980年代に中高生として過ごした男子の多くは、鮎川まどかに理想的な彼女像を見たんです。
主人公は、超能力という特殊能力を持っていたとはいえ、その能力を持っていてもすごく平凡な学生で、当時、ケンシロウや孫悟空、剣桃太郎のような超人ぞろいの主人公ばかりの週刊少年ジャンプの世界で、共感しやすい上に、平凡な自分でも彼女ができるかも?と希望を持たせてもらえた作品だったんですよね。
蛇足だけど、当時の時代背景として女性の社会進出があって、いま改めて考えると、鮎川まどかというキャラクターは当時の自立した強い女性のイメージが描かれていたのかもしれないですね。
そういうイメージも含め、きまぐれオレンジ☆ロードは当時の中高生に妄想レベルですけど恋愛観や、3歩後ろを歩くのではなく一緒に並んで歩く女性、大げさにいえば男女平等の恋愛を教えてくれたバイブルだったんですよ。
いや、あくまで大げさにいえば、ですけど。
青春時代に、きまぐれオレンジロードという明るい恋愛コメディを読むことができたぼくらの世代は幸せだったと思います。
まつもと泉先生、ぼくらに素敵な作品と素敵な時間をくださり、本当にありがとうございました!
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