ストレイバード はぐれ鳥の止まり木

瀬戸市の読書コミュニティスペース ストレイバードの日記です。主に昭和の微妙な本、珍本、奇本を中心に紹介しています。

脳を解放することは人が呪縛から解放されること[フランスの天才学者が教える脳の秘密]

表紙を開くと、まずこの一文がお出迎えです。

 

「汝の人間性が命じるものに従え、他者の賛美を求めるな。自ら法を作り、それに従う者が真に気高く生き、誇らしく死ぬ。他の人生は生ける屍、亡霊だけが住む世界だ」

 

リチャード・フランシス・バートン『ヤズドのハジ・アブドゥの叙事詩

 

 

えぇ~・・・

いきなり拳を突き上げてイキってるじゃん・・・

 

脳力を最大限に発揮させるノウハウが書いてあるんじゃないの?

と最初は思ったのですけど、読んでみると脳について知るにはなかなかの良書でした。

 

 

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フランスの天才学者が教える脳の秘密 (T's BUSINESS DESIGN)

著者:イドリス・アベルカン

発行所:TAC株式会社

初版発行:2018年12月14日

 

 

 

認知や神経について幅広く知れる本

 

という、人間がその他の動物と決定的に違う存在にしたもの。

いや、そもそも人間とは脳のことだ。

といっても言い過ぎではない最重要部位。

 

この脳に関わる、神経工学とか認知科学などの学問から、そこに繋がるであろう学問までを幅広く展開しながら『脳=人間』の可能性について語りつつ、ひとりひとりが現代の閉塞感から抜け出して良い未来を発明できるようになるには、こういうことから始めたらいいんじゃないかな?と提案している本です。

 

新進気鋭の天才学者なんていうとなんだか敷居が高く感じますけど、全体を通してすごく読みやすいです。

 

あと、脳に関連する心理実験や学説などをそこそこの深さで幅広く知ることができるので、認知に関する入門書としてもいいと思います。

 

 

 

どこまでが自分の範囲?

 

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個人的には、キネスフィアとノウアスフィアについての話が興味深かったですね。

 

キネスフィア(Kinesphere)は舞踏理論化が考えた概念で、人が立った状態で手足が届く範囲を指す言葉のようですが、著者はこの範囲を技術革新によって現在もどんどん広げ続けているといいます。

自動車や飛行機、歩行補助器などのことを言っているのでしょうね。

 

 

ノウアスフィア(noosphere)というのは、本書では人間の思考の圏域のことを指す意味で使われていますが、元は100年くらい前に作られた言葉で、おそらく当時キリスト教と進化論の相性がすごく悪い中で、学者としてどちらも否定しないイイ感じの落としどころを考えた結果、出てきた理論じゃないか?と思うのですが、現代の流行り言葉でいうならアセンションに近いのかな。

 

ノウアスフィアは、現代では否定荒れている理論なのですが、近年のインターネットの発展で、「もしかしたらオープンソース的な部分でノウアスフィアが起こるんじゃないの?」と期待する人がちらほらいるんだそうです。

 

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ぼくとしては、ノウアスフィアの理論はさっぱりピーマンですが、キネスフィアの延長として思考の範囲が広がっているというのは何となくピンとくるんですよね。

 

土着信仰がわずかでも残っている東洋人なら、草木国土悉皆成仏 じゃないけど、人間も自然の一部、宇宙の一部というのはなんとなく感じられるじゃないですか。

 

さらに、気功に触れたことがある人なら、身体を超えて情報が伝わるという経験をしているわけで、ニコラ・テスラが1926年に予言したスマートフォンより、脳の可能性という意味では東洋の気功的な感覚の方がノウアスフィアに近いな、と思うんです。

 

まあ、本書とは関係のない蛇足ですけどね。

 

 

 

バイオミミクリーとニューロミミクリー

 

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バイオミミクリー(bio-mimicry)は、数年前にテレビにで取り上げられたりしていたので、ご存知の方も多いかと思いますが、生物から学ぼうという学問です。

 

ぼくは会社員時代、超はっ水技術の研究開発をしていたのですが、その時はバイオミメティクスとよんでいました。

 

 

当時、バイオミミクリーとバイオミメティクスの差は、学会の派閥の違い程度にしか考えていなかったのですが、概念は同じだけど意味は違ったんですね。

 

バイオミミクリーは、生物の形態をまねるだけでなく生態系のシステムレベルまでまねて、そこで学んだことは科学だけでなく哲学や政治、芸術の分野まで使えることがあるんじゃないの?

という感じで、広い分野で形やシステム、考え方まで応用する場合に使う言葉です。

 

 

バイオミメティクスは、生物の形や機能を主に工学や医療の分野で応用する場合に使い、バイオミミクリーと比べると工業製品などの特定の分野で利用する場合に使うようですね。

 

参考にどうぞ

www.ted.com

 

ちなみにぼくが開発していたのは、ハスの葉の表面をに似た凹凸を科学的に作り出してはっ水にする技術でした。

 

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ほかに有名なものといえば、サメ肌の構造をまねて水の抵抗を大幅に減らして新記録が続出した水着。

ハコフグの形をまねて、事故の衝撃に強くなったメルセデスベンツの自動車。

response.jp

 

カワセミの形とフクロウの風切り羽をまねて空気抵抗と騒音を減らした新幹線。

 

などなど、現在はこうやって生物の構造を学んで高機能化、省エネ化などを進めているんですねえ。

 

 

著者は、これらに加えてニューロミミクリーというのを提案しています。

 

今度は神経の仕組みから学んで、社会をより良いものにできないか?ということを考えているんですって。

 

神経、特に脳内の神経網は、一つ一つは直接繋がっているわけではなく、神経と神経の間を酵素などを使って伝達しているんですよね。

 

そういう仕組みをどうやって社会に生かすのかは、時間をかけてよく考えてみないとさっぱり思い浮かんでこないのですが、まずはこういう提言をすることが次の時代を作り出すきっかけになるんでしょうね。

 

 

 

著者が一番伝えたいこと

 

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さて、冒頭の一文の答えですが、本書の一番最後の章で語られます。

そして、この一文こそが脳を解放するヒントなんですよ。

 

でも、現代の都市社会で生活している人がこれを実現するのは、よほどの意思がないと難しいだろうなあ。

 

 

 

 

straybird.hatenablog.com

 

フランスの天才学者が教える脳の秘密 (T's BUSINESS DESIGN)

フランスの天才学者が教える脳の秘密 (T's BUSINESS DESIGN)

 

 

 

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『琉球の花街 辻とじゅりの物語』からレトロブームのその先ついて考えた。

