今回紹介する本は、本来の趣旨はテレビやネットの世界で蔓延する、理性的な判断を促すデータに基づく情報より、誇張を含めた感情的に脚色された情報によって、消費者であり有権者であるぼくたちの判断を誘導しようとする方法、技術に警鐘を鳴らす内容です。
でも、個人的にはソーシャルキャピタルという言葉と、その言葉で地域活性を目論んでいる理由の方が気になったんですよ。
だから、今回は地域活性の視点から本書を紹介したいと思います。
感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか
著者:堀内進之介
発行所:集英社新書
初版発行:2016年7月15日
なんとなくカッコよく感じるワード
ソーシャルキャピタル
と言われて、なんのことかすぐにわかりましたか?
ぼくは、こういう『なんとなくかっこいい響きのカタカナ言葉』って警戒してしまうのですが、冷静に見つめてみても正確な意味がわからないです。
もう、気持ちが冷める寒い言葉、サブサブワードです。
と言っていても埒が明かないので、大辞林を引いてみますとこう書かれています。
ソーシャルキャピタル【social capital】
信頼関係、規範、相互扶助、人的ネットワークなど、人と人や組織などとのつながりを資本・資源としてとらえたもの。社会関係資本、人間関係資本などとも言われる。
これについて、堀内進之介氏は本書の中でこう述べています。
P.164より抜粋
しかし、しばしば「ソーシャル・キャピタル」とは、つまるところ「コネ」を学術的に洗練されたものとして使われているにすぎない。逆にいえば、私たちが日常的に理解している、地縁や血縁、人脈といった事柄を難しく言い換えたに過ぎない。
むしろ、学ぶべきところがあるとすれば、それを声高に叫ばなければならないほどに、私たちの世界が共同生活、感情的な連帯の基盤を掘り崩しているということだろう。
なんと言えばいいかな。
ぼく自身、SNSは使っていますが、mixiやFacebookがサービスを開始した当初に期待された、新たな人脈形成、友人作りみたいなものは、実際には現実に顔を合わせたもの同士で友達申請をして繋がるのが一般的だったのではないでしょうか。
SNS上で顔をあわせることなく新たに知り合いになるという場合は、既に繋がっている人が仕事上や日常生活で良い広がりになりそうな人をSNSを使って紹介する、という流れがほとんどでしょう。
少なくともぼくは、知り合う順がSNSが先という場合は、上述のパターンしかありません。
この、既に繋がっている人が仕事上や日常生活で良い広がりになりそうな人を紹介するパターンって、インターネットがまだなかった時代の繋がり方と別に変わらないんですよね。
最近は、SNSでつながる心理的なハードルは下がったように見えますけど、実際のところフォロワーと友達関係は別ものといったほうが、イメージしやすいかな?
地域活性にソーシャルキャピタルが必要な理由
ところで、地域活性の問題は、2013年に里山資本主義という新書が刊行されたころから2016年に本書が刊行されるまでに、地域の人口減少問題を解決するため、定年退職者が地方に移住するのに補助金を出そうとか、若者が地方で起業するのに補助金を出そうとか、国が主導して色々と対策をしてきたのに成果がイマイチパッとしませんでした。
成果がイマイチな原因として、つながりのある都会からなんのつながりもない地方へ移住したとき、
コミュニティに入れてもらえるのか?
とか、
実際に食っていけるのか?
という不安を払拭できなかったからだと思うんですね。
だから、2018年ごろからは移住させるのではなく、週末などに継続して地方都市や田舎に通ってもらってお金を使ってもらったり、知恵や労働力を使ってもらおう!という、少しゆるい関わり方を推す動きがありますよね。
それを、関係人口と言うのですが、関係人口を増やすためにはSNSを使っての情報発信が欠かせません。
そして、ウェブだといっても情報発信したときは口コミと同じように、情報を拡散してくれる人の存在が欠かせません。
だから、最近の地域活性はソーシャルキャピタルとセットなんですよ。
コネの本来の機能を壊したもの
地域活性のためにソーシャルキャピタルを活用せよ!
