お世話になっている大学教授によると、新型コロナが蔓延して以降、地方移住を考えるようになった人が増えているんですって。
地方移住といっても、地方都市で住みたいというのではなく、いわゆる田舎への移住のことです。
たぶん、山奥の村や島へ移住すれば、人の密集もなく、空気はきれいで生活費は安いし、最近はリモートワークできるし、田舎って最高じゃん!
みたいな感覚だと思うのですが、その発想は、まあ、それほど外れていないんだけど、勘違いしている部分もあって・・・。
地方移住の、当たっている部分と勘違いしている部分についてはここでは触れませんが、地方移住の生き方を早い時期に提案した一人が藻谷浩介さんで、その藻谷さんが書いた里山資本主義が重要な1冊だと思うんですよね。
その里山資本主義の初版発行から7年後、その続編と言える1冊が出版されたので紹介します。
進化する里山資本主義
監修者:藻谷浩介
編者:Japan Times Setoyama 推進コンソーシアム
発行所:株式会社ジャパンタイムズ出版
初版発行:2020年5月5日
改めて記述しますが、本書は2013年7月に出版された里山資本主義の続編です。
2013年ごろ、里山資本主義と名づけた田舎町での経済活動と生活様式が令和の現在までに、どのように発展してきたかを追跡調査し、今後の展望について書かれています。
地方創生のリアルな現在を知るには最適です。
里山資本主義的な働き方をしている人の、新しい事例なども載っています。
地方活性化に関わって見たいと考えている人は、必読の1冊です。
というのも、本書で書かれていることは移住生活の知る上での基礎になるはずで、実際には移住支援をしている地域によって活性化計画に違いがあるのですが、それぞれの計画の土台には本書に書かれている考え方が見つかるはずだからです。
里山資本主義って?
里山資本主義をざっくりと説明します。
里山資本主義とは、マネー資本主義の対義語として作られた用語で、収入が少なくても田舎の米や野菜は物々交換で手に入るような、小さな地域でお互いさま的な支え合いのネットワークがあり、お金プラスアルファの小さな経済圏で暮らすことを目指す考え方です。
また、燃料は山の木を伐採して手に入る薪も使えるし、水路を使った小規模水力発電などで賄える仕組みを構築することで、持続的な安定生活圏をつくることも含まれるようです。
ちなみに、里山というのは田舎とイメージが結びつきやすいですが、野菜や米の物々交換はあくまでも一つの例であって、お互い様的な支え合いネットワークの中で経済を回す仕組みがあれば都会で暮らしていてもそれは里山資本主義だといいます。
だから、別に海沿いの地域だって里山資本主義です。
里海資本主論っていう本もありますけどね。
最近増えてきたポータルサイト
里山の仕事を募集するポータルサイトが増えているのを知っていますか?
でも、募集内容を見ると件数が少なく、現在募集中の案件が少ないのに気づきます。
案件が少ない理由はいろいろありそうで、もちろん過疎地域の人がそのような募集ができるサイトの存在を知らないということもあるでしょうね。
ただ、ぼくが町長ならポータルサイトを利用するのをためらいます。
だって、どんな人が来るかわからないじゃないですか?
ちょくちょく耳にする話ですが、地域活性化のコンサルタントを名乗る人と契約したものの、補助金をとってトンズラしてしまい、成果は何も残らなかった。
みたいな苦い経験をした地域もあるようなんですよ。
それよりは、まちとして小さなアクションをしたときに飛び込んできたよそ者で、街の人たちとも相性が良く、一緒にまちづくりに参加してくれる人を見つけたいと思うし、そういう人を介して一緒にまちづくりや仕事づくりを楽しんでくれる人や移住を希望する人を探してもらおうと思うんじゃないでしょうか。
というか、実情はそうやって回しているんじゃないかな?