この本を読むまで誤解してました。

沖縄の『辻』という街を。

 

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辻と侏儷の物語―琉球の花街 (がじゅまるブックス)

著者:浅香怜子

発行所:榕樹書林

発行:2014年2月20日

 

 

 

じゅりの漢字について

 

まず、『じゅり』という言葉ですが、書籍の表紙写真のとおり漢字で記載したいのですが、常用漢字ではないのでネット上では記載できないんですよね。

 

もうひとつ、じゅりを『尾類』という表記することもあるようですが、こちらはなんだか艶がないですよね。

どうやら、侮蔑的な意味が込められているようです。

 

なんだか、イエローモンキーと同レベルのニュアンスを感じて、この当て字を考えた人間の器の小ささが見えてキモイです。

 

 

現在の辻について

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写真は金城町の大アカギの御嶽です

 

現在は風俗街として有名で、昔から遊郭街として知られていたこともあり、「東京の吉原みたいな場所?」と思われていますが、まあ現在は大して変わらないのかもしれないですね。

 

でも、昔の辻(チージ)は吉原とは似ているようで似ていない、文化の異なる地域だったようです。

 

当時の『辻村』の姿は、沖縄戦後、アメリカによってブルドーザーで全て壊され平らな土地にされ、消滅してしまいました。

 

そこで保存され続けた御嶽(うたき)を含めた琉球文化の多くも、その時に失われたのだと思います。

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ただ、戦後に生き残っていたじゅりの人たちが、辻村で最重要だった御嶽と、旧正月に踊られるじゅり馬行列を復活させたんですって。

 

 

どんな場所だったのか?

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辻は、完全に女性のみで運営されていた街だったそうです。

 

この部分では本土でも同じでしたが、いわゆる口減らしの目的で幼い女の子が連れられてくる場所でした。

ただ、吉原などの遊郭と違ったのは、連れられてきた子供は遊郭の女主人と義理の親子関係になり、じゅりとして働ける歳になるまで我が子のように最低限の教育などの面倒を見たんだそうです。

 

あと、吉原にも高級な遊郭には存在したルールですが、現在の風俗のようにお金さえ払えば誰でも抱けるわけではなかったんですって。

 

お見合いのように何度か顔を合わせて、じゅりが「この人となら」という人を選ぶことができたんだそうです。

 

あと、文化的なサロンのような使われ方もしていたようですね。

 

吉原などの遊郭街ではちょっと考えられませんが、辻では遊郭の部屋でじゅりを横に置いたまま、講演のようなことが行われたりしたんだそうです。

 

 

琉球文化はどのようにして生き残ったか?

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琉球王国だったころは、芸能は官僚や士族の男性のたしなみだったんだそうです。

 

そして、三線のような楽器は非常に高価で、町人がおいそれと手を出せるようなものではなかったので、町人文化としての芸能はあまり育たなかったようです。

 

そんな背景の中、辻には士族も通っていたわけですが、その士族がじゅりの部屋で過ごすときに、じゅりを喜ばせようと三線などを弾くわけです。

 

すると、それに興味を持つじゅりもいて、士族の御前に「私にも教えて~」なんていうわけです。

 

すると、その士族の御前も「おまえも弾いてみるか?」なんて教えちゃう。

 

するとすると~、そのじゅりは三線が欲しくなっちゃったりするわけですが、どうやら辻の側には三線を作る職人がいる村があったんだそうで。

 

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ところで、じゅりを囲う男というのは気風が良くなくてはいけない。

 

囲っているじゅりが生活に困って内職をするなんていうことは、間違ってもさせてはいけないわけで、半年に一度などのタイミングで生活費を枕の下に置いておくなどして、それとなーく渡すんだそうです。

 

だから、といっていいのかはわかりませんが、じゅりはその辺の町人なんかよりよっぽどお金を持っていたわけで、もっと三線を上手に弾きたいと思ったら買えちゃったんですねえ。

 

その後、琉球処分で士族が壊滅的なダメージを負って没落していったあと、琉球文化をなんとか守ろうと活動した人たちももちろんいましたが、そんな活動以外では辻の花街に活気があったころに士族などの男からじゅりたちに伝えられたものが生き残っていったようです。

 

だから辻には、遊郭の遊びとして育ったお座敷芸などではなく、遊廓に足しげく通った士族が教えた伝統芸能の跡が息づいているんです。

 

 

現在のレトロブームに期待したいこと

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ということで、昔の辻は現在の風俗街とはかなり趣の異なる街だったわけですが、ボクは吉原や大門のような本土の遊郭街も、沖縄の辻も、もう少し違う形で街を発展させられなかったのかな?と思うんです。

 

国の汚点を消し去るかのようにぶっ壊すのではなく、もう少し軟着陸させる方法はなかったのかな?

 

ということなんですけど、一つの事例として現在の辻に復活したじゅり馬のように、たとえば性風俗の部分をうまく取り除いて建物とそこにあったサロン的な機能だけを残すことができていたら、現在のインバウンドやレトロブームが起きたときに強力なコンテンツとなっていたと思うんですよね。

 

正直、現在のインバウンドというのは、医薬品や家電がよく売れたのに気を良くして国まで金儲けを後押しした結果、沖縄を含む日本の市民が細々と保存し続けてきた文化的価値を外国人に踏み荒らさせることになっている気がするんですよね。

 

なんだか、教科書の近代史で読んだ、鎖国が終わった日本に外国人が押し寄せたとき、日本の焼き物だとか絵画を、外国人がその価値をよくわかっていなかった日本人から安値で買い漁っていった話とかぶるんですよね。

 

ついでに、現在の日本では手に入れるのが難しい浮世絵の版画が、茶器などを包むのに使われていたんですって。

 

そうやって、価値もわからず何でもかんでも売ってしまい、やがてブームが去ってから自分たちの文化価値に気づいて呆然とするようなことが、現在の日本でも起きているんじゃないかなあ。

 

実際に、2018年現在、京都の町屋が外資に買われて壊され、どんどんホテルに建て替えられているらしいじゃないですか。

 

これって、たとえ今後日本人がその土地を買い戻しても、壊されてしまった建物とそこに息づいていた文化は二度と取り戻せないですよね。

 

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他人のことを言えた義理ではないですが、現在のレトロブームなんていうのは、ほとんどの人はインスタ映えとまち歩きの目的が強くて、そこにあった文化や技術へはそれほど興味ないように見えます。

 

もちろん、古民家や旧遊郭の持ち主が維持管理するための経済的な負担を考えれば、現状では消えていくのも仕方がないのですが、レトロブームを良いきっかけにして建物の維持方法はもちろん、そこで息づいていたはずの目には見えない文化的な情報をどうやって残して行くのか?