というと、なんかすごく最先端の学術を活用して地域を再生させるように聞こえますが、要するに「コネ」を活用しろ!って言っているわけで、そう言い換えると「な~んだ、何にも新しいこと言ってないじゃん」と思われてしまいます。
なんのことはない。
コネという言葉に含まれたネガティブなイメージをロンダリングしたくて、ソーシャルキャピタルなんていう言葉を使っているだけです。
でも、オブラートを剥がしてコネという言葉で改めて地域活性を考えた時、これまでの血縁、公務員的な人脈を頼っての活性化、というのは実際のところはうまくできなかった。
うまくいかなかった理由を堀内氏は、共同生活、感情的な連隊の基盤を掘り崩しているという表現で記していますが、ぼくなりに補足させてもらえば、現代社会は『コネ』の正の面である、お互いを助け合おうという感情が起こる仲間意識すら壊れてしまったということです。
ぼく個人の経験から考えると、企業でリーマンショック前後に起きた、
正社員の抑制と契約社員の増加
歪んだ成果主義ルールの導入
この2つの大きな変化が、日本企業の中に根づいていた社員はみな家族、同じ釜の飯を食った仲間的な価値観を崩壊させたんだと思うんです。
特に日本の成果主義ルールは独特で、年間目標の達成具合を減点方式で評価する企業が多かったため、これまでの社員同士で助け合う風潮から一転、利己的な働き方に変わる人が増えていき、日本企業の強みが失われていきました。
世の中で人脈という言葉が目につくようになり、人とのつながりをビジネスツールかお金と考えるような人が増えてきたのもほぼ同時期じゃないですか?
本来は、相互扶助の機能も持っていたコネが、日本社会が核家族化して分裂していく過程でビジネス的な発想で利益を得ようとすることに偏りすぎた結果、コネが本来の機能を発揮できなくなってしまったんだと思います。
そうなると、地域活性を含めた衰退しつつあるものを維持、再生するために、『新たなコネ』を用意する必要があったわけです。
コネを持っている人と持っていない人の違い
この『新たなコネ』、つまりウェブサービスによる血縁などよりはゆるい繋がりを地方に人を引き寄せる力にしなければ、国がどれだけ金をばら撒いても呼びたい地方と行きたい人のマッチングはうまくいかないわけです。
でも、『新たなコネ』を用意した結果がソーシャルキャピタルだとするなら、結局それはコネが優秀な機能だと肯定したことと変わらないと思いませんか?
まあ、とりあえず「ソーシャル・キャピタル」という言葉は捨てちゃって、「コネ作り」という身も蓋もない言葉を使って議論した方がいい案が生まれるんじゃないでしょうかね。
少なくとも、耳障りのいい言葉で雰囲気に流されることなく、腹を割った関係が築ける気がします。
とある地方議員が、選挙前にパワハラとセクハラの醜聞を流されましたが、しっかりと当選していたんですよ。
一方で、就職氷河期世代の生活難や貧困女子と呼ばれる人の多くは、利用できるコネがありません。
そして、利用できるコネを持っていない人に限って、感情を煽るニュースや広告に流されて貴重な時間とお金を奪われがちです。
当選できた地方議員は、悪い面も含めてですが多くの人と長年に渡って相互扶助の関係、つまりお互いが物心ともにプラスになる関係を築けているのでしょう。
でも、就職氷河期世代や貧困女子を例にしましたが、もっと広く見れば一般庶民の多くは核家族化が進み、親戚や隣近所との付き合いが希薄になっていくうちに相互扶助の関係、つまりお互いが物心ともにプラスになる関係を失ってしまいました。
コネを相互扶助の関係と言い換えるなら、一般庶民は何かにチャレンジするときなどに欲しい心のよりどころが圧倒的に少ないということです。
まとめとして、堂々とコネを!
心のよりどころが少ないと、いざという時に不安になりますよね。
人というのは心が不安なとき、理性的な判断ができなくなります。
そうすると、なんだか気持ちが上がるけど、実際には中身のない空虚な言葉に釣られて、一方的に時間とお金を奪われてしまうんです。
コネというものも、格差が広がる要因だったんですね。
このように考えると、地域活性も一般庶民の幸せも、まずは時間をかけてでも丁寧に、相互扶助の関係という意味での『コネ』を作っていくのが大切だと言えませんか?
庶民もコネを取り戻して、堂々と利用して行きましょう!
なんていう結論でどうですか?