これは、プロボノと企業を結びつけるサイトでも同じ様子ですが、もしかしたら日本人は、本物かどうか分からない人に来られるより、ど素人でも若者でも不器用でも、一緒にいると安心できる、人の良い、応援したくなる人を損得よりも優先させて仲間にしたいのかもしれませんね。
都会の喧騒から離れて生活している人たちは、とくにそう思うのかもしれないなあ。
以前、ある田舎の人から、
「もう年寄りばかりだし、このまま人が減って静かに廃村になってもいいと思ってる。
だから、コンサルタントとかはむしろ迷惑だ。」
という話を聞いたことがあります。
でも、若い人が生活のために移住してくれば、面倒を見ないわけでもないんですよね。
あくまでも、コンサルタントが補助金などを取るためだけに美味しいことを言って近づいて来るのと関わりたくないだけで、新しい人を受け入れないわけではないんですね。
上述したように、自称コンサルタントに何度も騙された地域もあるようですから。
だから、大っぴらに募集するより、人の縁で繋がるのに期待している気がします。
ぼく自身、関わった地域の人たちで、SNSやYouTubeでの情報発信にものすごく慎重な人たちもいらっしゃいました。
ちなみに、よそ者を受け入れなく徹底的に冷たい地域もあるのは事実で、そういう村は本気で廃村になっていいと考えているのでしょう。
これは、その地域のある市町村にとっては困ったことなのですが、そこに住む人たちが静かに暮らしたいだけだから放っておいてくれと言われれば、その意思も尊重しなければいけないんでしょうね。
SDGsへの個人的な疑問と社会奉仕活動
ぼくも、いくつかの山村に行ったことがありますし、色々と聞く機会もあるのですが、企業が社会奉仕活動の一環として山村で山の管理の手伝いや環境保全として米作りをしていることが多いんです。
最近は、都市部のSDGsのグループがボランティアとして入ることもあるみたいです。
SDGsについての説明は他のサイトに譲るとして、このSDGs、最近、街を歩いてるとよく見かけるんですよね。
まず、ビジネスマンのスーツの襟についている丸いバッジ。
あと、名刺をもらうとついているマーク。
なんだか、現在は猫も杓子もSDGsですが、その様子っていつか見た光景なんですよね。
以前、企業で大ブームになったISO認証マーク。
あの時の光景にソックリなんですよ。
なんていうか、ほとんどの人にとってSDGsは企業のPR手段でしかない感じ?
もしくは、SDGsのマークが入っていないと仕事がもらえないと思っている感じ。
それって、日本中の企業がわれ先にISOを取得していた頃に似ていませんか?
たしかに、SDGsの理念と里山資本主義は相性がすごくいいと思うんですけど、そこを強調しすぎると、ブームに便乗したい人が里山を踏み荒らして、気づいた時にはぺんぺん草一つ生えない荒れ野になっていた、なんていうマンガみたいな結果が待っていないかと不安になるんですよね。
そもそも、田舎町と企業の関わりでは、プラスの面だけでなくマイナスの面も聞くことがあります。
この項の冒頭で書いた通り、田舎町と企業がウィンウィンの関係で関わることがあります。
でも、その一方で、究極、お金がほしい田舎町と、社会奉仕という実績の欲しい企業との利害の一致で結びついているだけなんていう場合もあるんです。
誤解されないように書いておきますが、田舎の人たちは最初から利害の一致だけで企業を受け入れている訳ではないんですよ?
もちろん、高齢化の進んでいる地域は肉体労働を一部肩代わりしてくれたり、遊びにきてくれるだけでもありがたいんですよ。
でも、いろいろと関わってきた中で失望することが続くと、企業の社員に山を年に2回くらい触らせて管理費がもらえるなら、もう黙ってやらせておこう・・・。
みたいなことも実際にあるんですよ。
だって、正直なところ、企業がちょっと田んぼをしてくれたり、山の管理伐採をしてくれても、町の寿命が伸びるわけではないじゃないですか?
住民の新陳代謝が起きるわけではないし、新たな経済圏ができるわけでもない、つまり何も変わらないわけですから。
持続性社会と言うのは易しですが、里山里海で持続性社会を築くには、よそ者として関わるなら相当な覚悟がいると言うことなんですよねえ。
とはいえ、カジュアルな関わり方を上手にしているグループもあるので、ちゃんと考えればやりようはある、ということなんですけどね。
おわりに気になったことと希望
本書を読んでいて、気になったことがあるんです。
里山里海って、誰のものなんだろう?
こんな言い方は里山や里海に住む人たちに悪いかもしれないけど、田舎暮らしって現代では、都市部の企業社会、競争社会についていけなくなった人、人間関係などのなんらかの理由で街に住みづらくなった人にとっての駆け込み寺的な役割もあるんですよ。
そういう、ある意味、人間の再生・再起も可能な場所で、主導権争いのようなことが起こらないといいなあ、と思うんです。
どうしてそういうことを思ったかというと、本書でも里山資本主義の実践をサポートするためのコンソーシアムが紹介されていますし、ぼくも地方創生を主な事業にしている団体を知っていますが、今後、経済評論家が予想しているように、2021年からコロナの影響で大不況になったとき、国内の利益の食い合い、いわゆるマネー資本主義が国内農業などになだれ込んできたら、おかしな争いが起きる気がするんですよ。
現在でも、SNSを利用していると、収穫量が2倍になるとか、素人でも農業でも受けられるというようなことをうたったコンサルティングと思われる広告が表示されます。
ぼくは、里山里海は人を再生して新たなものを生み出す場所だと考えています。
すでにあるものを刈り取る場所ではない、と思うんです。
里山里海では、お互いを削りあうような都会のシェア争い的な発想はむしろ、場が持つ力を衰退させると思います。
本書を読んでも、里山資本主義はまだまだ道半ばで、正解っぽいことが見えてくるのはこれからなんじゃないかな?と思いました。
アフターコロナという言葉ができましたが、コロナによる不況が終わったころ、本書の続刊が出版されて里山資本主義がどのように進歩したのかという報告が読めたらうれしいなと思います。