 

というところまでムーブメントが飛躍していくと、日本の未来が面白くて豊かに発展する可能性が高まると思うのですが、みなさんはどう思われるでしょうか?

 

 

 

 

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辻と侏儷の物語―琉球の花街 (がじゅまるブックス)

辻と侏儷の物語―琉球の花街 (がじゅまるブックス)

 

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[仕事文脈vol.12]社会人は、お金と信用について一度は必ず悩むよね。

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仕事文脈 vol.12

特集『お金文脈』

発行所:タバブックス

発行:2018年5月12日

 

先日の、円頓寺 本のさんぽみちでタバブックスが出店していたので、そこで見つけて購入しました。

 

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お金と仕事についての特集だったので手に取ったわけですが、現在、世の中の仕組みというか、価値観がどんどん変わっていっている中で、それでも多くの人がお金についてどこかで気を揉んで生きているわけです。

 

それは、ボクのような一匹オオカミ的にカウンセラーなどのお助け業をしている人や、ライターなどのクリエイティブ業をしているフリーランスだけが悩んでいるというわけではなく、正社員として働いているサラリーマンや、それを雇っている社長さんだって、お金のことが頭から離れない人はたくさんいます。

 

お金のことで悩んでいない人なんて、信用でいくらでも仕事は作れる、常に講演を依頼されるような、ホリエモンさんや西野さんのような、顔写真を見ていると大型エンジンがブイブイと鳴り響いているのが聴こえてくるような、いま旬の人くらいじゃないでしょうか?

 

 

いま旬な考え方

 

そんな『いま旬』な人が言うことといえば、

「信用を高めれるのが先。信用が高ければお金はついてくる」

的な話です。

 

それはものすごく正しい、とボクも思っています。

 

でも、その信用の中身はというと、その言葉が指す純粋な意味と一致しない部分があるような気がします。

 

いや、もしかしたら本当にそんな『気がする』だけなのかもしれませんけど。

 

たとえば、gooの辞書で検索するとこんな感じです。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/115845/meaning/m0u/

各自、読んでくださいね。

 

これが信用という言葉が本来持つ純粋な意味だとすると、最近の信用は『この人なら楽しませてくれる』というニュアンスが含まれているような『気がする』んです。

 

もちろん、これはオーディエンス的な一般ピーポーが『その人』を信用していると言ったときに含まれる期待や救いのことで、実際にお金を払いたい、応援したいと思って実際にアクションする人が心に持った信用は本来の意味どおりだと思うんですけどね。

 

また、実際に応援する人が『この人は面白いから応援しよう』と金銭面で支援する場合でも、やはり一般ピーポーとは求める見返りのレベルが違うんじゃないでしょうか。

 

 

という感じで、『信用』というものの性質を考えてみたのですが、この信用というやつを高めるのが簡単そうでなかなか上手くいかないから、けっきょくのところ、みんなお金のことで悩むわけです。

 

 

出店して気づいた2つのヒント

 

でも、1つ「これはヒントかもしれないな」という経験から考えた推測をお話ししたいんですよ。

 

それは、本のさんぽみちでの経験なのですが、出店が終わってから気づいたことが2つあるんですよ。

 

1つめは、

繰り返すことによってできる信用

初出店に近いボクの場所には、人だかりなんて一度もできませんでした。

 

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やっぱり経験を積んでいる人の並べ方は、棚ひとつ見てもカッコよくて、折畳みコンテナ2つを並べていただけのボクとは人の集まり方が段違いでした。

 

その姿からは、出店するたびに見せ方と品揃え、値段付けなどを工夫して、来場者に安心感をもってもらう『店としての信用』が見えました。

 

もちろん、何度も出店していると来場者の中には「あ、またあの人がお店出してる!」と何度も目にすることによってできた親近感を持つ人も出てくるでしょうね。

 

 

2つめは、

その人のキャラクターから持たれる信用
 

これはボク自身が経験したことです。

 

今回の出店では、心理系、ビジネス系、サブカル系など、いろいろなジャンルを織り交ぜて持って行ったんですよ。

 

その中で、一番売れたジャンルは河合隼雄さんなどが書いた心理系の読み物でした。

 

その理由はなんだったのか?

思い返してみたのですが、理由は簡単でした。

 

ボクがカウンセラーの立場として、本の説明をしたことなんです。

 

まず、カウンセラーが並べている本として、心理系の読み物は納得しやすいですよね。

 

なんというか、本を説明する人と本がマッチしている。

 

あと、社会人時代、コミュニケーション力をつけたいと思い勉強をし出してから、なんだかんだで一番読んだのがカウンセリング関連の本だったので、来場者が手に取った本がどんな気分の時に読むとちょうどいいか?など説明もすらすらできるわけですよ。

 

すると、何が起きるか?

 

100円や200円という価格ではなく、ボクがその本の内容に見合っていると思うそれなりの値段でも買ってもらえるんですね。

 

これって、『信用にお金を払っていただけた』ということじゃないですか?

 

 

それの価値はどこに?

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それ以外の考え方でも、『物の原価から見える価値』より、『物に内包された情報の価値』の方が高いと考える人も増えてきていますよね。

 

いちごの入ったショートケーキが1カット500円、シフォンケーキの中身はほとんど空気みたいなもの1カットに生クリームを挟んでも500円。

 

でも、ショートケーキじゃなくてシフォンケーキを選ぶ人がいる。

 

同じように、250ページで1500円の本、15ページで1500円のZINE。

 

やっぱりZINEを買う人がいる、という事実があるわけですよ。

 

 

これは、例えば、シフォンケーキなら使った小麦粉が無農薬とか、アレルギーの人でも食べられるように米粉を使っているなど、素材にこだわりがあるものに価値を感じる人がいます。

 

また、シフォンケーキを作った人が、それを作るようになった経緯に共感するというパターンもあるますね。

 

 

ZINEならば、以前紹介したコンドーム自販機の情報に特化したり、最近話題になったドライブインのZINEのようにドライブや旅先にある、ごくごく絞られた狭い分野の情報に特化すると、それが好きな同志には価値がありますよね。

 

 

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同志でなくても、その視点や偏愛に共感したり面白いと思った人が買ってくれることもあります。

 

そのような、素材や狭い世界へのこだわりへの共感も、広い意味では『信用』なのかもしれませんね。

 

 

信用の本当の価値は?

 

でもね~・・・

 

そうなんですよ。

たとえ好きなことに夢中になったとしても、誰もがそこまで『信用してもらえる』ところまでたどり着くわけではないんですよね。

 

『信用』まで行き着くには、ある部分、いやかなりの部分で『運の要素』が関わってくるんです。

 

でも、『運の要素』が多く関わってくるのは、『短期間で信用される』場合です。

 

『運の要素』は、実は時間をかけることでかなりの割合で下げられます。

 

それは、多くの人が納得できると思うのですが、会社で任された仕事に実直に向き合い続けた人は、どんな人でも10年後には周りから仕事のことで相談されるようになりますよね。

 

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ただ、その『信用の価値』が会社の中では想像以上に低いんですよね。

 

その影響が、会社の外の世界にも広がっているのが現在の日本社会だと思うんですよ。

 

その価値観は、戦後から義務教育にも織り込まれて広められた価値観と繋がっているので、実は一番ガチガチに根づいていて、変化し続ける世の中でも変わるのが一番遅いものなんだと、ボクは思っています。

 

その中で、会社の外の世界へ飛び出した人、最初から会社には入らないと決めた人にとって優しい社会に少しでも早く変えるためには、もしくは厳しい社会の中でも生き残るためには、まだまだお金について考えなければならないんですよね・・・

 

できることなら、みんなで知恵を出しあって支え合うのがいいんじゃないかな?

 

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ただし、みんなで支え合うにはそれぞれに『信用』が築けている必要があるのかもしれないですけどね・・・

 

この本を読んで、そんな『信用』のことを考えさせられました。

 

 

 

仕事文脈 vol.12

仕事文脈 vol.12

 

 

 

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ストレイバードは円頓寺本のさんぽみちで会えますよ〜。

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さん、サンサン、さんぽみち〜〜〜♪

 

 

円頓寺商店街って知ってますか?

 

名古屋駅から15分ほど歩いたところにある、近ごろ名古屋の人気スポットになっているところです。

 

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その商店街で、10月20日(土)〜21日(日)

円頓寺 本のさんぽみち』

というフリーマーケット形式の古本市が開催されるんですよ。

最近流行りの、一箱古本市のようなイベントです。 

 

その古本市に、ボクも出店させていただくことになりました!

 

屋号はこのブログと同じ、『ストレイバード』です。

 

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この絵を目印に探してくださいね! 

 

いや〜、イベントに出店するのは本当に久しぶりで、

どんな出会いがあるか?

今からワクワクしています!

 

出店者同士の出会いはもちろん貴重な経験ですけど、

やっぱり、お客さんとの面白い出会いは魅力的ですよね〜。

 

これを読んでくださっているあなたも、よかったら散歩がてらボクに会いにきてください。

 

商店街をブラブラしてもらえるだけでも、盛り上がりますから。

 

hon3pomichi.localinfo.jp

 

円頓寺商店街について

ちなみに円頓寺商店街ですが、最近書籍になったのは知っていますか?

 

 

名古屋円頓寺商店街の奇跡 (講談社+α新書)

名古屋円頓寺商店街の奇跡 (講談社+α新書)

 

 

この商店街は、ほんの数年前までは高齢化や最寄りの駅から比較的離れていることもあり、人のほとんど歩いていないシャッター街になっていました。

 

そんな状態から、人が着たくなるような数々のイベントやまちづくりを進めた結果、現在では商店街復活のモデルケースのような場所になっています。

 

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七夕の季節になると、アーケードの中に様々なハリボテが吊るされます。

 

名古屋の昔の風景写真を見ると、七夕にハリボテを吊るすのは多くの商店街で行われていたようですが、現在見られるのは円頓寺商店街くらいじゃないでしょうか?

 

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え?なんか怖い?

 

ナイト・オブ・ザ・リビングデッドの1シーンみたいだって?

 

いえいえ、もちろんこれは制作途中のハリボテですから。

シュールな光景ではありますけど、制作途中ですから!

 

 

散歩に向いている理由

ちなみに、円頓寺商店街が散歩に向いている理由は、いいところが隣接してあるからなんですよ。

 

一つは、四間道(しけみち)という古い蔵などが残る町並みがあることです。

 

ここは、散歩するだけでも楽しいですが、古い町並みに溶け込むように新しいカフェやレストランがオープンしているんです。

 

だから、昼間も楽しいですけど夜来ても美味しいお酒が飲めますよ。

 

icotto.jp

 

もう一つ、円頓寺商店街のそばには問屋街があり、菓子問屋やおもちゃ問屋が並んでいるんです。

 

ボクは毎年、おもちゃ問屋まで足を運んで国産の花火を購入しています。

やっぱり花火は国産がいいですよ。

特に線香花火は、気品が違います。

 

 

というわけで、秋のブラブラ散歩にぴったりな円頓寺商店街で開催される古本市、

円頓寺 本のさんぽみち』

ぜひ、遊びにきてくださいね。
おしゃべりしましょう〜。

 

まとめ

『円頓寺 本のさんぽみち』

日時

2018年10月20日(土)〜21日(日)

10:30〜16:00

屋号ストレイバードで出店しています。

ビジネス系とサブカルチャー系の古本などなど。

福袋も用意しましたよ!

 

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心霊写真についてすごく真面目な研究書[心霊写真は語る]

心霊写真は『どういう道のりを経て』人の前に現れるのか?

を多角的な視点で考察した研究書です。

 

 

 

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心霊写真は語る

編著者:一柳廣孝

発行所:株式会社青弓社

初版発行:2004年8月20日

 

 

 

 

そうなんですよ。

 

この本は、心霊写真の真贋を議論したものではなく、心霊写真が人間のどのような心理作用や脳機能の癖、さらにはメディアの誘導によって、『それ』を心霊と認識するのか?

という部分を真剣に研究した論文集のような本なんですねえ。

 

著者を見ていただけば、いかに真面目な本か、わかっていただけるかと思います。

 

[著者]

一柳廣孝 1959年生まれ。

横浜国立大学助教授専攻は日本近代文学、文化史

 

前川修 1966年生まれ。

神戸大学助教授専攻は芸術学、写真論

 

長谷正人 1959年生まれ。

早稲田大学教授専攻は映像文化論、社会学

 

小泉晋ー 1969年生まれ。

岐阜聖徳学園大学講師専攻は臨床心理学、臨床死生学

 

奥山文幸 1955年生まれ。

熊本学園大学助教授専攻は日本近代文学

 

吉田司雄 1957年生まれ。

工学院大学助教授専攻は日本近代文学、文化研究

 

今泉寿明 1955年生まれ。

精神科医

 

戸塚ひろみ 1951年生まれ。

日本口承文芸学会会員・日本民俗学会会員専攻は民俗学、口承文化論

 

小池壮彦 1963年生まれ。

作家。世相史に関するルポ・著作を発表

 

ね?

写真の先生から心理学の先生、さらには民俗学ルポライターまで、あらゆる分野の人たちがそれぞれの専攻の視点から心霊写真を分析しているんです。

 

そして、みなさん学者だから基本的には霊というものに対して冷静で一歩引いた基本姿勢から分析しています。

 

それは当然なんですね。

 

 

記録が残る心霊写真史

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例えば、写真史を勉強している人にとっては世界初の心霊写真がいつどこで誰によって作られたのか、記録がちゃんと残っていますし、心霊写真を作っていた人がどうして逮捕されたかも、一般常識がある人は「そりゃあ捕まるわなあ」と冷静に判断できる理由とともに記録として残っているんですよ。

 

そして、現代人なら一目で合成だとわかるような昔の心霊写真が、実は遺族を慰めるものとして『作られた』ものだったという事実も、大衆メディアでは隠されているだけで、探せばちゃんと記録が残っているんです。

 

昔は、居間や寝室に家族写真のように飾るものだったんですよ。

 

それがいつか、欲に駆られてか求められてか、親族ではなく妖精や口からエクトプラズムが出ている写真を作り出せば、逮捕されることもあるでしょう。

 

現代だって、有名女優のエロコラ写真を個人で楽しむ目的を超えて販売しちゃったら、おそらく逮捕されるでしょ?

 

まあ、罪状は違うと思いますが、悪質な偽りで商売すると捕まるのは今も昔も変わらないですよね。

 

とにかく、昔の心霊写真は写っているのが親族、妖精にかかわらず、どちらかというと『めでたいもの』だったんです。

 

それが、ある時期を境に『怖いもの』に変わっていくんです。

 

 

娯楽のために都合よく解釈された記念写真 

 

本書のp.106を抜粋します。

小池壮彦によれば、心霊写真を不吉なものだとする認識が成立したのは一九六五年(昭和四十年)以降のことである。それまでは心霊写真を縁起のよいものと捉えて、保管しておく風潮とみられたという。

 

みなさんもよく知っているとおり、日本でも心霊は怖いものということを前提にして流布してきたのは、近所のお坊さんでもなく、おじいちゃんおばあちゃんでもなく、スポーツ新聞や週刊誌などの紙メディア、そして今も昔も変わらず特番を作り続けているテレビですよね。

 

たぶん、メディアが大々的に流布した後に、日常社会の中で『見える』人が現れて、そこに見えないものに対する大衆心理が働いて・・・

と、色々な要素が重なりながらリアリティを増していったのでしょう。

 

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霊が見えるという人は嘘つきか?

 

ちなみに、カウンセリングでは霊が見えるという人を否定しません。

 

その人が見えるというのなら、それは見えているんですから。

 

見えていることを否定するのではなく、見えている霊が訴えていることを丁寧に聴きながら、その裏にある理由や意味を見つけていくんですね。

 

だって、霊が見えることには別に善悪があるわけではないですし、その人の内面を表出する手段かもしれないわけです。

 

そもそも、あなたが見えている景色が隣にいる人も同じように見えているとは限らないんですよ。

 

そして、それは聴こえているものも、口に運んだものの味も、全く同じとは限らない。

 

なにせ、共感覚者という、聴こえる音に重なって形や色や感触を感じる人が実際にいるんです。

 

その場の空気感や雰囲気に人や動物のような姿や感情が重なって見える人がいても、ぜんぜん不思議ではないでしょう?

 

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そういうことを知ってか知らずか・・・

たぶん、ほとんどは知らずにでしょうけど、当事者の苦しみをよそにエンターテイメントに利用されてきたのが、人の顔に見えなくもない岩陰や木々の茂みが写った写真たちです。

 

 

霊は怨念か意識高い系か、はたまた・・・

 

心霊写真は皮肉にもむしろ、写真は化学であって工学であるということを、写真を勉強する者に対して証明してしまうんですよね。

 

でもそれ以前に、心霊の写り方ってちょっとサービスが良すぎると思いませんか?

なんだか、これ見よがしにゾッとさせる表情とか、足だけ消すとかしてくるじゃないですか。

 

心霊写真の次の世代とも言える怖い映像に出てくる心霊も、静止画から動画に合わせて見せ方を工夫してきています。 

 

心霊ってある意味、そうとう意識の高いフォトジェニックですよねえ。

 

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そうそう、本書では映画『リング』の貞子というトップスターについても言及されていますが、この章に関してはジャパニーズホラーファンも必読です。

 

四角い枠の中に存在する心霊写真が、鏡の中に感じる異世界感と源流は同じではないかという考察などを読んでいると、心霊を信じていない人でも1枚の写真から感じるものがこれまでよりも豊かになっていくでしょう。

 

なぜなら、写真は鏡のような存在でもあるのですから。

 

 

 

蛇足ですが・・・

 

ボクが大学で写真の講義を受けていた時、教授が心霊写真について話をしたことがあったんですよ。

 

その教授は当時、警察からの依頼で防犯カメラの映像を解析したりするくらい写真や映像技術のスペリャリストだったんですね。

 

その教授が、

「世の中の心霊写真と呼ばれるものは、97%は一目で偽物だとわかる。

 

だけど・・・

 

たまにどうしても説明がつかないものも、あるんだけどね。」

 

と言っていたのを思い出しました。

 

信じるか信じないかは、あなた次第です。

 

 

 

 

 

心霊写真は語る (写真叢書)

心霊写真は語る (写真叢書)

 

 

 

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アイドルとプロレスには読み込みが必須なのです。

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アイドルとプロレスは、むしろ読んで楽しむものです。

 

 

 

みなさんは、IDOL AND READという本、知ってますか?

 

IDOL AND READ

IDOL AND READ

 

 

最近、アイドルをテキストで紹介する本が結構出ているんですよ。

 

インタビューなどを通じて、曲やグラビアでは見えないアイドルの内面を見せていく、文科系的アイドル表現方法とでもいいましょうか。

 

アイドル文化がサブカルチャー化する過程で、アイドルをこれまでとは違う視点で切り取る方法が、ほとんど文字だけで構成された雑誌というのはすごく面白いですよね。

 

ボクはこの雑誌と、ほぼ文字で構成されたプロレス雑誌、KAMINOGEが好きです。

 

KAMINOGE 80

KAMINOGE 80

 

 

どこに魅力を感じるんだろう?

 

カメラでピントがビタッと合って会心の写真が撮れるかのように、アイドルもプロレスもライブや試合までに起こる挫折や遺恨の物語の輪郭がファンの中でクッキリとすればするほど、本番は『エモく』なるわけです。

 

つまり、文字ばかりのアイドル、プロレス雑誌は、ファンがライブや試合を観戦しに行くのではなく、参戦するために必須のテキストなわけです。

 

そう!

アイドルのライブもプロレスの試合も、もう観戦するものではなく、参戦するものなのです。

 

 

 

でも、面白いと思いませんか?

 

可愛さを愛でる対象であったはずのアイドルが、

 

肉体のぶつかり合いを見て興奮していたプロレスが、

 

現在は、そのライブ、その1試合のバックグラウンドに流れる物語、

 

あの子がアイドルを目指した理由とそれまでの生い立ち、

 

メンバーが突如引退してしまってからの葛藤、

 

プロレスラーがチャンピオンに噛み付いた裏にある物語、

 

それをあらかじめ知っておくことによって、長い時間軸で複雑に楽しみ続けるエンターテイメントに進化しているんですよ。

 

 

アイドルの世界

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グループによっては、アイドルのライブ会場には中年と女性ファンがすごく多いんですよね。

 

そんなファン層が増えた理由は、アイドルとの距離感が変わったからでしょう。

 

早見優や全盛期の酒井法子などが活躍していた、ひと昔前のアイドルはプロフィールから休日の過ごし方まで全てがファンタジーで塗り固められていました。

 

「好きな食べ物は?」と聞かれたら「いちご」と答えるやつですよ。

 

それが、最近は年齢や趣味を正直に答えるアイドルが非常に多くなったんですよね。

 

ボクはアイドルに関してはすごく偏った知識しかないので、ディープなところまではわかりませんが、アイドル戦国時代を声高に叫んで一気にブレイクを果たしたももいろクローバーZは、好きな食べ物をスルメなどのお酒のつまみのような、男女問わず「やっぱりそれって美味しいよね!」と共感したくなるものを挙げ、実際に美味しそうに食べたわけです。

 

そして、決してうまいとは言えない歌唱力で歌いながら全力で踊ることで、見ている人に『エモい』と言われる感情を引き起こしてファンを増やしていったんですよね。

 

でも、ももいろクローバーZは、実は共感を引き起こしてファンを増やしたわけではないと思うんですよ。

 

どちらかというと、全力と無邪気さで、まるで自分の娘か妹のような親近感を生みだしてファンを増やしたんだと思います。

 

蛇足でいうなら、1万人以上の大きな会場を満員にできるようになってからは、ゲストにさだまさしを代表とする大ベテランと共演させることによって、ももクロを孫のように感じる初老以上の年代まで認知度を拡げていますよね。

 

ということは、場合によっては露悪的に見えるようなぶっちゃけかたはさせていません。

 

ということは、ももクロは現在『エモい』と言われるアイドルとは別の系譜でしょう。

 

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では、現在の『エモいアイドル』像を作ったのは、どのグループだと思いますか?

 

ボクは、でんぱ組.incとBiSじゃないかと思っています。

 

この2つのグループは、毛色はかなり異なるのですが、どちらもコンプレックスと挫折した過去を隠さず発信することでアイドルであるにも関わらず人間くささを共感力に変え、同じような悩みを持つ人たちをファンにしていったんですよ。

 

ただ、でんぱ組.incとBiSでは、発信する内容とその後の展開が逆方向といってもいいくらい違います。

 

でんぱ組.incは、引きこもりだった過去などを発信し、途中のグループとしての挫折も隠さず語ることで、ファンはそんなメンバーと一体になって頂点を目指す!

みたいな感じになっていった、はず。

 

 

一方のBiSは、挫折が過去というよりは現在進行形で展開していく感じで、ご存知の方も多いと思いますが話題になるのなら裸でも喉ちんこでも、メンバー同士のいざこざでも公開して知名度を上げ、曲を聴いてもらう戦略をとったグループです。

 

どちらのグループも、実は曲がいいということが伝わって従来のアイドルファンだけでなく、ロックやパンクのファンを新たに開拓していったところに特徴があります。

 

特にBiSは、曲がアイドルファン以外も受け入れやすい良曲ばかりな上に、プー・ルイという依存のアイドル像をぶっ壊す破天荒なキャラでありながら歌うとエモさが爆発するというリーダーのおかげで、ライブも既存のアイドルとは別物の破壊力がありました。

 

現在、ロック色を強く押し出してライブでも絶叫したりダイブをするアイドルグループが増えましたが、これこそBiSが開拓した、可愛さは二の次にした『エモいアイドル』というジャンルが根付いた証拠でしょう。

 

余談ですが、新生BiSの姿を見ていると、『エモい』と『アツい』は似て非なるものなんだな、ということがわかるというか、一部のメンバーにそろそろわかってほしい・・・

 

 

ちなみに、BiSがどんな戦いをしていったのかを知りたい方は、OTOTOYのインタビューは必須です。

ototoy.jp

 

 

プロレスの世界

 

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さて、プロレスについては30年くらい前のボクが高校生の頃は、正直に言って観客は粗暴な人が多かったですよ。

 

ファンでごった返したグッズ売り場の前で、肩がぶつかったからって罵声を浴びせてきたり、リングに物を投げ入れたりする人、本当にいましたからね。

 

でも、現在はご存じの方も多いでしょうがリングサイド席には若い女性が多いし、男性客もマナーのいい人が多くなったように思います。

 

プロレスにマナーのいい観客が増えた理由はアイドルとは逆で、何でもありからイメージの絞り込みへのシフトが成功したんだと思います。

 

そして、成功した理由はやはり、新日本プロレス棚橋弘至さんの影響が大きいのではないでしょうか?

 

棚橋さんは、プロレスがリングスやK-1などの格闘技人気に追いやられて影が薄くなってしまった、いわゆる『プロレス冬の時代』に、プロレスの定義をし直した人だと思うんですよ。

 

格闘技ブーム以前のアントニオ猪木が築いたストロングスタイルは、力道山の頃の日本人が外国人を倒すというカタルシススタイル』から、空手や柔道、果てはプロボクシングの象徴とも言えるモハメド・アリとの異種格闘を展開するに至る『プロレス最強ビリーバースタイル』への拡大定義でした。

 

あえて拡大定義としたのは、『カタルシススタイル』と『プロレス最強ビリーバースタイル』のどこが違うのかを考えると理解してもらえると思います。

 

 

カタルシススタイル期

 

この頃の庶民がプロレスに求めたものは、敗戦の悔しさと欧米人に対するコンプレックスに対する憂さ晴らしでした。

 

まだテレビがそれほど普及していなく、街頭テレビなんていうものがあった時代で、一般庶民の持つ情報量、つまり知っている世界がまだまだ狭かった時代では、『日本人=自分達』が『欧米人=超えられない壁』を倒すことでカタルシスを感じるための舞台としては、プロレスのリングという限定された世界だけで十分でした。

 

 

プロレス最強ビリーバースタイル期

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しかし、そのスタイルも高度成長期になりバブル時代を頂点に役目を終えます。

 

なにせ、高度成長期に入ると総中流社会と言われるくらいみんなが豊かになっていき、テレビや自動車が一家に一台あるのが当たり前になっていくと、「俺たち結構すごいんじゃない?」といった感じで自己肯定感も上がっていきました。

 

そして、1989年には三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買収するという、最大のカタルシスを経験したんです。

 

このように、バブル時代は日本人から敗戦によるコンプレックスを消し去ってしまったので、プロレスファンは日本人が欧米人を倒してもカタルシスを感じなくなったんですね。

 

実際に、1980年前後には「プロレスなんて八百長だろ?」という風潮が起こり、プロレスラーの強さを疑う人が増えていたようです。

 

そうなると、プロレスも庶民の感覚に合わせて次のステージに進む必要がありますよね。

 

そこでアントニオ猪木が発明したのが、異種格闘技だったわけです。

 

強さを証明するのにこれほど分かりやすい方法はないですよね。

 

なにせ、他の格闘技と実際に戦って勝敗をつければいいわけですから。

 

しかもこれって、子供から大人までプロレスが少しでも好きなら一度は妄想したことがあるじゃないですか?

 

「猪木とアリが戦ったら、どっちが勝つんだろう?」

 

「プロレスラーはタフだから、ボクサーのパンチなんか効かない!」

 

「ボクサーはバックドロップなんて経験したことがないだろ」

 

「いや、プロレスラーにはボクサーを捕まえることすらできない!」

 

「ボクサーのジャブは避けられない!」

 

「いや、でも、、、、」

 

と頭の中で延々と続く妄想にニヤついていたことがあるのは、ボクだけではないはず!

 

 

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再び冬の時代へ・・・

 

そんな、妄想の中でしか実現しなかった対戦が現実になったんですから、それはみんな食いつきますよね。

 

そんな夢の実現でプロレス最強伝説を作っていたはずが、K-1やPRIDEによって躓き始めます。

 

プロレスが総合格闘技の大会に参加しだしてから、雲行きが怪しくなったんですよね。

 

割と負けることが多くて、再び最強を疑い出す人が増えだしてプロレス人気が陰りだしたんですよ。

 

そして、プロレスに失望して一気にファンが離れる原因になったと思われる試合が、高田延彦VSヒクソン・グレイシー戦じゃないですか?

 

あれで、プロレスファンが最強を信じられなくなった。

 

というか、夢から覚めて「プロレスは強い!」と言えなくなってしまった。

 

これはもう、プロレスが死んだといってもいい出来事だったと思います。

 

ですから、そこからもう一度プロレスの存在意義を作り直すのが難しく、それこそツンドラ級の冬の時代に突入してしまったんですねえ。

 

 

そして太陽は立ち上がった

 

実際に観客が大幅に減り、コアなファン以外は見向きもしなくなった中で、もう一度プロレスに熱狂してもらうために戦っていたのが棚橋弘至その人だったんです。

 

棚橋弘至がプロレスを再定義するために参考にしたのは、仮面ライダーや漫画の世界のヒーロー像だと思います。

 

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ビジュアルも技も派手で、とにかくわかりやすい格好良さを見せていった。

 

ヒーローには欠かせない、キメポーズも作った。

 

会場に来てくれたファンに、ど直球で「愛してまーーーす!!」と叫んだ。

 

プロレスをPRできるなら、バラエティ番組でもイベントでもどんどん出た。

 

そうしているうちに、強くてカッコいいプロレスラーは新たなファン層を開拓したんですね。

 

それが、過去にはほとんどいなかった一般女性なんです。

 

昔は、プロレス会場にいる女性といったらヤンキーかキャバクラで働いているっぽい派手な人しかいなかったですよねえ。

 

それが、現在のプロレス会場は、リングサイド席におしゃれなファッションをした普通の女性がたくさん座っています。

 

そんな会場の異変をテレビ番組などが取り上げて、「あれ?最近のプロレス、どうなってるの?」と興味が湧いたオールドファンがまず食いつき、次いで「若い女性が夢中になっているプロレスって何?」と様子を見ていた過去にプロレスをほとんど見たことのなかった人たちが、派手でかっこいいアクションの技に魅了されてファンになっていったんでしょう。

 

もっと言うと、いざプロレスを観出すと、本来はヒールであったはずが、実はスウィーツ好きと言う激しい高低差の魅力を持つ真壁刀義選手など、ハッキリとしたキャラクターを持った選手がたくさんいて、ストリートファイターのキャラクター選択のように棚橋選手以外にも自分に合った選手が選べたんですよ。

 

つまり、「プロレスは最強か?」を追求する世界から、新たなファンを開拓することによって「ヒーローたちが強さを競う」世界にシフトチェンジしていったんです。

 

そうやって、棚橋選手を中心にプロレスは新たに『みんなのヒーロースタイル』として再定義することに成功したのでした。

 

一方で、新日本プロレスの選手を中心に、ストロングスタイルを放棄したわけではないんです。

通好みの攻防も健在なので、プロレス通も十分楽しめる試合になっているんです。

 

それを証明したのが、天龍源一郎選手の引退試合の対戦相手をしたオカダ・カズチカ選手じゃないですかねえ。

 

 

これも余談ですが、棚橋選手は現代プロレスの象徴と言うだけではなく、過去に付き合っていた女性に刺されるという事件を起こしているので、そういう意味では力道山の後継者といってもいいかもしれません?

 

 

こうして日本はエモくなってゆく

 

こうやってヒーローたちの世界を気づくことで、プロレスもアイドルと同じような『エモい』場を作り上げていることができているんだと思います。

 

そして、どちらも『エモい』から現場に参戦したくなるし、語りたくなるんですよ。

 

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日本の文化は、どんどんサブカルチャー化していってるんでしょうね。

 

楽しみ方が、今後ますますマニアックになっていくのでしょう。

 

仕事も趣味もきっと、この発想が大切になっているんだと思います。

 

 

 

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渡辺淳之介:アイドルをクリエイトする (MOBSPROOF EX)

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これは真実の話なのだろうか?[秘境の女 4 ハレム潜入記]

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こういう本との出会いがあるから、古本屋に行きたくなるんだよね。

 

秘境の女 4 ハレム潜入記

著者:C.サイクス夫人

翻訳:清水正二郎

編者:秘境調査協会

発行所:難波書房株式会社

初版発行:昭和42年(1967年)3月5日

ただし、発行年月日は初版発行日か不明

 

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フィクション?ノンフィクション?

 

この本、謎なんですよ~。

 

何が謎かというと、思わず一気読みしてしまうくらいメチャクチャ面白いんですが、内容が本当のことなのか、おばあさんの妄想なのか、それとも小説家が語り口調で書いた作り話なのか?

というところがよくわからないんですよね。

 

 

本書のはじめに的な部分によると、

C.サイクスという名はロンドンに移り住んでから名乗った名前で、元々はヨーロッパ生まれでエジプトのハレムに嫁いでからはジヤビタン(ジャビタン)妃殿下と呼ばれていた。

ようなのですが、検索してもアクマイザー3のリーダー、ザビタンしか出てこないんですよね。

 

さらに、彼女の父親はドイツ・オーストリア帝国の伯爵、ヨーゼフ・オン・ツエンドリク伯爵、母親はウィーンの国立オペラ劇場の女優、ソフイヤ・リリエ嬢だというのですが、やっぱり検索しても出てきません。

 

本書のテキストは、アメリカのフイラデルヒヤ州囲書館にある。(原文ママ

とあって、1955年に出版されたものの忠実な翻訳なんだそうな。

 

ちなみに、この本は『秘境の女』シリーズ全10巻の中の4巻目で、まあ胡散臭いといえば胡散臭い本です。

 

ちなみに全10巻のタイトル全ても記載しておきましょう。

 

シルクロードの美姫 M.タイクマン夫人

コーランの女達 W.ホーファー嬢

③八千米の秘密 F.カマル嬢

④ハレム潜入記 C.サイクス夫人

⑤黒い女奴隷 A.ウイリヤム夫人

⑥山高帽の娘 G.ベルトラン夫人

⑦割礼の秘境 E.スチュアート嬢

⑧スフインクスの情熱 W.ムアーヘッド嬢

⑨浜辺の踊り子 Y.メルヴィル夫人

⑩食人種の中を行く T.クリストハー夫人

 

八千米ってなに・・・

食人種の中をっていったい・・・

 

正直、全巻揃えたくなるくらい、メチャクチャ気になりますね!

 

 

メチャクチャクレイジーな女性観

 

内容は、サイクス夫人の生い立ちから、エジプトの殿下に見初められハレムに入り、そこでどんな生活をしていたかなどが書かれています。

 

ただ、サイクス夫人の女性観がメチャクチャ危ないんですよ。

 

現代なら炎上必至の女性観。

 

幼少期に、町の悪ガキにお尻をむき出しにされてベルトで打たれた経験から語られるのですが、その部分を引用してみましょう。

 

 

P.23~24から抜粋

今までのあたしはあまりにも自由でありすぎたのです。そして女の子は自由であつてはいけないのです。女には自由は必要ないのです。

むしろ自由は禁物でもあるのです。

女にもつとも必要なのは、きびしい拘束の中で男に哀願し、許しを願い、ぶたれ、苦しめられる生活なのです。その中にこそ、女がもつとも喜ぶ、愛の姿があるのです。

 

 

 

ね、もうメチャクチャでしょ?

生産性がないとかなんとか言って炎上する議員も卒倒しそうな考え方じゃないですか?

 

こういう考え方以外でも、差別的な表現やなんだかおかしな言い回しが満載で、そんなところに時代を感じることができます。

 

また、極端に浮世離れしたそういう描写がむしろ、妙にリアリティを増させる要因になっているんですよね。

 

ただ、さすがに現在は、そのままで再販することはできないだろうな。

 

本当に面白いんですけどね・・・。

 

 

あ、ちなみに本来なら小文字の『っ』や『ェ』などが使われるところが大文字なのは、本書の出版が古いせいか全部大文字で印刷されているからなので、ご了承を。

 

 

原書はもっと長編だったのでは?

 

気になる点があるとすれば、終章の手前の章が唐突に終わるところです。

 

というのも、ハレムを自分の思い通りにするために、古株の女達を売り払い、若い女を20人買って自分の性奴隷に仕立て上げたことが書いてあるのですが、そこから急に80歳目前の老年期に飛んで終わるんですよ。

 

ロンドンに逃げのびるまでの話は、ほんの少し触れているだけで人生の50年分くらいが飛ばされているんですよ。

 

こういうところも、もしかしたら本当にフィラデルフィア州の図書館に原書があるのかもな、と思わせられるんですよね。

 

あと、日本ではたくさんの女性に囲まれることをハーレムと表現することがありますが、本書はハーレムではなくハレムと表記されているように、少し調べた限りではハレムの本来の目的と姿が描かれているようです。

 

これも、日本人がただハーレムを舞台にしたちょいエロ小説を書こうとしたのなら、わざわざリアルなハレムを舞台にしないと思うので、これまたリアリティを感じちゃうんですよ。

 

夫人は若者へ静かに語る

 

終章では、もう直ぐ80歳になるサイクス夫人がロンドンのホテルで、現在の境遇を語ります。

 

夫は20年前に戦死。

 

国は、夫の兄であるアブズル陛下の長男坊がハレムにうつつを抜かしすぎて滅び、百姓上がりの独裁者に支配されてしまった。

 

その中で自分は、今後一切国に立ち入らないことを約束して命拾いしロンドンへ落ち延びることができた。

 

そして、終のすみかとなったロンドンのホテルで、奴隷市で売り払ったハレムの気に食わない50代の女たちよりもかさかさに干からびた自分の皮膚や痛風で曲がらなくなった腰を嘆き、従者どころか友達すら一人もいない自分の姿にため息をつきます。

 

 

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そんな境遇の中で最後、読者に語りかけます。

 

最後を引用します。

お若い方よ。

どうか楽しい毎日を送って下さい。

老いはすぐ目の前なのですから。

 

 

 

さて、この本はハレムで生活したヨーロッパ生まれの女性が語る、真実の体験記なのでしょうか?

 

それとも、ただの小説なのでしょうか?

 

 

もし、古本屋で出会うことができたら、ぜひ一読して欲しい1冊です。

 

 

 

 

秘境の女〈第4〉ハレム潜入記 (1967年)

秘境の女〈第4〉ハレム潜入記 (1967年)

 

 

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